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私の「北越雪譜」半世紀 13 熊に助けられた話

鈴木牧之suzuki bokusi

鈴木牧之

その13 熊に助けられた話

 このところあちこち熊の出没が新聞に載り、人が熊に襲われた記事も目につく。
 北越雪譜に初編上之巻に「熊人を助(たすく)」の項目がある。
 妻有(十日町地方の古名)の老人から牧之が聞いた話として載せている。老人が若いころ橇をひいて山に薪取りに出かけたとき、足を滑らせて谷底に転落する。這い上がろうとするが、足場がなく困惑していると、近くに岩穴がある。そこを一夜の宿にとろうと、中に入ってゆくとそこは冬眠中の熊の穴だった。老人は驚くが、熊に向かって「私は薪取りに来て谷に落ちたものだ。帰ろうにも道がなく、生きていくにも食べ物がない。死ぬべき命だ。私を引き裂いて殺そうと思ったら殺してくれ。もし助ける気が合ったら助けてください」と、必死の覚悟で熊に近づくと、熊は体温で老人を温め、掌の蜜を舐めさせて飢えをしのぐことができた。これは熊が助けてくれる気持ちなのだろうと気持ちも落ち着き、熊と背を並べて眠りにつく。夜が明けてどこか帰る道でもあるだろうかと探すが見つからない。何日か熊とともに穴の中で過ごし、その後に熊は老人の袖を引いて先に進み、ついて行くと、人の足跡のある所まで案内して立ち去ってゆく。老人は立ち去ってゆく熊にお礼を言い、無事家に帰ることができた。家では四十九日の仏事の最中だったので、両親はじめ集まった人たちは、幽霊が出たと騒ぎ出す。月代の毛は蓑のように伸び、顔はきつねのように痩せていた。幽霊ではないことがわかると、四十九日の法要はたちまちめでたい酒宴に変わったという話である。

熊に助けられた人
 この話は、かつて高校の現代国語の教科書に古典の入門書としてとりいれられたことがあった。
 この話を会津山都町(現喜多方市)で聞くことができた。「民話と文学」第五号(1979)会津山都の伝承特集で宮沢金次郎という人が次のような話を載せている。

 雪が降る頃になると、熊は穴に入って冬ごもりをするようになる。昔鉄砲撃ちではないが、山で熊と一緒に一冬を過ごした者がいた。雪山で迷って帰れなくなり、ころがりこんだ穴が熊の冬眠している穴だった。熊は自分の掌を舐めるようにその人の口まで差し出した。その掌をなめて、なめてその人は飢えることなく無事一冬を越すことができた。ところが、雪解けになり無事帰ってから熊に助けられた話をし、こんどは鉄砲撃ちを連れてその熊の居場所まで行って獲ってきてしまった。そして死んだ熊の掌を取って、「こうやって舐めた」と舐める真似をしたら、その熊の掌がガバッと顔を打ち、その人は死んでしまったという。

 こういう話である。この人が北越雪譜を読んでいたかどうか不明だが、極めて似た話である。しかし、後半部分は、北越雪譜には載っていない。命を助けてやった熊を殺すという恩を仇で返すという人間の仕打ちに死んだ熊が反撃したのである。平成十九年会津の語りの会の皆さんが、長岡に来た時も、この話を聞いた。山都の永島陽子さん、石井民衛さんから聞いた話も同じような話だった。また宮沢金次郎さんと同じ集落の大塚昌子さんは、最後死んだ熊を買い取り、懇ろに葬ってやり、村の守り神としたので、この村に限って熊が作物を荒らすことはなかったと伝えているということだった。
 これと似た話が石川県の民話に載っていることがわかった。熊に助けられた男が村に帰ってこの話をするとそれを聞いた村人がその熊を捕りに行かねばならないと熊を打ちとめて帰ってくるが、助けられた男はその死んだ熊に向かって命の恩人を殺させてしまった詫びを言っていると、死んだ熊がガバリと起きて男を撃ち殺したというのである。フジパンの民話の中で石川県の民話として紹介されている。 熊のこの話は、北越雪譜の話がこのように脚色されていったのか、まったく偶然だったのか、不思議なことである。
 ところが話はそれだけではなかった。この話が北半球の北辺に帯状に分布しているというのである。ロシア口承文芸研究者齋藤君子氏によれば。一九〇八年出版されたサハリンのニヴフ民族の資料集にある猟師が崖に落ちて登ることができず、食べるものがなく、腹をすかせていた。すると夢の中に熊が現れ、「おれの巣穴に入れ。ひもじいときはおれの小指吸え」と言う。男は熊の言うとおりにし、熊の指を吸うと空腹が癒える。春になって男は熊の背に乗せられて崖を登り、人里近くまで送られ、無事に帰り着いたそうだ。齋藤氏はそのほか、オホーツク海に面したマガダン州のエヴァン人の話も紹介し、熊に助けられた話は、日本、サハリン、そしてロシアの極東地方から西シベリアに至る広大な土地で実話として語られてきたという。(二〇一六年七月十五日 新潟日報「西シベリアからの風」)
 北越雪譜に話はこうして世界的な民話としてつながっていたとは驚きであった。願わくは、熊と人がこのように共存する日の来ることを。


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