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私の「北越雪譜」半世紀 12 雪の中の織物

鈴木牧之suzuki bokusi

鈴木牧之

その12 雪の中の織物


 縮は麻からおられる織物で、越後縮(えちごちぢみ)は麻織物の一種で、緯糸(よこいと)に強い撚(よ)りをかけて織り上げ、独特の縮シボ(しわ)をつけた夏衣用の織物である。江戸時代、魚沼地方を主産地とする越後の特産品として知られ、天明期(1781-1789年)には年間二十万反の生産があったと伝えられている。また、十日町には縮市場が開設され賑わった。原料は、カラムシ(苧または苧麻)という植物の皮から採った繊維で、それを細く裂いて糸にし、地機で織り上げたものである。
 北越雪譜に越後縮について次のような名文がある。
 雪中に糸をなし、雪中に織(お)り、雪水に洒(そゝ)ぎ、雪上に曝(さら)す。雪ありて縮(ちゞみ)あり。されば越後縮は雪と人と気力(きりょく)相半(あいなかば)して名産(めいさん)の名あり。魚沼郡(うをぬまこほり)の雪は縮(ちゞみ)の親(おや)といふべし
 訳文
 雪の中で糸を作り、雪の中で織り、雪水に濯いで雪の上にさらす。雪があって縮があるのである。だから越後縮は雪と人とその力が相半ばして名産と言われるものである。魚沼の雪は縮の親と言ってもよい。
 この名文は現在鈴木牧之記念館の前庭に碑として建てられている。これは越後を代表する織物について書いているが、期せずしてこの北越雪譜の成立そのものにも当てはまる。雪の中に生まれ、育ち、そこに没した作者は、その自然と自らの気力を振り絞ってこの書を著したといってよい。この碑は前にも述べたが、昭和四十四年、牧之生誕二百年祭を記念して、かつて塩沢町役場前庭にあったが、牧之記念館ができたとき、ここに移されたものである。現在北越雪譜の原本は存在せず、牧之の他の部分から文字を集めて、この碑の文章になったといわれている。

熊に助けられた人
 北越雪譜には初編中之巻に「越後縮」「縮の種類」「縮の紵 紵績」「縒綸」「織婦」「織婦の発狂」「御織屋」「御織屋の霊威」「縮を曝す 縮の市」の九項目を割いている。牧之は雪国の一大特徴にこの越後縮を挙げていたとみてよい。
 北越雪譜「越後縮」の項に鎌倉時代、京からやってきた天皇の使いに、土産物として「越布千端」の記事がある。古来この布は「越後布」と言われ、布の中でも上等品であった。謙信の活躍した戦国時代もその経済的基盤の一つがこの布であったと聞いている。
 現在、越後縮は越後上布とも呼ばれて、世界文化遺産に登録されたが、小千谷、塩沢方面で織られている。
 小千谷から山を越えた小国も縮文化圏に組み込まれていた。我が家の祖母もこの縮の糸を作る苧績みという作業を続けていた。材料のカラムシの白皮を細く裂いてつないでゆく作業だった。紡いだ糸は苧績み桶に保管される。苧績み桶は嫁入り道具の一つだった。いかに苧績み作業が上手かが嫁入り条件の一つでもあった。冬になると嫁・姑が争ってこの作業に励んだ。苧績み作業は主として冬の農閑期に続けられる。男は藁細工作業、女は苧績作業が冬の仕事だった。
 ここで「苧」という漢字について触れたい。この文字が見慣れない漢字のせいで「芋」に似ていることから、よく「芋」と間違えて書かれることが多い。地名としても山古志の「種苧原」十日町市松代の「松苧山」などに使われている。また苗字としての「尾身」「大海」「小海」などもこの「おうみ」がなまったものと言われている。
 長野県には「麻績村」がある。
    ぬか火八反暗っつま九反
という諺があるが、嫁と姑の争いを表現した諺である。ぬか火とはもみ殻を燃料にした暖かい火の傍、「暗っつま」とは部屋の隅の暗い空間である。姑は火の傍で八反織るが、嫁は暗い部屋の隅で姑より多く、織物を織ることができる。姑に対する嫁の反撃である。
 なお、この苧績みの間が昔話の語りの時でもあり、この作業しながら語りばあさんが昔話を語る時間でもあった。
 糸ができると小千谷の苧綛商人が家々を回って集めに来る。これが当時の唯一の現金収入で明治十七年生まれの祖母は夜遅くまで苧績みをしてその現金をもとに正月の年取り魚鮭を買ったといわれる。縮の糸を使っていざり機で反物を織る人もいたが、それは少数だったようだ。江戸時代の末十日町地方を旅した金沢千秋は「越の山つと」という本の中で縮を織るいざり機のスケッチを載せている。


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