本文へスキップ

座右の鈴木牧之 | 著書紹介

著書紹介book

『座右の鈴木牧之』を紹介します。

座右の鈴木牧之  高橋 実/著

<序文> 四十年来の成果が実って
元新潟大学教育学部教授
井上 慶隆
座右の鈴木牧之

 もう四十年余りの昔となる。私の勤めた長岡高校越路分校に新潟大学教育学部の学生が訪ねてきて、北越雪譜をテーマに卒論を書いているので、何か聞かせてほしいといった。若い日の高橋実氏である。私は、そのころ興味をもって調べていた雪譜の木版本の問題点を説明した。
 卒業とともに高橋氏は、十日町市の水沢中学校に赴任した。しばらくして、実は小説も書いているのだと、作品「雪残る村」を載せた十日町の同人誌『文学北都』を送ってくれた。さまざまな悩みを抱く自分を雪譜の著者鈴木牧之とダブらせながら、卒論の完成に努める豪雪地出身の学生を描いた私小説風の作品で、雪国に住むものでないとわからない雪中のぬくもりといった感じが伝わってきた。
 「雪残る村」はすぐに『文学界』に転載され、芥川賞の候補になった。芥川賞というのは、候補というだけでも大変なものらしく、研究仲間に過ぎない私のところまで、問合せの電活があったりした。しかし、高橋氏はマスコミに乗って軽挙することなく、教員生活を地道に送りながら、雪譜と牧之の研究を続けた。
 そんなことがあってまもなく、高橋氏が調査の打ち合わせで、長岡市鉢伏にあった正味十四坪の拙宅に来たことがある。芥川賞候補作家というので、女房は、鋭角的な相貌で視線のニヒルな川端康成・太宰治のような人かと緊張して待った。そこへ現れたのが、小太りでにこにこした童顔、まだ三つか四つの長女の相手をしてくれるほど気さくな高橋氏であったので、予想とあまりの相違に唖然としていた。頭髪のわずかな変化を除けば、彼の印象は今も当時のままである。
 高橋氏の研究態度は、文学・民俗学からの視点を主として思い入れが深い。その点で、書誌的、歴史的な考証にかたよる私とは異なっていた。この傾向の違う二人の長短を組み合せ、研究の進展をはかったのが、宮栄二氏である。昭和六十一年のその死まで、宮氏の指導のもと、私たちは、『校註 北越雪譜』(野島出版)・『鈴木牧之全集』(中央公論社)さらに多くの専門家の参加を得た『北越雪譜事典』(角川書店)と、基礎的な研究成果を世に問うた。
 この間、高橋氏は、牧之・雪譜への思いを深めるとともに、関係資料の収集に奔走 した。東に写本の存在がわかったと聞けば新幹線にとびのり、西に書簡があると知れば、愛車でかけつけ、また牧之ゆかりの人たちの情報を求めて手づるをさぐる。そして、それらについての報告・論証を次々と発表した。その中から選び、新稿を加えて本書が成った。
 小説家でもある高橋氏の文章は平易であるが、読み進むうち、読者はどの章節も三年や四年のにわかづくりでないことに気づくはずである。随所に新資料の紹介もあり、今後の牧之研究のみならず、近世文化研究の「座右」の書となるであろうことは疑いない。
 牧之・雪譜研究のほか高橋氏は、民俗学での活躍も目覚しく、県史をはじめ、自治体史などに業績を残した。特に、民話の採集にいい仕事をしている。そして何よりも中学・高校の篤学の国語教師として定年を全うした。ずっと郷里に住んで、地域活動の中心となり、最近は出版業務に携わる一方で、集落の区長もこなしているというから驚きである。家業を守りつつ文芸万般に才能を表し、町年寄格にまでなった牧之と何やら似通った人生である。
 ただ、高橋氏は、牧之の年齢に比べてまだ随分若い。そのうち区長の煩職から解放されでもしたら、またまた牧之研究に拍車がかかることになろう。成果はいずれ、第三、第四の牧之・雪譜研究書に結実すると思われる。
 四十年来のたゆみない高橋氏の精進を知る者として、以上、往時を回想しつつ、将来に期待、いま牧之研究に新しい好著の加わったことに率直な喜びを表明し、序文としたい。
 平成十五年六月


