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昔話の中の和歌【越後の昔話逍遥】

昔話の中の和歌【昔話の世界をのぞく】mukasi

昔話の中の和歌(『越後山襞の語りと方言』より)

高橋 実 

 
昔話の中の和歌

 初めに
 昔話の中に度々和歌が詠み込まれている。和歌は五七五七七の三十一文字を基本にして古代日本の記紀万葉の時代から延々と続く伝統的な手法である。
 室町時代になると、和歌は、五七五を上の句、七七を下の句として別々に詠む連歌形式が出来て、その中で、上の句が独立して、現在の俳句の形式に受け継がれてきた。
 男女の恋の掛け合い遊戯としての和歌が作られる。技巧をこらした掛け合いの面白さが歌そのものより意味を持ってくる。芸道は、歌われた文学としての歌よりも出来上がってゆく過程を大事にする。上流階級の遊びが、徐々に庶民階級に行き渡り、昔話の中に息づいている。和歌が、どのようにして昔話の中に組み込まれてきたのか。昔話の中でどのような意味を持っているのか。
 昔話の中で、歌われる和歌は、単独で使われることはきわめて稀である。大半は二人の掛け合いの和歌が登場する。Aが詠んだ和歌に対してBがそれに当意即妙に和歌で逆襲して相手をやりこめる手法に和歌が作られる。この中でAは、社会的にも経済的にも上流階級の身分の高い人物が登場する。それ対して身分の低いBが見事な和歌を作ってAをやり込め、相手の鼻を折る形である。
 その他、昔話と伝説の狭間にあって、著名な歌人西行や順徳帝・親鸞の歌などが文献に出てくる。

A 下位に居るものが、上位に居るものに和歌で逆襲して相手をやりこめる型

@ 粟ぶくろ米ぶくろ(「横越のむかし語り」平成十二年 横越町)
  粟ぶくろは先妻の子、米ぶくろは今のかかの子。山へ栗拾いにやらせる。粟には、栗の団 子と穴のあいた袋、米には米の団子といい袋を持たせる。粟は池の中で実の母から宝の袋をもらう。家に帰って粟の袋の栗が少ないので、かかに叱られる。だんなの家からせがれの嫁に歌詠みの上手な方を嫁にもらうといってくる。かかは粟に「夕ベふった猫のクソ、ネズケ立って、毛だって今朝ふった猫のクソ、いきがホガン、ホガン」と歌を教える。米には
  ・ベンサラヤ中山(ちゅうやま)(皿が脱落か)に雪降りて雪を根にして育つ松かや
 と教える。だんなが来て粟が先に歌を詠むことになり、「ベンサラヤ……」の歌を先に詠んでしまい、米は粟に教えた歌を詠んで粟のほうを嫁にもらうことにした。かかさは怒った。
 粟は祝言が決まり、死んだかかさからもらった袋で嫁入り道具をそろえてきれいになってだんなの嫁になった。
  この類話は、いろいろな話になって残っている。「村松のむかし話」「越後小国の昔話」[高橋八十八氏母堂 松代町関谷ワシさん語り]など。
A もくず長者(「煮豆のおかわり」富川蝶子自家版)
  だんなの家の三人の若い衆に旦那がよく働いてくれた褒美を出すが、何が望みか聞く。一番目の若い衆は上方参り、二番目の若い衆は二の膳つきのご馳走を食べたい。三番目の若い衆はもくぞうという名。もくずの仇名の意味を聞く。木の葉が落ちて腐ってゆくのを言う。
 もくぞうの望みは、ここの家のお嬢様の婿になることだった。お嬢は、歌の上句に下句を付けたら嫁になってもよいという。
  ・天より上に咲く花にどうして望みをかけたやもくぞう
 とお嬢が詠みかけると、もくずは次のような和歌で応える。
  ・花の命は短くて散ればもくずの下となる
 お嬢さんはこうしてもくぞうの和歌に感激して、もくぞうはめでたくお嬢の婿になる。
B 歌詠み(「横越の昔がたり」前掲)
  仕えていた家の旦那がなくなってその家の奥様が歌を作って感心したと帰宅した使用人 は、妻にこの事実を話す。
  旦那様の奥様の歌は
  ・永かれと祈る寿命の短くていらぬ私の髪のながさよ
 すると、聞いていた使用人の妻は、「おらでもおまえが死ななくたって歌を作れる」、次のような歌を作った。
  ・永かれと祈る布団の短くていらぬとっつぁのあしの長さよ
 「永かれと祈る」詠みだしは同じで下の句は聞いている亭主への逆襲である。
C ぼたもちのうた(「赤い聞耳ずきん」水沢謙一 野島出版 昭和四十四年)
  和尚の留守に小僧が牡丹餅を食って残りを雪の中に埋め、印にワラクツをのせておいた。
 朝雪がチラチラふって小僧が心配して上の句をよむ
  ・雪はチラチラ印のクツはうまる
 と歌を詠む。和尚が下の句を読む。
  ・雪はチラチラしるしのクツは埋まる中のぼたもちはなんとしたやら
 とよむ、昨日留守にぼたもちを食ったなと和尚は小僧をせめる。
D 小僧とランの鉢(「横越の昔がたり」前掲書)
  お寺の小僧が和尚の大事な鉢を壊してしまう。和尚が見つけて怒る。
  小僧が見てくれといって歌を詠む。
  ・一覧し、にらんで見たが三覧し、知らん顔してご覧あそばせ
 和尚は何も言われなかった。
E 近世半ばに編集された菅江真澄「かすむこまがた」にもウサギと田螺の掛け歌問答が載っている。
  田螺がうさぎと出会って歌を詠みかける
  ・旭さすこうかの山の柴かぢり耳が長くてをかしかりけり
 と詠むと、うさぎも
  ・やぶしたのちりちり河にごみかぶりしりがよちれてをかしかりけり
 と詠んで反論した。

