本文へスキップ

岡和田晃氏文芸時評(第四小説集『枝雪弾く』を含む)

書評book

遍在する「繕うべき綻び」を暴き立てる神話的なアプローチ
 岡和田 晃(文芸評論家・ライター)「図書新聞」第3226号 2015年10月17日

小説集『枝雪弾く』高橋実/著についても書評されています。

 「図書新聞」紙上で連載中の岡和田晃(文芸評論家・ライター)氏「<世界内戦>下の文芸時評・第八回/遍在する「繕うべき綻び」を暴き立てる神話的なアプローチ」の中で、第四小説集『枝雪弾く』も取り上げられましたので紹介します。時評中程に記載されています。



■遍在する「繕うべき綻び」を暴き立てる神話的なアプローチ
<世界内戦>下の文芸時評・第八回 

岡和田 晃 

図書新聞

 筒井康隆の新作「モナドの領域」(「新潮」)が発表された。一九三四年生まれの御大自身が"最高傑作にして、おそらくは最後の長篇"と豪語する自信作だ。その本作ではずばり、"神とは何か"という問いに対する直截的な切り込みがなされている。伏線らしきものに異物として、西洋美術史の教鞭をとる結野楯夫教授に憑依したGODなる存在が混入してから、GODの演説が大半を占める異様な展開を見せるようになってしまうのだ。自分が神、いや「実際には神などよりもずっと上位の存在」なのだと言い放つGODは、時間と空間のすべてに遍在しており、「わしと共に宇宙はあった」とまで断言する。実際、本作においては、GODが全能者であることは自明のものとして描かれ、展開する議論はすべて相手を折伏させるレトリックのためのレトリックになっている。アリストテレス、トマス・アクィナス、ライプニッツ、ハイデガー、リオタールら、哲学者たちの抽象的な神学論をGODはかなり強引に総括していき、引っ立てられた「大法廷」で、あるいはTV番組で、自分が神であることとその全知全能を雄弁に説いて回るのだが、なんと作中人物は誰一人としてGODを論破できない。クライマックス、若くてTV慣れしているSF評論家に尋ねられたGODは、自分が存在する世界もまた、SF的な多元宇宙の一つ、もしくはディヴィッド・ルイス流の可能世界の一つとしての「単に小説の中の世界」にすぎないと告白する。この点において、GODの発言は完全に"作者=筒井康隆"の肉声と一致することになる。
 筒井が「NW-SF」誌を通じて支援し、また評者の考える"最高傑作"である『脱走と追跡のサンバ』で仮想敵ともしたニューウェーヴSF。それを代表する作家のトマス・M・ディッシュは、二〇〇八年に自殺したが、遺作The Word of God:Or,Holy Writ Rewrittenで自分が神だと語っていたのは有名な話である。それこそドストエフスキーがポリフォニックに示したように一種の不可知論として神的なものを捉えるのではなく、肥大化した作家的自意識を「神」と同一視し、そこから見える風景を、本作のようにアイロニーを締め出す形で描いてしまうことは、長期にわたるキャリアを"完成"させようとするうえで、たまらなく魅力的な営為かもしれない。だが、そこにはディッシュが落ち込んでしまったような陥穽が、常に待ち構えているのも事実なのだ。
 本作では、SF評論家が、GODという「宇宙意志」の基盤をなす「知性の究極の理由」とは何かを尋ねたところ、GODに「これは存在しない」と答えられ、「全員が、えっ、と驚く一場面が描かれる。そのうえで、抛っておくと収拾がつかなくなり「地球規模の破滅」につながるという「繕うべき綻び」についても、GODは「モナドの領域」において、すでに予期していたという。つまり、決定論に縛られて動けないGODの代わりに「読者」の介入が必要なのだと、注意深い読者は汲み取ることもできようが……むしろ鼻につくのは、過去作においては筒井が巧妙に避けてきたモノフォニックな自意識の体臭だ。本作には「モナド」としての個人が他者から絶望的に切り離されてしまっているという哀しみの描出が決定的に欠けており、選民意識のみが露悪的にクローズアップされている。
 「自分たちが創造したこの出来損ないの世界がいつになってもいとおしい」と、ギリシア神話の神々が再来するジョン・バンヴィルの『無限』。中世ヨーロッパ(によく似た異世界)の汚辱に満ちた血みどろの歴史に「観察者」として立ち会いながら、傍観すべきか軌道修正に介入すべきか苦悩し、あるいは惨劇へと巻き込まれていくストルガツキー兄弟の『神さまはつらい』(あるいは同作を驚異的な再解釈によって映画化したアレクセイ・ゲルマン監督の『神々のたそがれ』)。これら先行作が成し遂げた達成に、残念ながら本作は到底及ばず、少なくとも眼高手低の観は否めない。筒井康隆にはこちらがあっと驚くようなりベンジを期待したいところだ。『残像に口紅を』を「φ」で、『虚人たち』を「内在天文学」で、「バブリング創世記」を表題作で「継承」した『虚航船団』2.0としても読める円城塔『シャッフル航法』(河出書房新社)が出たばかりなのだから、そのような思いは余計に強くなる。そういえば松波太郎「ホモサピエンスの瞬間」(「文學界」)は、鍼灸や経絡といった東洋医学のモチーフが、諏訪哲史『りすん』を彷彿させる躁的な饒舌体を介し、身体に込められた歴史の陰翳を徐々に解放させでいく問題作だが、こちらは作家が神となることの傲慢さについて、きわめて自覚的に書かれていた。
 筒井が示した作家的傲慢によって完全に見えなくなってしまうものを丹念に掬いあげたのが、高橋実『枝雪弾く』(雑草出版)だろう。一九四〇年生まれの高橋は、鈴木牧之の『北越雪譜』に魅せられ大学に残る道に惹かれながらも、あえて地元に残って教師たる道を選ぶ青年を描いた私小説「雪残る村」を同人誌「文学北都」に発表し、第五二回芥川賞の候補作となった。この頃は同人誌から芥川賞や直木賞の候補作が盛んに生まれたが、いま読むと、こうした候補作の方がむしろ優れているケースも珍しくない。それから半世紀。高橋は教員生活と並行して『北越雪譜』の研究を続け、今や鈴木牧之研究の第一人者として名を知られている。のみならず、中央文壇とは別の場所で堅実に創作を続け、本書は小説集としては四冊目となった。高橋の創作に一貫しているのは、時代の趨勢へいたずらに右顧左眄することなく、世間から時代遅れとみなされたものこそを凝視するという眼差しの強度だ。その作品は、川端康成や向井豊昭と並べて読まれるべきだろう。『枝雪弾く』は、著者が勤務した養護学校で出会った生徒たち、瞽女への関心、貧しいながらも新潟の風土に根を下ろして生き抜いた祖父・寅松の生涯など、多様な作品を安定感のある味わい深い筆致で描いており、地方文学の収穫といえる。
 筒井と同じくキャリアの長い作家(一九三五年生まれ)である李恢成「地上生活者 第六部 最後の試み」の連載が「群像」で開始された(第四部の刊行から四年の間を空けで『第五部 邂逅と思索』の単行本も講談社から刊行された)。第六部冒頭で、富岡製糸場の訪問に始まり、「朝鮮に資本主義の萌芽はあったのかどうか」という問いを、近代史を遡る形で考察していく圧倒的な迫力は健在であるが、ここで金玉均にからめて北海道文学についてのエビソードが披歴されるのは重要だろう。ここでは「N高二年生のとき、ぼく愚哲」が鶴田知也の『コシャマイン記』に出逢い、「一気に読んだ。こんな小説があったとは。咽喉が鳴った」と語る場面がある。「それはアイヌ民族の聡明な少年が長じて同族(ウタリ)の復権のためにあらゆる力を尽すが、身内の裏切りのために、日本人(シャモ)の妊計にはまって非業な最後を遂げるという内容」である『コシャマイン記』の叙事詩的文体に、彼は「聖書の痕跡」を看取するのだ。東條慎生は『コシャマイン記』以後の鶴田が翼賛体制へ回収されていく模様を丹念に論証したが(「裏切り者と英雄のテーマ―鶴田知也「コシャマイン記」とその前後」、『北の想像力』、寿郎社)、李恢成は文体のダイナミズムを吸収することで、ブレない作家としての核を築き上げる糧を得たのだろう。実際、作家自身、植民地文化学会二〇一五年研究大会での「フォーラム 内なる植民地(再び)」(二〇一五年七月一一日)にて、『コシャマイン記』を熱く評価するコメントを残していた。
 こうした叙事詩的なスタイルで、今こそ復興が求められるのは、ロバート・E・ハワード+藤原ヨウコウ「神の石塚」(中村融訳、「ナイトランド・クォータリー」)のような作品だろう。「白いキリストとオーディン、キリスト教と多神教との闘い」のような神話的モチーフを、ジェイムズ・ジョイス的なモダニズムの技法とは異なる、神話的なものにぶつかり合う身体の魅力が模索されていた。ハワードの作品を男根中心主義的だとして排除することなく、そのパッションを文学再生に活かす視座が切実に求められている。一方、間瀬純子「北極星」(「ナイトランド・クォータリー」)は、ロード・ダンセイニに強い影響を受けたH・P・ラヴクラフトの同名短編のオマージュとして着想された作品であるが、タルコフスキーの『ノスタルジア』あたりに提出されたイメージは近いか。流死(ルシ)国極東都市、監獄長官の卑(ヒ)ヨドル、その娘・俚(リ)ザヴェタ、伴狂者・愚(グ)レ悟(ゴ)リイ、「聖なる煮殺(ニコロ)ス」といった、巧妙な漢字表記を通じ、遍在するロシアの民間信仰を、硬質な文体を基調に巧みに描きえている。それはアンナ・カヴァンの『氷』を連想させる怜悧なイメージと相侯って、「モナドの領域」ではおよそ不可能な神話的アプローチから「繕うべき綻び」を暴き立てている。
                                  ―つづく