 
目 次
四十年来の成果が実って 井上慶隆 i
はじめに  v

第一章 私の鈴木牧之
一 私の塩沢 3
二 北越雪譜との出会い 4
三 卒論に取り組んだ頃 6
四 戯作「広大寺躍」の筆写 10
五 十返舎一九『滑稽旅烏初篇』 13
六 『校註 北越雪譜』の出版 16
七 北越雪譜が結びつけた人 19
八 私と北越雪譜 27

第二章 鈴木牧之の伝記を掘る
一 「写宝袋」の本 53
二 本版本「北越雪譜」 54
三 今泉隆平氏所蔵牧之資料 59
四 鈴木牧之と星名家・画家狩野梅笑 61
五 秋山郷へ牧之を案内した桶屋団蔵 65
六 馬琴の越佐の友人 66
七 良寛と牧之の交流 69
八 成沢雲帯宛鈴木牧之父子の書簡二通 81
九 新発見の大脇春嶺宛鈴木牧之書簡 90
十 家族へ恨みを込めた牧之遺書 103
十一 牧之還暦の賀寄せ書き 106
十二 鈴木牧之の子孫たち 112
十三 遺書に見る晩年の牧之像 116
十四 鈴木家家譜とその周辺 ―牧之の頃を中心として― 141

第三章 北越雪譜を掘る
一 「北越雪譜」天保年間出版の反響 157
二 曲亭馬琴『耽奇漫録』に載った北越雪具の雛形 159
三 峨眉山下の橋杭に寄せる良寛と牧之の詩 165
四 「北越雪譜」書名決定の謎 172
五 「北越雪譜」に載らなかった二十村闘牛図 176
六 山東京伝・京山兄弟、「北越雪譜」出版の謀略 181
七 明治の木版本「北越雪譜」に追加された序文の謎 186

第四章 秋山記行を掘る
一 秋山記行の稿本 193
二 県外に残された「秋山記行」の写本 197

第五章 鈴木牧之資料紹介
一 牧之全集未収録「短冊扣帳」翻刻 203

  初出一覧 238
  あとがき 240

 
はじめに 『座右の鈴木牧之』より

 ある日、新聞(平成八年十二月十三日、新潟日報)を見ていたら歌人の馬場あき子氏の講演の記事が載っていた。その記事は、馬場あき子氏が宮柊二没後十周年で講演し、北原白秋が宮柊二について「君は暗い。君は孤独だ。君の歌は木の瘤をさするようだ」と評した言葉を引用されていた。そして宮柊二の歌について馬場氏は「人間の存在は軽くないという思想が歌の瘤に、主題になっているのではないか」と述べたという。長い間、鈴木牧之(すずきぼくし)の評伝を心掛けようとしていた私にこの瘤と言う言葉は一瞬閃光のように閃いた。鈴木牧之の七十三歳の生涯はどしりと重く、ごつごつした、それでいて確かな存在感を持つ木の瘤ではなかったのか。その生涯は、その木の瘤をさするような感じである。この書に初めて接してから三十五年も経つ。その時が、あの高校生の時に読んだ『小国郷土史』の引用本だとしたら、四十年前と言うことになる。牧之が木の瘤をさするようにこの北越雪譜を書き継いできたなら、わたしもまた四十年間、木の瘤をさするようにしてこの人物と向き合ってきた。それは私の座右に鈴木牧之がいつもいたことにほかならない。昭和五十六年に『北越雪譜の思想』を越書房から出版した。あれから二十年が過ぎようとしている。その私も来年三月をもって定年を迎える。体力に余裕のあるうちになんとかして今までの牧之研究をまとめて置きたい。これが四十年間のまとめなのかといわれると恥ずかしいが、少し興奮気味の中でこのはしがきを書いた。いままでいろいろなところに書きためてきたものをここにまとめる気になった。はたしてこれが鈴木牧之の木の瘤をどれだけ触ることができたのか。 私自身も分からない。
 平成十二年十一月二十五日


 
お求め

<本の事項>
書 名 座右の鈴木牧之
著者名 高橋 実/著
出版社 野島出版
出版地 三条
出版年 2003年7月
定 価 2400円+税
ISBN 4-8221-0194-0

※ この本のお問合せは、高橋実(TEL:0258-95-2340)まで


★★★鈴木牧之著『校註北越雪譜』のご購入は★★★