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私の「北越雪譜」半世紀 23 俳人牧之

鈴木牧之suzuki bokusi

鈴木牧之

その23 俳人牧之

 鈴木牧之は俳人である。この「牧之」(ぼくし)も俳号である。庵号を秋月庵と言った。庵号とは「草や木を結んで造った粗末な家」の意味で他にも庵号を持つ俳人が多い。牧之の本名は義三治である。父は俳号牧水、其心亭曳尾より俳譜伝授をうける。牧水の庵号は、周月庵という。音では父子ともに「しゅうげつあん」で区別できにくいので、牧水を「あまねくつき」と呼んでいる。牧之もこの父の影響を強く受けて俳句を詠むようになったと思われる。牧之は俳句環境に恵まれていた。父も「牧水」の俳号をもち、俳人だった。六日町に嫁いだ姉「この」の夫無事庵慮呂も著名な俳人である。今成慮呂は、本名善蔵、このが嫁いだ時二十八歳。宝暦六年(一七五六)生まれ。安永四年、二十三歳の時、京都に樗良を訪ねて入門を請うたが、断られ、「庵の梅尋ね得くんば、香に死なん」の一句を残して去った。樗良がその才を感じて入門を許した逸話は有名である。樗良は、この年十一月、五十六歳で没している。慮呂は、文政八年(一八二五)七十歳で没す。三浦樗良や安田以哉坊は越後を旅した著名な俳人である。
 牧之は七十三歳の生涯で、約三千句の作品を残しており、還暦を迎えて自選の俳句集『秋月庵発句集』を作成した。次の句は牧之自身が好きだった句である。
   そっと置くものに音あり 夜の雪 牧之
 しんしんと降る雪には音もなく降り積もりたちまち一夜にして一メートルを超える大雪となる。それに比してぼさぼさと音を立てて降る雪の降雪量は取るに足りない。豪雪地塩沢に住んでいてこそわかる雪国の実感である。この句は鈴木家の菩提寺長恩寺に句碑となって建てられている。
 享和元年(一八〇一)同郷の俳人「楓舘茂兮」と一緒に『十評発句集』を発行。京都橘屋治兵衛刊。牧之は「補助」として名を連ねる。
 天保元年(一八三〇)牧之は還暦を記念して『秋月庵発句集』をまとめた。これが牧之の俳句集成ともいえる。牧之は還暦にあたり、十八歳のころから詠んだ俳句や紀行文「東遊記行」「西遊記西国巡礼」「苗場山記行」「草津霊泉入湯記」「北海雪見行脚」「続東遊記行」を整理し、上下二巻の『秋月庵発句集』としてまとめたが、このうち鈴木家に伝わっていたのは、下巻のみで、上巻は「幻の発句集」としてみつからなかった。ところが、昭和五十七年八月五日、塩沢町の宇賀山家の古文書の中から発見された。新潟県は翌年県の文化財に指定し、鈴木牧之記念館に保管されている。この書『下の巻』「愚老年賀の序」に牧之の俳句観がでているので要約してみよう。天昌寺の牧之句碑
 わたしは仕事に追われて、晩年になっても風雅の奥義を極めることなく、そのため、父の集めた俳譜の書も虫干しの時に触れるだけであった。生涯俳句は「偽牧之」ながら「鳥無き里の蝙蝠」(鳥がいないところでは、ただ飛べるというだけでコウモリが偉そうにする、あるいは偉そうに見えることから、ある分野に関して、本当に優れた人がいないところでは、ちょっとその分野に知識等があるだけで、その道の権威然とすることのたとえ)にて処方の発句の点取りさえも見もしなかったが、ようやく年も老年を迎え、この俳諧の道に深入りせぬまま夢幻のように去年六十一歳の還暦の春を迎え、中には世に聞こえたる著名な人からの詩歌書画が箱いっぱいになるのもそのままにしていたが、これを子や孫に残そうとして、経師屋の手も借りずに、手足かなわぬ老後の楽しみにしようと還暦をすぎて、隠居して過ごすこともこのまま、不細工ながら世に残そうとまとめようとしたものである、と述べ、
   吾庵に過ぎたる筆の茂り哉
の句を詠んでいる。
 その牧之の俳句業績の中で最大の物は、浦佐毘沙門天奉納句寄せ四千百余吟事業であろう。触書は今の募集要項である。その集まった句を十人の選者に送り、選んでもらう。その集大成が『十評発句集』(享和元年 一八〇一年)である。この時牧之は三十二歳だった。この句を奉納額に書いて舟で浦佐まで運んだ。俳句の師匠として湯沢滝の又阿弥陀堂、十日町西ノ宮神社奉納句選などで選者を務めている。
 牧之の句碑としてもう一基、思川の天昌寺に
   花に来て思わぬ雨の舎りかな
の句が平成二年に建てられた。天昌寺は牧之の叔父の住む寺である。ここに花見にきて思いがけなく雨にあって雨宿りしたという句である。
 天保年間牧之は内外の俳人から送られてきた短冊を集めて『短冊扣帳』と題して一本に仕立てた。そこには短冊の脇に本名、出身地など解説を加えている。全体を五段に分け、合計三九三名の俳人の短冊が並べられている。序文を見ると父牧水時代から集めたものらしい。その俳人も美濃・讃岐・尾張・熊野・京都・信濃まで広がっている。ここから牧之の俳句の世界の広大な裾野を見ることができる。
 では、牧之は辞世の句を残さなかったのであろうか。牧之晩年の句で筆者が挙げるとしたら次の句を挙げたい。
   一雫ふた雫つつ終氷柱(つらら)かな
 小さな雫が少しずつ固まってあの大きく固い氷柱に変わる。積み重ねの大切さを詠んだのではあるまいか。小さいときからの文章の積み重ね、それが大きな氷柱になって今に残る。


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