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私の「北越雪譜」半世紀 9 雪の峠越え

鈴木牧之suzuki bokusi

鈴木牧之

その9 雪の峠越え

 雪の峠越えはいつでも死と隣り合わせである。吹雪で前が見えず、寒さで体温が低下する。雪の峠越えには、灯りと食べ物は必需品である。深い雪の中を一歩一歩と雪を踏み分けて歩くと、体力は消耗し、疲労困憊雪の中で動けなくなる。「北越雪譜」には初編上之巻に「雪吹」の項目がある。「ふぶき」は、現在は「吹雪」とかくが、当時は「雪吹」と書いていた。
 上之巻の「ふぶき」は、若夫婦が子供を連れて嫁の実家に行く途中に吹雪で遭難死して、子どもだけ助かったという話になっている。二編一之巻には、「雪吹の焼飯を売る」という話が載る。この箇所を現代訳してみよう。
 雪の災害で恐れなければならないものといえば、冬の吹雪、ホウラ、春の雪崩である。この様子については、すでに初編で語った。しかし、珍しい話を聞いたのでここに記して、暖国の話題にする。
   金銭の尊いことは魯氏が『神銭論』に書き尽くしてあるので、いまさらいうまでもないが、凶作はもちろん、飢えに臨んで小判をなめても腹の足しにならない。飢えたときの小判一枚は、飯一碗におよばない。五十年あまり前の飢饉のとき、あるところで飢え死にした人の懐には、小判が百両あったという。

塚山峠吹雪の図
 魚沼郡藪神の庄の村に住む農夫が、柏崎に向かった。五里ほどの道程である。途中で一人の青苧商人に出会って道連れになった。十二月初めのことで、数日間降っていた雪もやんで、晴れた空の下を二人は肩を並べ、のどかに話をしながら歩いていた。塚野山という峠にかかったときである。雪国ではよくあることだが、一天にわかに雪雲が広がり、暴風はあたりの雪を吹き散らし、太陽を隠し、一寸先も見えなくなった。袖や衿に雪が入り、全身凍えるばかりで息もできないほどである。四方から吹きおろす風は雪を巻き上げる。雪国でいう吹雪である。この吹雪は急にやってくるので、晴天といっても、冬の出立には蓑笠の用意は必要なのである。二人はカンジキで雪を漕ぎながら(雪の中を歩くことを「漕ぐ」という)声を掛け合い、助け合ってようやく峠の途中まできた。
 商人が農夫にいうには、「今日は晴れていたので柏崎までは何事も起きないと思っていたので弁当を持ってきませんでした。今になって空き腹になり、寒さが身にしみます。こうなっては、お前さまと一緒に雪を漕ぐこともできません。さきほどの話では、弁当をお持ちとか。それを私に譲ってはくださいませんか。いえ、ただでとは申しません。ここに銭で六百文あります。死ぬか生きるかでは銭は何にもなりません。六百文でどうか弁当を売ってください」農夫は貧乏だったので、六百文と聞いて大いに喜び、焼き飯二つを出して銭に代えた。商人は懐で温められていた大きな焼き飯を二つ食べて、雪で喉をうるおし、心も落ち着き、前になって雪を漕いだ。
 こうして吹雪の中を進むと、吹雪はますます激しくなったが、カンジキを履いているため歩きも遅く、すでに日は暮れようとしている。焼き飯を売った農夫は食事をせずに歩いたために腹がへって疲れてしまい、商人は焼き飯のおかげで元気に足を進めていく。次第に農夫が遅れ、ついには農夫を引き離して商人一人で麓の村にたどりついた。知り合いの家に入り、炉端で身を温めて酒を飲み、初めて人心地がついたのである。
 しばらくして、「ホウイ、ホウイ」と遠くに呼ぶ声をその家の人が聞きつけた(吹雪のとき、「ホウイ、ホウイ」と呼ぶのは、人に助けを求める言葉である)。「吹雪の行き倒れだ。それ、助けに行け」と隣近所の人などを呼び集め、それぞれに木鋤を持って(木鋤を持つのは、雪に埋まっている人を掘り出すためで、これも雪国では常識である)走って行ったが、やがて大勢の人たちが一人の死骸を土間にかつぎ入れた。商人が立ち寄って見ると、先程焼き飯を売ってくれた農夫だった。
 この青苧商人がある時、私の俳友の家に滞在していたとき、この話を始め、「あの時、私が六百文の銭を惜しんで焼飯を買わなかったら、吹雪の中で遭難死してあの農夫のようになっていただろう。今私がこうして命つないでいるのは、あの六百文のおかげだと笑って友人に語った。

 私の住む長岡市小国町は峠を越えれば、小千谷市に通じている。その峠の途中に、雪中で遭難した人の墓が立っている。小千谷縮の文化圏にあるわが町には、小千谷の縮商人が縮の原料を背にこの峠を越えてきた。真冬でも峠に道がなくなることはなかったという。
 この峠で遭難したのは、滝沢孫七という小千谷の人であった。小国では、吹雪がひどく一寸先も見えないほどの吹雪を、この人の名にちなんで「滝孫アレ」と呼んでいる。吹雪をアレという。アレは「荒れ」で吹雪の方言である。
 吹雪の中の峠越えは、こうして命がけである。


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