B 下位にあるものが和歌を作る事、褒められて幸せを掴む
  または窮地を逃れる型

@ 殿様とへっこき嫁(「越後魚沼の昔噺」山田左千夫 平成十四年)
  熊のようなおおきな女で働き者だったが、へっこきが欠点だった。殿様の行列の前で
  ・松の葉や枯れても落ちても二人連れ 仲良きことはめでたきことかな
   いついつまでも幸せに
 と歌をつくり、殿様にほめられる。途端に屁がでて石ころを吹き飛ばすが、それが大判小判にかわり、それをもって帰る。隣の意地悪爺さのあねも小判をもらおうとしてまねして
  ・むかしの武士の侍が馬から落ちて落馬して腹を切って切腹なり
 と歌を詠んで、殿様を怒らせ、手打ちになるところへっこき女が頼んで助けてやる。
A 歌詠み(「横越の昔語り」前掲書)
  親衆があんにゃさにいかけやへ行って鍋の修理を頼んで来いと依頼した。土手を歩いていたら、殿様が散歩していて、川下から登ってくる鮭を見て、だれか歌詠みするものがないかというので、そのあんにゃさが、
  ・夜に立つ朝きてみれば、衣川裾ほころびて鮭がのぼるかな
 と泳んだ。今度は、殿様が藤の棚の猿をよめと言うので、
  ・うしろは鍋、前は白川藤の花 花見の猿におそれしらさぎ
 と詠んだ。殿様にたいそうほめられて、褒美をもらい、新しい鍋を買ってきた。親衆は大変喜び、褒美をドッサリもらった。
B 発句詠みの惣太(高橋八十八氏提供資料)
  旦那のおっかさんが庭で小便したのを見て
  ・白髪まじりのうすべべも 爺ィが見たら恋しかるらん
 と詠み、だんなに咎められると
  ・白葉まじりのうす牡丹 獅子が見たなら恋しかるらん
 と詠んだのだとごまかした。
C 和歌好きの嫁(高橋八十八提供資料)
  婿取りの娘の寝た床にゆく婿さが誤って供の惣太の足を踏んだのに
  ・満月の 月の出るのを待ちかねて 惣太が足に 踏み絡むとは
 と読んで、和歌好きの花嫁の心を得て婿に収まった。
D 為兼卿と遊女初君の歌(「北越雪譜」鈴木牧之)
  為兼が佐渡へ流される時に、寺泊の駅で順風を間、遊女初君が詠んだ歌
  ・ものおもひこし路の浦の白波も立かへるならひありとこそきけ
 為兼はこの歌に感激して「玉葉集」を撰集したとき、この歌を載せた。
E 「北越雪譜」のなかに「雪に座頭を降らす」という項目がある。
  大晦日に牧之が俳人を訪ね、年越しの夜に来る鬼の話を歓談中、窓を破って福一という目の見えない按摩が転がり落ちてくる。鬼の話の最中に鬼が来たかとびっくりする。ホリアゲを歩行中に誤って窓を押し破って家の中に落ちたという。家の者達は、恵方の方向から目のないものが転がり込むとはと主の妻が怒るところ
  ・恵方から福一という小盲(米蔵)が入りて尻餅つくはめでたし
 と読み、窮地を逃れる。
  ちなみに、昔話の「竜宮童子」は爺が門松を川に投げ込むと川から竜宮の使いが現れ、竜宮に連れて行って歓待し、帰りに何でも欲しいものが出るという「打ち出の小槌」をくれる。
 爺がコメといって打つと米が出、クラといって打つと蔵が出る。隣の爺が羨ましがって小槌を借り、急いでコメクラと続けざまに打つと、目の見えない子どもがたくさん出てきて欲深爺を殺してしまう。

