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木喰仏を巡る旅(小栗山木喰観音堂) | 著書紹介

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木喰仏三十五体の大群像の一部

小千谷市小栗山 小栗山木喰観音堂 木喰仏三十五体の大群像の一部

『木喰仏を巡る旅―越後佐渡 ほほえみの仏たち』の内容の一部です。

小栗山木喰観音堂(小千谷市)

小栗山木喰観音堂(こぐりやまもくじきかんのんどう)

 小千谷市東山地区は、平成十六年(2004)の中越地震で大きな被害を受けた。その山古志に続く一帯はかつて二十村郷と呼ばれていた。小栗山集落はその一帯にあり、村外れの高台に小栗山木喰観音堂が立ち、ここに木喰仏三十五体の大群像が安置されている。長岡市白鳥(しろとり)町の寳生寺と並んで、新潟県の文化財に指定されている。木喰上人はこの小栗山の地がよほど気に入ったようで、享和三年(1803)から四年までの一冬をこの地で過ごしている。この小栗山の地形が故郷山梨の丸畑に似ていたからだという説もある。
小栗山木喰観音堂  この小栗山から眺めると平野部には日本一の大河信濃川が滔(とうとう)々と流れ、その向こうには西山丘陵が連なっている。越後の名峰米山と越後富士と呼ばれる刈羽黒姫を遠望できる。険しく迫る山肌、急峻(きゅうしゅん)な耕地と狭い街道、むき出しの大地は地滑りの常襲地帯でもある。冬は四メートルを超える豪雪地帯、住民はこの深い雪の中で、雪と戦う厳しい生活を強いられる。ここにはかつて行基菩薩を本尊とする観音堂が立っていたが火災に遭って焼失した。そこで上人に仏像の彫刻を頼んだのだ。
 木喰上入を最初に連れてきたのは広井主計(かずえ)信之であった。この冬の間に上人はここに留まり、三十五体の群像を彫り、さらに世話になった村人へ五体の仏像を残している。

小栗山木喰観音堂  木喰観音堂の中で、中央にひときわ大きく立っている如意輪観音像(二百四十センチ)が最大で背銘「享和三年八月朔日日本千タイの内天下和順・日月清明天一自在法門日本廻国八十六歳木喰五行菩薩」と書かれている。右手を頬に当て、幽(かす)かに微笑む表情が素晴らしい。その両脇に行基、大黒天が祭られ、左右に三十二体の群像が屹立(きつりつ)している。行基像は、かつて全国に三体あったが現在確認できるのは、この一体だけである。どうしたわけか堂内の他の三十二体すべてに「八月朔日」の背銘が入っている。すべて彫り終えてほっとした気持ちでこの文字を書き終えたのであろうか。
 大正十三年(1924)十月十二日、柳宗悦(やなぎむねよし)は小栗山を訪問した。この時は、小栗山出身の彫刻家、広井吉之助の案内だった。今は越後滝谷と名前を変えたが、上越線六日市駅から徒歩で小栗山まで歩いたという。昭和四十二年(1967)三月に寳生寺とともに新潟県文化財の指定を受けた。


 
※ 木喰仏の写真は本書をご覧ください。
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<本の事項>
書 名 木喰仏を巡る旅
副書名 越後佐渡 ほほえみの仏たち
著者名 高橋 実/著
    大久保 憲次/監修
出版社 新潟日報事業社
出版地 新潟
出版年 2011年
定 価 1600円+税
ISBN 978-4-86132-441-3


※ 『木喰仏を巡る旅』目次のページをご覧ください。

 

長岡市白鳥 真言宗豊山派寶生寺 三十三観音の大群像の一部

長岡市白鳥 真言宗豊山派寶生寺 三十三観音の大群像の一部(下段中央は木喰上人自刻像)

■木喰仏の本のご紹介