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私の「北越雪譜」半世紀 20 鮭漁

鈴木牧之suzuki bokusi

鈴木牧之

その20 鮭漁

 新潟県村上市にイヨボヤ会館と呼ぶ鮭の資料館がある。イヨボヤとは、村上の方言で鮭のことをいう。イヨは古語イヨ、筆者の子どもの頃、釣り竿をヨウツリザオとよんでいたが、このヨウもイオからきているようだ。この施設で村上市を流れる三面川のサケに関する歴史や文化などを知ることができ、季節によりサケの産卵やふ化するまでの様子を観察できる。産卵のために生まれた川をさかのぼって来る鮭を捉えて塩を加えて乾燥させる塩引きはこの地方の名物となっている。
 ネットでは、日本での遡上は高緯度地域ほど早く十月から十二月で、北海道・東北地方の川が主であるが、本州中部から西部の日本海側や関東地方の川にも遡上し産卵する。水温八度では、六十日程度かかって艀化し五十日程度で腹部の卵嚢の栄養分を吸収し終わると浮上する。浮上時は体長五センチ程度でプランクトンを主とした補食を開始する。浮上後から海水耐性が発達していて、三月から四月頃に日中に群れで移動し降海する。 日本系シロザケでは降海した当年魚は北海道沿岸を離れ夏から秋には千島列島のごく沿岸かオホーツク海の水温八度前後の水域を生活域とし、水温が五度程度になると北西太平洋の限られた水域に移動し越冬をする。越冬後はアリューシヤン列島からベーリング海中部を餌場として表層から百メートル程度の水深まで分布し、秋には体長三十七センチ程度まで成長する。一―六年の海洋生活で成熟した個体は、母川に向け回帰し産卵活動を行うと書かれている。
 北越雪譜の初編巻之下に「鮭の字考え」「鮭の食用」「鮭を出す所並びに鮭の初め終り」「鮭を捕る打ち切り並びにつづ」「掻網」「漁夫の溺死」「鮭漁の類術」「鮭の洲走り」の八項目にわたって鮭を述べている。牧之はこの中で多くを「C」の字を当てている。この項では現在一般的に用いる「鮭」に統一した。その中の「鮭を出すところ」を要約してみよう。アンギン
 鮭は五機内西国で出る話をきかない。東北の大河に通じるところには鮭がいる。松前や蝦夷地が最も多い。塩引きとして取引されるのは当地に限る。次はわが越後である。また、信濃、越中、出羽、陸奥も捕れ、常陸も捕れると聞く。これらの土地では、捕れた土地で食べるだけであり、移出するには足りない。
 江戸には利根川があるが、稀にしか捕れないので、初鮭は初鰹の値段に匹敵するという。越後では、毎年七月二十七日、諸所にある諏訪神社の祭りの翌日から鮭漁をはじめ、十二月の寒明けを漁の終わりとする古志郡の長岡や魚沼郡の川口のあたりで一番に捕れた初鮭を漁師が長岡藩主に奉ると、鮭一頭(一頭を一尺という)につき米七俵を下される(これは五番までである。奉る鮭には、決まった寸法があって、小さくなると俵の数も下る)。鮭の大きいものは三尺四、五寸、小さいものは二尺四、五寸である(これより小さいものもある)。男魚・女魚の名もある。女魚は子を持っているので、男魚より値段が高い。五番まで藩主に献じてから後を売るのである。初鮭が貴ばれること、これでわかるだろう。これを賞味することは、江戸の初鰹に劣るものではない。初鮭は銀のように光って、少し青みを帯びている。肉の色は、紅を塗ったようである。仲冬のころになると、身にまだらの錆が出て、肉も紅が薄くなり味も少し落ちてくる。越後では、川口や長岡のあたりを流れる川で捕れたものが高級品である。その味は、ほかのものに比べると十倍にもなろう。その土地からすこしでも離れれば、味が落ちる。味わいがよいものは、北の海から長い川をさかのぼって苦労した度合いにあるのだろう。魚が激しい波に苦労すれば、味が必ずよくなるのである。北海の魚は味わいが濃いのに、南海の魚は味わいが薄いというのも同じことである。
 当地方では正月鮭を年取り魚とよんで、この鮭を食べて初めて年を重ねることができる。日常魚や肉のたんぱく質を取る機会のないこの地方ではこの鮭は上等な食べ物である。
 長岡の金峯神社で行われる王神祭は、鮭料理が祭りのメーンとなる。宮司が鮭に手を触れることなく、二本の鉄箸と包丁で鮭を三枚におろす。祭儀は定刻にまず祓詞を奏上する。
 ついで御花米と雛形を用い雛形行事を行う。雛形行事は雛人形の意義と同じく穢れを雛形に託す神事で、現在でも修祓といって神社で祈祷を受ける際大麻を用いお供えものや参列者を祓う神事の原形である。この雛形行事が終わると、三つの盃の一つに一献神酒を注ぐ。次に年魚行事を執り行う。神前中央に奉った鮭を宮司が魚に手を触れることなく、二本の鉄箸と包丁で三枚におろし鳥居の形に整える。これを思念切り(おんねんぎり)という。終わるとさらに一献盃に神酒を注ぐ。
 新潟市に伝わる伝説「王瀬長者」は鮭の大助小助が川をさかのぼってくるのを捕まえたためにたちまち長者の地位が失われてしまったという伝説がある。産卵のために生まれた川をさかのぼって来る鮭は北方民族の生活と密接に結びついていた。
 人は晩年になると故郷が恋しくなって故郷を目指す。数年かかって自分の生まれた川に帰ってくる母川回帰性という鮭の習慣はあるいは人間にも当てはまるのかもしれない。


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