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馬高式土器とその文化(あらぐさ抄) | 高橋実の本棚

あらぐさ抄(長岡よみうりのコラム)column

馬高式土器とその文化 あらぐさ抄

 

馬高式土器とその文化

 火焔型土器で知られる長岡関原の馬高縄文館で会館10周年特別展「馬高式土器とその文化」を見学した。今から5500年前の縄文中期に栄えた古代遺跡である。信濃川左岸段丘にある縄文時代の集落跡は遠藤沢と言われる低い沢を挟んで、東側に馬高遺跡、西側に三十稲場遺跡がある。ここから出土する土器や石器は明治時代から知られていたが、昭和十一年地元の近藤篤三郎によって発掘され、火焔土器として大きな注目を集めるようになった。この両遺跡は昭和五十四年に国の史跡に指定され、火焔土器など馬高遺跡からの出土品は平成二年、国の重要文化財に指定された。馬高式土器の特徴的なものは火焔型と王冠型に分類することができ、火焔型土器には、口縁部と把手(突起)部の形状から区別される類似の土器が存在し、「王冠型土器」と呼ばれる。この火焔土器は津南町から十日町市、そして長岡市まで信濃川流域に最も広く分布する。
 長岡市では史跡公園整備計画に乗り出し、今後は竪穴住居群を復元して「縄文ムラ」を再現することを目指しているという。青森の三内丸山遺跡のようなムラの出現を楽しみにしている。(みのるん)

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