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私の「北越雪譜」半世紀 11 屋根雪を下ろす

鈴木牧之suzuki bokusi

鈴木牧之

その11 屋根雪を下ろす

 雪はふわりと新雪では軽いが、その雪が時間の経過につれ下だまって嵩が減り重くなってゆく。屋根にも積もった雪はそのままにしておくと、雪の重みで家が壊れてしまう。
 北越雪譜初編上之巻に「雪を掃ふ」というのがある。これを読みやすく訳してみよう。
 雪をはらうは落花を払うように風雅の一つとして昔の古い書物にみえているが、我が雪国ではそんな生易しいものではない。雪国では屋根雪を払うことを雪掘りという。土を掘るようにするのでこの言葉を使うのであろう。掘らなければ雪は家の出口を埋め、人が出入りできなくなる。いくら頑丈な家でさえも幾万斤(きん=重さの単位、一斤は600g)の雪の重さに押しつぶされてしまう。それを恐れるから、どの家も雪を掘らないわけにはいかない。
 掘るには、木で作った鋤(すき)を使う。方言で「こすき」と言う。つまり「木鋤」である。ブナという木で作る。木の性質がねばっこくて折れることなく、かつ軽い。「こすき」の形は鋤に似ていて刃が広い。雪の生活では一番必要な用具であるから、山あいの人たちはこれを作って里に売りに来る。どの家もみんな持っている。雪を掘る様子は下の図にあらわしたようである。掘った雪は人の行き来の邪魔にならない空き地に山のように積み上げる。これを方言で「掘り揚(あ)げ」と言う。大きな家では若い者を出して、もし人数が足りなければ人を雇い幾十人もの力を合わせて、一度に降り積もった雪をどける。どうして一気に取り除くかと言うと、掘っている間にも再び大雪が降ってくると、たちどころにうずたかく積もり、人の力ではどうにもできない状態になってしまうからである。ただ、これは大きな裕福な家の場合であって、小さな貧しい家では人を雇うにもお金がないから、男も女も一家総出で掘る。私の村に限らず、雪深い所はみなそうしている。

熊に助けられた人
 こうして雪のために体力を費やし、一日がかりで掘り終えてほっとしていると、その晩に大雪が降り、翌日はまたもとのように積もってしまう。こんなときは、主人はもちろんのこと、使われている者までが、頭を垂れてため息をつくしかないのである。
 だいたい雪の降るたびに雪掘りをするので、一番掘り、二番掘りという。初雪が積もったのをそのままにしておけば、再び降ってくる雪を加えて一丈(約3m)を越えることもあるから、一度降れば必ずそのたびに雪をはらって取り除く。これを方言で「雪掘り」と言う。土を掘る動作に似ているからこう言うのである。もし、掘らないでおいたら、雪は家の周りをふさぎ家をも埋めて、人の出入りすることもできなくなってしまう。
 北越雪譜には冒頭に「積もりたる雪を掘りのくる図」の京水の挿絵をのせているが、鋸を使って雪を直方体に切りとって、縄でからげ、鳶口で引いている図がある。これは真冬の新雪の雪掘りではない。新雪は柔らかく、とても鋸で切られるような雪ではない。これは雪国を知らない江戸人の描いた図であろう。この部分の文章と挿絵が整合していない。
 雪を屋根から降ろす言葉として、ここでは「掃う」という語を使っているが、払うと言えば、「埃を払う」「ごみを払う」ようにふわふわした軽いものをのける意味になり、五十センチ、六十センチの新雪を除けるのに、この言葉は、使えない。現在は除雪という漢語表現を使うが、雪下ろしが一般的である。雪掘りはあまり使わなくなった。
 そして除雪用具もコスキからスコップ、スノーダンプに代わってきた。屋根の上で使う「雪樋」と呼ぶ雪の滑り台は、昭和の初め六日町(現南魚沼市)で、ベルトコンベアーをヒントに作られたという。スノーダンプは昭和四十年代三条市で作られたと聞いている。こうして除雪用具も変わってきた。
 しかも、近年は、屋根が滑雪屋根になって、自然落下式に掘らなくても雪が屋根から落ちるようになっている屋根材を使っている家が多くなった。三階建てで一階を車庫にして2階に玄関を作り、屋根雪が堆くたまっても、居住空間である二階までは光を妨げない。これには、家の周囲に広い敷地が必要で、家の建て込んだところでは難しい。屋根裏に暖気を流して屋根の上で融雪してしまう方法も取り入れられてきた。屋根の雪下ろし中に屋根から落下する事故がたびたび起こる。屋根に雪が一メートルも積もると庇の端に大きくはみ出してしまい、上から見ると屋根の端が見えなくなる。そこで端まで出てしまい、雪を踏み抜いて落下する事故も多い。軒下にいて、落雪に埋まってしまう事故も起きている。雪国はこうした雪災事故は今も昔も変わらない。


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