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私の「北越雪譜」半世紀 5 「校註北越雪譜」の執筆

鈴木牧之suzuki bokusi

鈴木牧之

その5 「校註北越雪譜」の執筆

 三条市の野島出版から出ている『校註 北越雪譜』(宮栄二監修 井上慶隆・高橋実校註)は昭和四十五年に初版が発行されて、平成二十六年で二十一版を重ねている。野島出版の話では、社の出版物でいちばんロングセラーを続けている本だという。

校註 北越雪譜
 これは昭和四十四年、新潟の宮栄二氏宅で初めて打ち合わせが行われた。新書版にして豊富な註を付けたいという。当時の野島出版社長馬場由太郎氏より宮氏に話が持ち込まれたらしい。脚注、略伝、索引などの分担を話し合った。私にとっては、初めての公の仕事で緊張していた。井上氏と私でこの膨大な量の『北越雪譜』を原稿用紙に写す仕事から始めることになった。脚註は二人で、略伝と索引は私が担当することになった。井上氏が脚注と補注を担当した。四百字詰め原稿用紙に一行おきに筆写し、初編が六〇〇枚、二編が三〇〇枚であった。北越雪譜は初編、二編合わせて四百字詰原稿用紙で四五〇枚の長さである。脚注は別の八字三五行の原稿でできるだけ見開きで収まるように工夫した。あるページでは註をつけたい項目があっても見開きで終るようにし、不足分は巻末に補註を付けることにした。この年八月に、塩沢では牧之生誕二百年を記念して、「北越雪譜の碑」の除幕式があり、終って三人して長恩寺で講演した。井上氏と一緒に仕事をするに当たり、氏の緻密な研究心に学ぶことが多かった。どんな小さな事柄も一つ一つ原資料に当たり、孫引きするようなことは決してなかった。「狐火」に引用されている『酉陽雑俎 上』[唐の段成式(773年〜863年)の撰による怪異記事を集録した書物]、「地獄谷の火」に引用されている『瑯椰代酔』などの中国文献は内閣文庫まで調査に出かけて確認された。
 井上氏が入院中、私が東京まで出かけていったこともあった。 二人の間に意見が食い違うこともあった。中の巻「寺の雪頽」(校註本五十八頁)で「本堂に積たる雪の片屋根磊々と雪崩落ち、……」の箇所で、井上氏は「雪の片」つまり雪片と解釈し、私は、「片屋根」と解釈した。これは私の方が正しかったと思う。
 井上氏と二人で、当時悠久山にあった長岡科学博物館に樋熊清治氏を訪ね、雪虫の話を聞かせていただいた。また塩沢の国鉄雪実験所に故荘田幹夫博士を訪ね、雪崩の話を聞かせていただいた。これらは、この本の脚注に生かされている。索引は私が担当した。地名、書名、一般事項と分け、カードを作って五十音順に並べた。今であれば、パソコンエクセルで簡単に索引も作られ、五十音順に並べ替えることもできるが、当時一語一語拾ってカードに書き込み、それを五十音順並べる作業には大変手間がかかった。巻末の挿絵目次だけは、宮氏が担当した。これは「北越雪譜」の挿絵を調べるに重宝である。索引のない本は価値が半減する。苦労した索引作りだったが、今から見るとありがたい。
 この本は平成五年、改訂版を出した。被差別部落への差別意識が出ている「美人」の伏字を復活したところが大きな変化である。この「美人」が載る二編四之巻は「百樹曰」で始まる校訂者京山の補筆文である。京山が小千谷に滞在した時の事だった、船岡公園で三人の娘に会って、タバコの火を貸してほしいと頼まれたとき、その顔を見たら、素晴らしい美人であった。それを連れの小千谷の友人岩居老人に話すと、「かれは屠者(ゑた)のむすめなり」という答えが返ってきた。京山は驚き、「糞壌妖花を出す」という言葉を使っている。「汚い土壌が怪しい美しい花を咲かせる」というような意味であろうか。甚だしい差別語である。この時、すでに宮氏はなく、野島出版も馬場信彦社長に代わり、担当者も荒木常能氏に変わっていた。岩波文庫の「北越雪譜」は、昭和十一年、岡田武松校訂で出版されているが、昭和五十三年第二二刷で改訂版を発行し、益田勝実氏は巻末に「北越雪譜のこと」という一文をのせた。この改訂の一番のポイントは、初版で伏字にした「屠者」をそのまま載せたことであろう。益田氏はその解説の中で、

 当時の権力が仕向け、社会の多くが盲従した差別を、江戸文人が無批判に吸収し、当然と考えていたために、筆に現われた言辞である。これを伏せて、結果としてわれわれも隠蔽に加担するのでなく、京山の意識のその部分を批判し、現代社会、われわれの体内にも同種の意識を温存するしくみが生き残っていないか、真剣に考える手がかりにしたい、と考えた。

と述べている、校註本もこれを受けてその後、伏せ字を復元した。これが正しかったと思う。この改訂には井上氏の信念が体に刻みつけられるような気がした。
 野島出版では昭和五十五年に北越雪譜の復刻本を出版したが、この「屠者」の部分の「屠」の部分が削られていて「  者」となっている。これは校註本が伏字になっていたことによるようだ。
 初版が出た年は、ちょうど長男が生まれた年で、妻に付き添って、ベッドの脇でゲラに赤ペンを入れていた。その長男も四十六歳、本もまた人と同じようにこうして加齢していくのだと思う。


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