C 辞世の歌を詠む

@ サルむこ(「雪国の夜語り」水沢謙一著 未来社 昭和三十三)
  サルが臼をかついで桜の木に登り、枝が折れて川へ落ちる。その時の歌
  ・サルさまは川へ流れて死ぬ命 あとに残る姫はなんとなるらん

D 西行と地元の人たちの掛け合い

  『日本昔話事典』(弘文堂 昭和五十二年)には、西行が出てくる次の四項目が見出しに載っ ている。
一 「西行と女」
  西行が旅をして女と和歌を交わす笑話。広島県の話で、女が尻をからげて豆をといでいる ところに、西行が通りかかる。あわてた女は、尻に笊をかぶせるのを見て、西行が歌を詠んだ。
  ・西行はながの修行はするけれど豆に笊はこれが初めて
 と詠むと、女は、
  ・尻にこしきは豆蒸し杵があるなら突けや西行
 と読み、西行が負けた。
  他に、雨宿りを拒む女に
  ・世の中をいとうまでこそかたからめ、仮の宿を惜しむ君かな
 と詠んで女の許しを得たという話。
二 「西行と小僧」
  西行が旅先でであったものを軽く見て、戯れに歌を詠みかけるが、かえってやりこめられ る話。   長野県では、西行が蕨とりの子供に
  ・子供らよわらびを取りて手を焼くな
 と歌うと、子供が
  ・法師さん檜笠きて頭を焼くな
 と詠んで西行をやり込めた。
三 「西行のはね糞」
  旅中の西行が雪の上に野糞したら、そのぬくみで雪が解けて萩の枝がぴんと上がったので、
  ・西行もいくらの旅はしてみれど、萩のはね糞今日が見初め
 と詠んだ。
四 「西行の戻り松」
  栃木県の西行の戻り石は西行が日光見物に来た時、草刈の小僧にどこに行くかと訊ねたところ、小僧が
  ・冬ほきて夏枯れ草を刈りにけり
 と歌い返したので、驚いて日光を見ずに帰ってしまったという話。
 が、これらの話は、次に例として載せた話と対応している。
@ 十五夜の月(「いきがポーンとさけた」水沢謙一 昭和三十三年)
  西行が国々を回っていた時、百姓家に泊まる。その家の婆さんはひどいけちだった。ある家の欲深婆さんが、一つのおけそく餅を半分に割って差し出した。西行は、衣の下に隠した半分の餅を見て
  ・いく野の旅もしてみたが、十五夜の月の半月これも初なり
  婆さが
  ・雲に隠れてここに半分
 というて、残りの半分を出した。
A 西行さんの話(「佐渡相川の歴史」資料集九)
  西行が旅の最中道端で便意を催し、道端で糞をひっていたら、糞がモコモコ動き出した。
 見ていると、その糞が歌いだした。
  ・忘れても道に昼寝はせんもんだ 駄賃とらずの重荷負い
 これはおかしいと西行はその返し歌を歌った。
  ・西行はいくらも旅をしてみたが くそのたかばや見るが初なり
 こうして糞を見ていたら、その中からカニがガチャガチャ這い出した。
B 西行法師の旅(「続むかしばなしうらがわら」浦川原村教育委員会 昭和五十一年)