図書新聞」第3226号 4面に掲載 



■岡和田晃氏のホームページもご覧ください。
 『Flying to Wake Island 岡和田晃公式サイト
■岡和田晃氏の著作(一部)のご購入はこちらから(Amazon.co.jp)

 
枝雪弾く
お求め

<本の事項>
書 名:枝雪弾く
書名よみ:エダユキハジク
著者名:高橋 実/著
出版社:雑草(あらぐさ)出版
出版地:長岡
出版年:2015.7.(平成27年7月4日)
ページ数:241p
大きさ:21cm
定 価:2200円


・ご購入を希望の方は高橋実(0258-95-2340)までお問い合わせください。
    代金振込み先:郵便振替 00640-6-6258 名義 高橋実
    郵貯通帳振込:店番128 普通預金 口座番号 1120518 高橋実
    定価  2200円(税込・送料とも)

 
高 橋 実  小 説 集
第一小説集 雪残る村 第二小説集 紙の匂い 第三小説集 さつきの花
第一小説集 雪残る村 第二小説集 紙の匂い 第三小説集 さつきの花
「文学北都」に発表した「雪残る村」が第52回芥川賞候補作となる。 この作品集は、私自身が建てる一つの紙の墓、おのれが籠る繭といえるだろう。 病気や死がいかに重大であるか、ここにきてようやく知らされることになった。
昭和49年8月刊 昭和55年11月刊 平成2年4月刊