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木喰仏を巡る旅 | 著書紹介

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木喰仏三十五体の大群像の一部

小千谷市小栗山 小栗山木喰観音堂 木喰仏三十五体の大群像の一部

『木喰仏を巡る旅―越後佐渡 ほほえみの仏たち』を紹介します。

木喰仏を巡る旅  高橋 実/著

木喰仏を巡る旅
木喰(もくじき)とは

 木喰上人(もくじきしょうにん)とはどんな人物だったのだろうか。木喰とは木食戒を積んだ人、上人は偉いお坊さんの称号である。木食戒とは真言仏教の修行の一つで、米や粟の穀物を食べず、木の実を食べて行を積むことをいう。
 木喰上人=木喰五行は江戸時代後期の回国遊行僧(修行のため諸国を巡り歩く僧を遊行僧と呼ぶ)で、甲斐の国(今の山梨県)に生まれた。晩年彼は千体の仏像を刻むことを祈願して、九州から北海道まで全国を回って日本全土に微笑する仏像を刻んだ。
 その木喰仏は刻まれて百年、長い眠りに入っていたが、その寝床の扉をたたいたのは、民俗研究家柳宗悦(やなぎむねよし)だった。そして、その柳が注目したのが越後・佐渡(新潟県)である。
 没後二百年を経て全国にいまだ残る木喰仏が六百二十体、そのうち二百六十体が越後・佐渡に残っている。三十体以上の木喰仏群像が残っていて、一木彫成最大の仏像が残っているのも、越後だけである。また、佐渡には四年間の長きにわたって滞在した。木喰上人がよほど好きだった越後.佐渡。ここはゆかりの少ない旅人を温かくもてなす土地であった。越後・佐渡の木喰仏を訪ねてこのドラマの幕を開けてみよう。


 
目次
木喰とは 6
【長岡市】
寶生寺 9
上前島金毘羅堂 17
真福寺 23
【小千谷市】
小粟山木喰観音堂 29
【柏崎市】
西光寺 37
真蔵院 42
安住寺 45
十王堂 51
柏崎市立博物館 57
安蔵田観音堂 62
コラム 64
【上越市】
大安寺 69
清風院 74
圓蔵寺 77
【魚沼市】
真福寺 80
正圓寺 83
【南魚沼市】
大崎院 86
満願寺 89
小木六観音堂 92
大月観音堂 94
中島家 96
【佐渡市】
石名清水寺 100
大興寺 103
円照寺 106
佐渡博物館 108
あとがき 110

 
「木喰上人」年表 著書に掲載されています

1718(享保3年)
甲斐国丸畑村(現在の山梨県南巨摩郡身延町)に伊藤六兵衛の次男として生まれる。
1731(享保16年) 14歳
丸畑を出奔、江戸・関東各地を放浪。
1739(元文4年) 22歳
相模(神奈川県)大山不動尊に参詣。その折にたまたま泊まり合わせた高僧に真言密教を説かれ師弟の契約をし、修行する。
1762(宝暦12年) 45歳
真言宗の木食観海上人の弟子となり木食戒を継ぐ。
1773(安永2年) 56歳
「三界無庵無佛木食行道」を名乗り、日本回国修行の旅に出る。
1778(安永7年) 61歳
東北各地を経て北海道へ。(この頃から彫像を始めたとされる)
1781(天明元年) 64歳
東北から南下して佐渡へ渡り、4年間滞在。
1793(寛政5年) 76歳
九州一円を勧進中、名を「天一自在法門木喰五行菩薩」と改める。
1802(享和2年) 85歳
再び越後へ入り、小栗山観音堂で三十三観音像などを彫像。
1805(文化2年) 88歳
米寿を迎え、八木版画を刻み有縁の人びとに配る。
1806(文化3年) 89歳
越後を離れ、京都・清源寺で十六羅漢を造像。「神通光明明満仙人」と名乗る。
1810(文化7年) 93歳
6月5日入寂。戒名は『円寂木喰五行明満聖人品位』


 
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<本の事項>
書 名 木喰仏を巡る旅
副書名 越後佐渡 ほほえみの仏たち
著者名 高橋 実/著
    大久保 憲次/監修
出版社 新潟日報事業社
出版地 新潟
出版年 2011年
定 価 1600円+税
ISBN 978-4-86132-441-3

長岡市白鳥 真言宗豊山派寶生寺 三十三観音の大群像の一部

長岡市白鳥 真言宗豊山派寶生寺 三十三観音の大群像の一部(下段中央は木喰上人自刻像)

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