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長岡民話の会の結成【長岡民話の会の結成活動】

長岡民話の会の結成【長岡民話の会の結成活動】mukasi

長岡民話の会の結成(『越後山襞の語りと方言』より)

高橋 実 

 
長岡民話の会の結成

 平成十五年長岡市民企画公募型事業に瞽女唄ネットワークから企画提案された「昔話語り部養成講座―越後の昔話を語ってみよう」が採用され、始まった。
 瞽女唄ネットワークでは、毎年「語りつくし越後の昔話」を企画し、平成十六年で第十二回を実施した。それで、この語り部を養成しようと、企画したものだった。
 締め切って見ると、二十名の定員に二十五名以上の申込者があって、希望者を断る事態にもなった。
 購座は、その年、六月十四日から十回シリーズで始まった。講師に県民俗学会駒形さとし先生や佐渡民話の会児玉宗栄氏を頼んだ。また民話の語りには、新津の鵜川ヤイさん、村松の岩野マサさん、そして佐渡の大岩ミドリ・菊池ナミさん、柏崎の大掛きみこさん.中川ナツ子さん、小国の山崎正治さん、越路の高橋ハナさんから民話を語ってもらった。
 講座の最終日には、受講生の発表会を設定した。受講生二十人が発表した。山崎正治、大掛きみこ、中川ナツ子さんからゲスト出演をお願いした。会場は長岡リリックホール第一スタジオ。受講生の知り合いなど観客も大勢集まった。
 この受講生を中心に長岡で民話語りグループを立ち上げたいという願いは強くあった。既に柏崎・佐渡・魚沼ではグループが出来ていた。そこで、私は次のような趣意書で会の結成を呼びかけた。

 民話は、古くから雪深い、山奥の村の語り婆さん、語り爺さん達によって親から子へ、子から孫へと伝えられてきたものです。子ども達はこの話を聞いて、生きる知恵や勇気、やさしさを身につけ、育ってきたものです。その民話の語りの機会が失われて随分たちました。めまぐるしく変化する社会の動きの中で、子ども達の心も次々とかわり、荒れてゆくばかりです。社会には目を覆いたくなるような出来事が次々と起こり、子ども達ばかりでなく、大人も老人もあくせくした毎日の生活の中で、民話の中で培われてきた心を見失ってゆくような気が致します。
 長岡にはかつて水沢謙一先生という民話の先生がおられて、野に埋もれたたくさんの民話を足で歩いて集められました。その先生と交流のあった語り部の人達も次々となくなり、あるいは老齢化して民話語りの伝統が消えようとしています。
 私たちは、このたび、長岡市芸術文化振興財団の「昔話語りべ養成講座」を受講して、その民話の意義を学び、その語りの大切さを実感しました。この講座は終了しましたが、ここで学んだことを実践し、長く継続してゆくために、受講生を中心に民話に関心を持っている人達とともに、この会を結成し、活動を始めます。
 民話の持っていた、あったかさ、人へのやさしさ、生きる勇気、思いやりなど、かつての語り部達には及びませんが、その意味を心に刻み、後まで語り伝えて行くことを願い、ここに、新しい会の結成を呼びかけます。どうぞ、民話に関心のある方、語りをやってみたい方、この会に参加してください。多くの皆さんの参加をお待ちしております。
私たちはこの会の活動方針を次のように立ててみました。
 一 民話の語り手養成
 二 語りの会の定期的開催
 三 求めに応じてどこでも出かけて民話を語る語りの出前態勢の確立
 四 民話、伝説、世間話の採集と研究
 十二月二十日、阪之上コミュニティセンターにて結成総会が開かれた。ここで、会長に番場仙司さん、副会長に堀井實さん、青柳保子さん、事務局長に大貫もとさんを選んで会員三十名で、会が発足した。規約・予算が承認された。
 発足と同時に新潟日報に載ったこともあって、出演依頼が舞い込んできた。施設・各種イベント、老人会などである。例会も月二回ときめ、その時の当番幹事から語りをやることにした。
長岡市中央公民館で「昔話講座」を五回にわたって開き、この参加者から民話の会に入会してもらう人も出た。
 平成十六年九月、長岡民話の会機関誌「きいてくらっしゃい昔話」第一号が発行された。その中で会長番場仙司さんは、次のように書いた。