  西行が旅の途中に便意を催し、川端の柳の下で枝を踏みつけて用を足し、そこを立ちのこうとしたら柳の枝が跳ね返って糞が跳んできた。そこで作った歌
  ・いかなる旅もしてみたがくそのはねぐそこれ初めなり
 又行くうちに便意を催し、岩の上で用を足し終わり、歩き出したら、その糞が歩き出した。
 西行はそして
  ・いかなる旅もしてみたが、くその横這いこれ初めなり
 と詠んだ。
C 西行法師(「民話―水原周辺」水原高校社会部 昭和四十六年)
  西行が鼓が滝に見物に行って
  ・何しおう鼓が滝に来て見れば沢辺にちちとたんぽぽの花
 と歌を作った。ある家に一夜の宿を頼む。そこで自分の作った歌を得意になって披露した。
  宿の亭主は「なにしおうは良くない。音にすればよい」「鼓が滝に来てみればも良くない。鼓が滝をうち見ればにすれば良い」「沢辺は河辺としなければならない」と言われ、
  ・音に聞く鼓が滝をうちみれば河辺にちちとたんぽぽの花
 という歌を亭主が披露してくれた。西行はなるほどと思ってその夜は寝たが、目が覚めたら家も人もなく、松の根を枕にして寝ていた。自分の慢心を戒めてくれたとこう解した。
D 西行とせばの渡し(「島上村誌」前編 藤田陳平 島上村公民館 昭和二十九年)
  現在の分水町の西川上流をせばの渡しといった。また村上市瀬波付近とも言う。
  ・越後なるせばのわたりの朝嵐むかしも吹くかきょうも吹きけり(温古の栞)
  この歌公卿に仕える一人の女に生国を聞くが女は答えず、かりそめの戯れに詠んだ歌という「越後名寄」(越後名寄 丸山元純)には
  ・越後なる瀬波のわたりの朝嵐きのうも吹きけりけふもふくらし
 と詠んだ。この歌は西行法師が詠んだ歌という。
  そこに一七、八歳の黒髪美しい娘が居た。その美しさは、禁中の女官も及ばない程であった。
 西行はこれに見ほれて
  ・黒々とうるしに似たる鴉の濡羽色丈に余れる髪の長さよ
 と口ずさむ。その娘は西行に
  ・旅僧の世を捨てかねて色目勝ち仏をやめて髪につながれ
 と返したので、西行はその歌に感心して、その地を有縁の地と定め、春まで滞在した。
E 国上山の戻り石(「西行伝説を探る」岡田隆 朝日カルチャーセンター 平成十四年)
  昔西行が国上寺にお参りしようとして、路傍の石に腰掛けて居たとき、子供たちが連れ立って山に登ろうとしていた。西行子供たちが蕨を手にしているのを見て、
  ・わらびにて手を焼くべからず
 といった。一人の童が進み出て
  ・檜笠で頭を焼くな
 といったので、西行は答えられなかったという。その石を西行の戻り石と言う。
F 口明石の歌(「西行伝説を探る」前掲書)
  西行行脚の折にここに休み、海士の小船を見て
  ・うる酒の口明け石に腰掛けて沖乗る魚をさかなと読めり
G 西生寺の弘智法印の歌(「温故の栞」温故談話会 明治二十三年)
  ・岩坂のあるじをたそと人とはば墨絵に書きし松風の音
 と詠んで入定なされた。

