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私の「北越雪譜」半世紀 18 子供の雪遊び

鈴木牧之suzuki bokusi

鈴木牧之

その18 子供の雪遊び

雪やこんこ あられやこんこ
降っても降っても まだ降りやまぬ
犬は喜び 庭かけまわり
猫はこたつで丸くなる

の童謡があるが、これは、一九一一年の『尋常小学唱歌(二)』初出の文部省唱歌といわれる。雪は子供にとって格好な遊び道具である。二編一之巻に「玉栗」という項目がある。それを紹介してみよう。

 江戸の子どもの遊びには女の子はてまり、羽根つき、男の子は凧を上がる。雪国の子は春になってもどこもかしこも雪で歩くにも苦しく、道で遊ぶことは少ない。ここに玉栗という子供の遊びがある。春にやっているだけでなく、雪中でも遊ぶ。初めは雪を丸めて卵の大きさに握り固め、その上に雪を何度もかけて足で踏み固め、あるいは柱に当てて押し固め、これを方言で「こやす」という。てまりほどの大きさになったとき、他の子どもが作った玉栗を軒下などの並べて、自分の玉栗を友達のそれにぶつける。その時、強い玉が弱い玉を砕くと勝ちになる。この遊びを所によってコンボウ、コマ、地コマ、イキンダマ、ズズコ、タマゴショ、カチアイなどと呼ぶ。この玉を作るに、少し塩を入れると石のように固くなる。だからお互い塩を入れるのを禁じている。塩は物を固める性質がある。物を固めるために、塩漬けにすれば、肉類も腐らず、朝夕口を漱ぐにも塩の湯水を使えば、歯の寿命を延ばすといわれる。玉栗は子供の遊びであるが、塩が物を堅くするという証明にもなる。
 玉栗の方言は、雪譜以外でもキンゴリ、スズンコ、ガッチ、テンカ、タマッカチ、などほかにも様々な言い方で残っている。

 このほか「羽子擢」というこどもの遊びものせている。それも二編一之巻から紹介してみよう。

 江戸で正月をした人の話を聞くと、町の中に見上げるほど大きな門松飾った下で、着物姿の娘たちが、羽子板をもって羽根を突く様子は、いかにも大江戸の春らしい光景という。この雪国の羽子突きはそんな辺鄙な土地とはいえ、そんな風流なものではない。正月は使用人も少しは暇をもらって、遊べるので、羽子を突こうとして、雪を踏み固めて、相撲場のような広場をつくり、羽根はウツギを一〇センチほど筒切りにしてそこに山鳥の尾羽根を三本さしこむ。江戸の羽根の比べると比較できない大きさである。これを突くには羽子板ではなく、雪堀用のコスキを使う。力に任せて突くため、空高く舞い上がる。このような大きな羽根のため、こどもは仲間に入らず、いい年した男女がハバキ、ワラグツなどを履いて遊ぶのである。一つの羽根を大勢で突くので、失敗して落としたものには雪をぶつけ、あるいは頭から雪をかぶせる。その雪が襟から懐まで入り込んで悲鳴を上げるのを周りの者たちが見て笑う。

 この羽子突きは現在でも十日町市新水で行われている。一月十五日の道楽神焼き(どんどやき)のあと、傍の広場でおこなわれているのを見たことがある。これに使う羽子板はさすがにコスキより小さい専用なものを使っていた。

熊に助けられた人
 北越雪譜には初編下之巻に「童の雪遊び」という項目がある。
 雪を高く積み上げて、上を平らにして踏み固め、雪を集めて囲みをつくり、その間に雪壁を作り、入り口を作って隣の家と行き来する。そこには天神様と称する神棚を造る。中にむしろなどを敷き詰めこの中で物を煮て神様にもお供えして、集まって食う。これを雪ン堂、または城と呼ぶ。間をあけて隣にも同じものを作り、行き来して遊ぶ。
 と説明している。これが今でいう「かまくら」であろう。「かまくら」という言葉は、秋田県あたりから広がって雪穴をかまくらとどこでもいうようになった。小正月の夜、雪穴を作って中で物を食べたり、遊んだりする。十日町辺りでは「雪ン堂」と呼ぶ。私の住む小国辺りでは「こもりあな」と呼ぶ。一月十四日の夜、集落の何ケ所もこもり穴ができお互い訪問しあった。そしてお汁こやミカンなど御馳走された。その後、みんなして集落の「鳥追い」に出かけた。
 北越雪譜には載っていないが、雪道に穴を掘って、上を薄い雪でカムフラージュする雪の落とし穴がある。そこに人が落ちるのを見て喜ぶ。ドフンジョ、ドッチン、ドッチョなどと呼び名がある。またスキーのようにして細く削った竹で斜面を滑り降りる竹スキー、下に萱を束ねて滑るボボズイナという遊びもあった。
 薄雪地帯のこどもが思いがけぬ雪に大喜びで、雪ダルマを作っている光景を見ると、雪ほど子供にとって格好な遊び道具はないなと思う。


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