(前略)
 ボランティア活動のレクリェーションに使えるものをと物色中に昨年、市の芸術文化振興財団の「昔話語り部養成講座」に出会い、一年間、先生方の講義や先輩方の語りにすっかり「ハマって」しまい、会の発足にももろ手をあげて参加させていただきました。何がそんなにというと、元来尺八・民謡・地唄、日本弓道など古来のものを好みながらも、結婚以来、四十年、朝は、パン食というちぐはぐな生活や、流されるがままの信念のない人生を歩んでいる自分に昔話は「自分の言葉で語り伝えられる」ということが、一番の魅力である。
 長岡市の南西の外れで、五反百姓のオジに生まれ、自由の身でありながら長岡から一歩も出ず、六十余年、職場で「お前は生粋の長岡人だ」と褒められ? ても気にせず、自由気ままに使っていた言葉も、結婚し現在の宮内郊外に居を構えてからは、周りの人々の言葉の良さにだんだん人前で話す事が苦痛になった。近所では、歳の離れた夫婦と見られたのも、後に知ったことであるが、容姿だけでなく、言葉の泥臭さが原因と知り、ガッカリ。
 また、最近倅の都会育ちの嫁が「父さんの話の中には時々理解できない言葉がある」と妻から伝え聞き、またガッカリ。オラ人前では、気ぃ使うて、特に嫁とは話題もねーろも、そうかと言って黙りこくっていては嫁も気ぃ使うと思うて無理してよそゆきの、こってぃいい言葉でしゃべっていたつもりらてがんね、そんげんこと聞くと、しゃべった方がいいがんか、黙っていた方がいいがんだか、悩んでしもうろも、こんげの自分にも使える言葉の世界があるなんて、六十五年生きてきていかったなあと思ったいし。
 これからは、わたしのように、回りを気にしたり、回りが使わず自分自身で封印している人たちに民話を通して、昔を懐かしみ、民話や言葉の持つ優しさ、温かさを伝えられるようになりたいと思っています。


 平成十六年十月二十一日、山形県南陽市の語りの館「夕鶴の里」一行と蓬平温泉で交流会をもった。一行三十人が参加し、お互いの地域の民話を語り合った。二十二日一行が帰った翌日新潟県中越地震が起き、蓬平温泉は壊滅的被害を受けた。この日程が一日ずれていたら山形へは帰れず、たいへんなことになってしまっていたはずだ。思わず胸をなでおろしたことだった。十一月六日に予定されていた「第一回 きいてくらっしゃい昔話」は地震のため、中止、翌年一月新年会をかねてうちわの発表会に切り替えざるをえなかった。
 平成十七年三月二日、長岡市立大島小学校に昔話語りに三人で出かけた。二年生に昔話を語った。私は「ふるやのもり」「天福地福」の二つを語った。子供達の反応もよい。「べと」などという方言は、子供達も知っていた。方言を知っているのは、祖父母と同居している子供達が多い。祖父母は子供達に地域の文化を伝達する重要な役目を担っていることを実感する。それでも「つぐら」「いしうす」など説明するのに、時間がかかった。子供達には、昔話のさることながら、暮らしの道具を知る必要を感じた。
 八月二十七日、会員十名で、小千谷市若栃地区の民話探訪に出かけた。ここは、マットムジナの伝説が伝わり、ムジナの穴が今でも残っていて、この穴が佐渡まで続いて佐渡の団三郎ムジナになったと信じられている。マットムジナは、葬式と火事が得意で、ムジナ退治の人が、穴に入ろうとすると、村全体を火事にしたり、葬式の行列を出したりするといわれる。大学二年の冬、私の住む小国町から雪の峠を越えて若栃に出かけたことがあった。それは、県民俗学会機関誌「高志路」に「真人民俗紀行」(一九三号)として発表している。
 ここで岡村亜美さんについて触れないわけにはいかない。大島公民館に招かれて昔話を語った時、一番前の席で、昔話を熱心に聞いていた彼女は小学校一年だっただろうか。昔話を語ってみないかと勧め、平成十五年「語りつくし越後の昔話」では、「小学生が語る昔話」を特集して、栃尾や柏崎の小学生と一緒に、彼女は堂々と語った。以来、私は、月一回程度語りの指導に岡村家を訪問した。彼女は、長岡民話の「おぐに雪まつり」「語りつくし越後の昔話」など次々と臆せず出演して、新聞社の取材も受けたりした。学校では方言の先生といわれるほどになったと聞いている。この亜美さんも、平成十九年四月中学校に進学して、部活などで語り活動から離れざるをえなくなった。この彼女の語り体験がこれからの彼女の人生にどう影響するのか、楽しみにしている。
 平成十八年七月十一日、長岡市立表町小学校に昔話の語りに出かけた。他に安部昌江、倉地祐子さんと三人で出かけた。その時、四年生に「生き針・死針」の昔を語った。その後、学校から感想が送られて来た。その中の幾つかを紹介してみよう。

