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昔話世界の光と闇【越後の昔話逍遥】

昔話世界の光と闇【昔話の世界をのぞく】mukasi

昔話世界の光と闇(『越後山襞の語りと方言』より)

高橋 実 

 
昔話世界の光と闇

 昔話の世界で異類婚姻譚と呼ばれる一連の話がある。木下順二の「夕鶴」で知られる「鶴の恩返し」は、若者に助けられた鶴が人間になって、やってくる話である。昔話で人間に姿を変えてやってくるものに、魚や狐、蛤、などもある。そしてこれらの話に共通するものは、「見てはならない」というタブーを犯すことによって夫婦の破局がやってくることである。「鶴の恩返し」でも、鶴の織った素晴らしい織物で、一度は男に幸福をもたらすが、機を織るところをのぞいてくれるなというタブーを破ったために夫婦が破局を迎える。魚女房でも女が料理を作るところを覗くなというタブーを破ったために、破局を迎える。浦島太郎も決して開けてはならないという、乙姫様からもらった玉手箱を開けて元のみすぼらしい姿に戻る。ここでもまたタブー侵犯が出てくる。
 タブーは民俗学的には禁忌と訳され、俗信の一種で、神聖なもの、みだりに接近することを禁ずる崇高な世界を意味している。「見るなの座敷」でも男が泊まった家の一室を見ることを禁止される。禁を破った男は、一瞬にして現実の世界に戻される。渥美清演ずる寅さんの、「それをいっちゃぁおしまいだよ」ではないが、「それを見ちゃぁおしまいだよ」となってしまう。一度禁断の世界をのぞくと、破局がやってくる。
 鯉女房の昔話は、ふらりとやってきた妻から毎日おいしい料理を作ってもらう。その秘密を探ろうとして垣間見たのは、妻が鍋の上にまたがって自分の尿を放っている場面だった。その場面を見られた妻は、自分が実は男から命を助けられた魚で、恩返しのために妻となったが、白分の恥ずかしい場面を見られたために、ここにいられないと去ってしまう。
 これは、いったい何を意味しているのであろうか。鶴の恩返しで若者に命を助けられた鶴は、最後まで人問に姿を変えて若者に尽くすことが「恩返し」になるはずである。なぜ女房は去らなければならなかったのか。瞽女唄の「葛の葉子別れ」も狐狩りで命を助けられた狐が人間の妻となって童子丸という子をなすが、本当の妻が現れるのを知って信田の森へ帰ってゆく。これらの話が、ハッピーエンドで終わるならば、人々はこれほどこの話を後に伝えなかったであろう。鶴が美しい女性に変身したままで最後まで話が終結するならば、平凡な夫婦の愛情物語で終わってしまう。
 人間は、心の深淵に、常に光と闇の二面性を併せ持っている。命の恩人だった夫のために、けなげに機を織り、おいしい食事を作る妻は、幸福を約束された光の部分であって、鶴や魚に姿を変えた姿を夫に見られて去って行くのは、闇の部分である。ジキル博士とハイド氏である。
 昔話の世界は、われわれが日頃見聞している人間世界そのものである。人間は、光の部分だけを見ているとその裏にとんでもない闇の部分が不気味な顔をのぞかせているのを忘れてしまう。人を殺めるような犯罪を犯した人も、身近の人にとっては、近所付き合いもよく、気軽に誰にも声をかけてくれて、とてもそんな大きな犯罪を起こす人とは思えないと驚きの感想をのべる。日頃謹厳実直で生徒に慕われている教師が、裏では、自分の教え子にわいせつな行為を繰り返している。これが人間社会の現実である。その闇が露わになるか隠れたままになるかは紙一重である。海に浮かんだ氷山の海水面下には、その何倍もの部分が隠れている。昔話でタブーを侵犯した夫婦は破局を迎える。人間もしかり、闇の部分の露出が周りの人には、格好の興味対象となり、マスコミもまたその部分を面白半分に報道する。昔話の闇は、人間のもつ恐ろしい心の深淵を暗示している。昔話の「聞き耳頭巾」は、動物の話を聞くことができる頭巾を手にした男がその呪宝を使って鳥たちの言葉を聞き取り、幸福を手に入れる話である。もし、人間の心の奥底を見透す眼鏡を手にしたらこの社会はどうなるであろう。タブー侵犯が一度だからこそ昔話は魅力的である。
 振り返って、タブー侵犯を繰り返しているこの現代社会はどこに向かって進んでゆくのだろう。闇が闇でなくなり、汚い欲望が露わになる社会が幸福をもたらすはずがない。

 
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<本の事項>
越後山襞の語りと方言
著者名 高橋 実/著
出版社 雑草出版
出版地 長岡
出版年 2007年
定 価 2200円+税
ISBN 4-903854-00-7

越後山襞の語りと方言
 

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