本文へスキップ

木喰仏を巡る旅(上前島金毘羅堂) | 著書紹介

著書紹介book

木喰仏三十五体の大群像の一部

小千谷市小栗山 小栗山木喰観音堂 木喰仏三十五体の大群像の一部

『木喰仏を巡る旅―越後佐渡 ほほえみの仏たち』の内容の一部です。

上前島金毘羅堂(長岡市)

上前島金毘羅堂(かみまえじまこんぴらどう)

上前島金毘羅堂  上前島は長岡市郊外の信濃川右岸にあり、周りは一面の水田地帯である。集落入り口に金毘羅堂が立ち、秩父三十四観音、聖観音(総高六十五センチ)など三十六体の木喰仏が安置されている。群像の真ん中にあって眼鼻口もなくなり、顎(あご)が異常に長いのが自刻像。顎に見えるのは長い鬚(ひげ)がすり減って顎のようになってしまったものである。ここに安置されている木喰仏は、どれもすり減っていて、背銘が消えている。顔のすり減った原因は、子どもたちが橇(そり)遊び・川遊びの浮き代わりにして遊んだためという。それでも遊びが終わると必ず元に戻して一体も失われなかったという。別名「流れ木喰」とも呼ばれる。
 この仏像を刻むに深く関わったのが、青柳家(当主青柳清二氏)である。 木喰上人は享和二年(1802)佐渡を再訪するため三国峠を越えて越後へ入り、この青柳家に草鞋(わらじ)を脱ぐ。

 以後ここを活動拠点として越後各地に出かけて造仏活動を行った。ここで刻まれたのは、秩父三十四観音と二体の自刻像(うち一体は、寳生寺へ)、真福寺へ贈られた金毘羅大権現であった。
 都合三十六体を三十二日間での作であるから驚嘆すべき速刻の例証と言えよう。青柳家の先祖青柳清右衛門(與清(よせい))が文化元年(1804)から足掛け四年、晩年の木喰上人に随従し、遠く丹波まで出かけて造仏の手伝いをした。丹波の木喰仏に「カセイアオヤナギ」(加勢青柳)の文字が刻まれている。
上前島金毘羅堂  文化四年信濃の下諏訪で與清(清右衛門)と別れる。別れに際し木喰上人は、清右衛門に白衣観音(総高三十六・五センチ)と、不動明王(総高十七センチ)、護符版木(ごふはんぎ)を形見として与えた。四年間働き手を失っていた青柳家は家の傷みが進み、清右衛門が帰宅した時、壊れた屋根から星の光が見えたという。清右衛門は文化十三年七月二日に他界した。
 青柳家には、仏像のほかに木喰上人ゆかりの奉納木額・名号軸など数点の品物が残る。上前島の金毘羅堂もかつて青柳家のものであったが、青柳家から村の管理に移された。


 
※ 木喰仏の写真は本書をご覧ください。
お求め

<本の事項>
書 名 木喰仏を巡る旅
副書名 越後佐渡 ほほえみの仏たち
著者名 高橋 実/著
    大久保 憲次/監修
出版社 新潟日報事業社
出版地 新潟
出版年 2011年
定 価 1600円+税
ISBN 978-4-86132-441-3


※ 『木喰仏を巡る旅』目次のページをご覧ください。

 

長岡市白鳥 真言宗豊山派寶生寺 三十三観音の大群像の一部

長岡市白鳥 真言宗豊山派寶生寺 三十三観音の大群像の一部(下段中央は木喰上人自刻像)

■木喰仏の本のご紹介