 〇きょう七月十一日に昔話と方言をおしえてくれてありがとうございました。「生きばり死にばり」は、まずやまんばから生きばり死にばりをもらったお話でした。そして、テレビやパソコンで見た昔話とは全ぜんちがいました。ぼくは生きばり死にばりににたお話をしっています。その話は、少しのところはあっていますが、方言がありません。はりはおにから道具をもらっていました。うちわではなくて乗りものをもらっていました。十一月のかがやき劇場にきてください。まっています。

(四年 横手聡一郎)

 〇今日は表町小学校に来てくれてありがとうございます。
 今日、昔話をきいていろいろなことがわかりました。たとえば、語るスピードがおそいことや自分で想ぞうできるなどです。あと「あったてんがの」でげん実ではない世界に入って「いきがポーンとさけた」でげん実の世界にもどるなどいろいろあります。
 はじめて聞く方言が多くてよくわかりませんでしたが、いろいろな昔話を聞けてよかったです。あと、先生から聞いたんですが、昔話を四十こもおぼえられる人がいると聞いてビックリしました。十一月にはリリックホールでミュージカルがあります。ぜひ来てください。また来てください。

(四年 細木 一樹)

 平成十八年は、長岡市制施行百周年に当たっていた。市では、この年の事業に助成金を出すことになった。これに応えて長岡民話の会で「百物語」をやろうと言いだしっぺは、田辺昭成さんだった。「百物語」は、怪談会の一形式で、夜百本のロウソクを灯して怪談を語り合い、一話終わるごとにその火を消してゆき、語り終わって真っ暗になった時に、化け物が現れるという遊びである。百周年にちなんで、百話を語りつくそうという試みである。平成十八年八月二十六日から二十八日まで、長岡市民センター地下広場で実施された。この入場者は、のべ三百人となった。これを聞いた新潟市の宮本幸子さんは、次のような感想を新聞紙上に載せた。

 長岡市制百周年にちなんで、長岡民話の会が民話を百話語る公演を催した。
 「あったてんがのー」語り手のこの一言で、聴き手は民話の世界に引き込まれる。正直者で、無欲なジサとバサが、ネズミや鬼や地藏さんのおかげで財宝に恵まれ、幸せな暮しを送る話。やさしい若者にほれた月見草や菊の花の精が女になって若者と夫婦になる、だがそれとも知らぬ若者の不注意から正体を知られ、若者の元を去ってゆく甘くもせつない話。またこっけいで腹を抱えてしまう話。こわーい山姥や幽霊の話。さすがに新潟県は民話の宝庫、次々と話がつながってゆく。
 それぞれの演者の声や語り口調や表情によって、百もの話がまるで生き物のように息が吹き込まれ、聴き手に届けられる。そして、会場は笑いや同情など共感の声に包まれてゆく。主催者が挨拶の中で「民話は、今求められている優しさや温かさを語り継ぐもの」といわれた。私も単に昔の話としてではなく、今を生きる私たちに多くのものを語り伝える力を持っていると思った。そして、この民話を掘り起こし、語り継いでいる現代の「語り部」の方々に感謝したい。   (平成十八年九月八日 新潟日報「窓」)

 平成十九年は、民話の会結成四年目に入った。「長岡民話百物語」は第二回を迎え、四〇〇人の入場者を数えた。すっかりこの会の目玉イベントになってしまった。毎年一話ずつ増やしてゆこうという事で今年は百一話になった。話者は、栃尾、見附、柏崎、小国の各地から応援も含めて四十六名となった。
 十月には、県内の語りグループ連絡協議会の結成も予定されている。この語りの輪がどんどん広がってゆく。「挨拶のように民話を語り合おう」を合言葉に、人が集まったら、気軽に地域の民話を語りあえたらどんなに生活に潤いが生まれ、親しみがますであろう。

 
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越後山襞の語りと方言
著者名 高橋 実/著
出版社 雑草出版
出版地 長岡
出版年 2007年
定 価 2200円+税
ISBN 4-903854-00-7

越後山襞の語りと方言
 

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