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百物語【越後の昔話逍遥】

百物語【昔話の世界をのぞく】mukasi

百物語(『越後山襞の語りと方言』より)

高橋 実 

 
百物語

 私の住む小国から『榎峠のおおかみ退治』という昔話本が出ている。その中に「はなしの話」という昔話が載っている。村の若い衆宿に、大勢人が集まっていて、ご馳走食べたり、話をしたりして、楽しい時を過ごしていたときだった。ドカーンと大きな音がして、天井からでっかい笊が落ちてきた。そこにいた人たちは、何事が起こったかと集まってきてみたら、その笊の中に、うまそうな牡丹餅が一杯入っていて、みんなでそれを食べた。それが村中のうわさになり、その日にいなかった人も「おれたちもその牡丹餅を食いたい」と翌日集まってくる。そうすると、また大きな音がして、天井から笊が落ちてくる。「さあ、牡丹餅が落ちてきたぞ」と期待して、集まってくると、その笊の中には、きたない格好の婆さまがはいっていて、「ねら、おら昨日ここにやった牡丹餅の銭を取りに来た」といって、あははと笑う。そのばあさんの口には歯が一本もなかったという話である。
 この話は、私が高校時代に、小国沢という集落で採集した話だった。
 その当時、この話を特別意識せずに、記録しただけだったが、その後、日本民話の会の人たちが小国に来て、小国の昔話の座談会でやり、東京から来た会員がこの話に興味を示した。いわれてみると、たしかにこのとぼけたような話は、注目されていい話といえる。人々は、牡丹餅を食われることを期待していたのに、それどころか、逆にその前日の牡丹餅代金を請求をされるのである。期待していた人の意表をつく結末で笑いを誘う。そこにとって付けたように「歯なし」のおばあさんが出てきて、笑い飛ばす。
 いったいこれは、全国の昔話の中でどんな位置を占める話なのであろうか。わからなかったが、水沢謙一氏の『あったてんがの』長岡市史双書の最後に「百物語り」と題して、これに類似の話が載っていた。夜、村のお宮に子供達が集まってお明し百本上げて、昔話の語りっこを続けていた。そのとき、風が吹いてゴーッという音がした。行ってみると、大きな櫃があって、黄な粉のついた牡丹餅がいっぺいこと入っていて、みんなが喜んでそれを食べた。その翌日、また百物語しようということで、集まっていると、昨晩とおなじようにフワフワ風が吹いてきて、ドサンと音がする。また牡丹餅が落ちてきたかといってみると、茶釜にお湯がはいっていて、傍につけもんの香々がはいっていた。そして神様が言うことには「お前たち、たまに来いば牡丹餅もあるども、毎晩ではお茶と香々でがまんしてくれや」というのである。
 同じく水沢謙一氏の『ばばさのトントンムカシ』にも波多野ヨスミさんの語る百物語りを載せている。
 これは、大晦日の晩に、お宮で夜ごもりして歳徳爺さまの来るのを待っていた。ローソクをつけて次々と百物語りをしていると、九十九話まで語ったところで、大きな音がして、皆は怖くて逃げる。勇気のある爺さまだけが残った。行ってみると、千両箱が落ちていた。その古い蓋が壊れて、あたりに小判が散らかっていた。これは、歳徳爺さまの授け物だったという。それから百物語は九十九話までかたるものだといわれる。
 なるほど、小国の昔話の「歯なしの話」は、百物語の場面であったのかと納得した。
 江戸時代万治二年『百物語』という書物が発刊された。江戸時代には、夏の夜に、真っ暗闇の中でろうそくを灯し、怪談を次々と語り、ひとりが一話を語ると、ローソクを一本ずつ消してゆき、最後の百本目のローソクを消すと、化物が出るといわれていたとか。だから、百物語は九十九話で止めておくものだとも言われていた。この本には、しかし、そうした怪談話とは無縁で、古今の笑話が上下二巻に書かれているとか。私はまだ見ていない。これは口承から筆記された昔話への転換を象徴しているのかもしれない。
 ばけものは、怖いけれども見たい、聞きたい。小学校で昔話を語るときでも、しきりに怖い話を聞きたがる。だれもいない夜の学校の音楽室からピアノの音が聞こえてきたとか、トイレの中で人の手が出て来て冷たい手で尻をなでられたなどと、学校の怪談といわれているものが語られているのもそのためだろう。

 
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<本の事項>
越後山襞の語りと方言
著者名 高橋 実/著
出版社 雑草出版
出版地 長岡
出版年 2007年
定 価 2200円+税
ISBN 4-903854-00-7

越後山襞の語りと方言
 

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