E 地名伝説と結びついた和歌

@ 親不知海岸(「越佐文学散歩」下巻 野島出版 昭和五十年)
  平安時代源平合戦で落ち延びてきた平頼盛の妻が、親不知海岸の難所で子供を大波に凌われ詠む
  ・親しらず子はこの浦の波まくら 越路のいそのあわときえゆく
A 弥彦(以下A〜F北越雪譜(北越雪譜「古歌ある旧蹟」)
  ・いや日子のおのれ神さび青雲のたなびく日すら小雨そぼふる
  ・いや彦のかいのふもとにけふしもかかのこやすらんかはのきぬきてつぬつきながら
B 長浜 頚城郡にあり
  ・ゆきかへる雁のつばさを休むてふこれや名におふ浦の長浜 家持
C 名立 頚城郡西浜
  ・都をばさすらへ出でし今宵しもうきな名立の月を見る哉 順徳院
D 直江津
  今の高田の海浜をいふ
  ・なけば聞ききけば都のこひしきに此里すぎよ山ほとゝぎす
E 越の湖
  蒲原郡に潟とよぶ処多し。里言に湖を潟といふ。四方三里計。この潟に遠からずして五月雨山あり。貫之の歌に
  ・潮のぼる越の湖近ければ蛤もまた揺られ来にけり
  また俊成卿に
  ・恨てもなににかはせんあはでのみ越の湖みるめなければ
  又為兼卿に
  ・年をへてつもりし越の湖に五月雨山の森の雫が
F 柿崎頚城郡にある駅親鸞上人の詠み玉ひしとて口碑に伝へし歌に
  ・柿崎にしぶしぶ宿をもとめしに主の心じゅくしなりけり

 まとめ
 以上いろいろな実例を列挙してみたが、昔話や伝説には、和歌がたびたび登場する。いったいどんな意味が込められているのであろう。
 『日本昔話事典』には、「歌の功徳」の項目を設け、「昔話のモチーフとしての『歌の功徳』は二つの機能を持っている。一つは、歌が婚姻を成立させる有力な手段として、一つは主人公の優越性を示す智恵の働きの一方法として存在する。……男女が歌を掛け合い、歌にこめられた謎を説き、歌を競い合うなどの和歌の教養が社会生活上の優越者となる和歌の伝統は、『歌の功徳』の形で昔話の世界に健在しているといえよう」といっている。
 もっとも特徴的なものは身分の高いものが和歌によって身分の卑しいものに、和歌によってやり込められる形である。その身分の高い人物はあるときには、殿様であったり、金持ちの旦那であったり、あるときには歌人西行であったりする。その対照的な身分低い人物として、小僧、使用人、子供、女などである。
 和歌は武器も権力も持たない庶民が反撃する言葉という武器である。昔話の中で「和尚と小僧」などの弱者の強者への反撃と軌を一にしている。そこに西行という高貴な歌人に野糞を配して、旅の途中であった女に懸想するなど、その偶像を破壊しようという企てが見え見えである。
 第二に、和歌が当時としては、最高の教養を意味していたと言うことである。和歌を読めることによって身分が卑しくても、高い身分に認められて、幸福な結婚を得る。幸せを手中に収める。昔話の中には、和歌信仰ともいうべき流れがある。和歌を自由に詠むものへの憧れが潜んでいる。五七五七七の定型の中に気持ちを読み込むことは確かに大変なことで、それを即座に詠んで反撃することへの畏敬の念が反映されている。
 もう一つの傾向が地名読み込みの和歌である。前者が狂歌風の歌が多いのに対し、こちらは真面目な歌が多い。和歌による現在の名所紹介の意味を持たせているようだ。
 西生寺の弘智法印の歌のように辞世の歌も少しあるが全体としてはごく少ない。
 それにしても、文字を持たない庶民がどのようにして和歌を自分達の昔話に受容してきたのか、興味引かれることである。
 本稿は平成十六年三月、高志路談話会発表原稿に加筆したものである。資料提供いただいた駒形■(さとし)・高橋八十八・鶴巻武則各氏にお礼申し上げる。

 
お求め

<本の事項>
越後山襞の語りと方言
著者名 高橋 実/著
出版社 雑草出版
出版地 長岡
出版年 2007年
定 価 2200円+税
ISBN 4-903854-00-7

越後山襞の語りと方言
 

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