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座談会 新潟県紙漉き職人の集い | 小国和紙『へんなか』)

座談会 新潟県紙漉き職人の集いhennaka

へんなか 座談会 新潟県紙漉き職人の集い

 
出席者
 小林 康生(司会・高柳町門出)
 田浦 米太郎(加茂市下大谷)
 伊藤 一雄(上川村小出)
 中村 英一(小国町苔野島)
 谷内  孟(ミニコロニーいからしの里職員)
 飛内  卓(ミニコロニーいからしの里園長)
 原 刀利松(長岡市鉢伏町)
 渡辺 敬三(上川村小出)
 片桐 三郎(小国町小栗山)

小林 県内に紙漉きが八軒ございますが、今まで、一堂に会する機会がなくて、現在まできていましたが、みんなが顔を会わせるだけでも意味があることではないかと思い、私の方から皆さんの案内状をさしあげましたところ、皆さんから御協力いただきまして、本日の集まりがもて、まことにありがとうございました。湯之谷の方は、楮の出来がよく、多忙で出席できないということで、大変残念でありますけれども、きょう出席いただいた他に、湯之谷の二名を加えると、新潟県内の紙漉きが勢ぞろいしたということになります。せっかくの機会ですので、まず自己紹介ということにしたいと思います。
 はじめ、私の方からさせていただきます。高柳町では、古くは、伊沢紙という紙を漉いておりまして、合羽とか、唐傘の紙を漉いており、昨今は、白根の大凧合戦に使う紙が、三百六十枚で、一箇の凧が出来るということで、買ってもらっています。
 私は、その紙漉きの家に生まれ、五代先から、わが家は冬の副業として紙を漉いております。高校を終えてから、小国町山野田の木我忠治さんという人から大へん世話になりました。ちょうど木我さんが紙漉きをやめられる頃で、技術的なことは、直接指導を受けなかったのですが、木我さんが、私の紙漉きの師匠さんです。そうこうしているうちに、小国の片桐さんが紙漉きを始めるということで、四・五年前ですけれど、あべこべに私のところへやってきて、教える立場になりまして、小国の方へ恩がえしが出来て、よかったなあと思っております。
 最近では、伝統的な和紙技術は、守っておりますが、商売の主力は、大判にしたり色を加えたりの工芸もので、いろんな紙をやっております。一昨年に、三十二才でようやくカミさんをもらい、去年春に伜が生まれ、やっと一人前になったというわけで、これからもいろいろ御指導いただきたいと思います。 田浦 こういう機会を作っていただき、まことにありがとうございます。私は、今七十六歳ですが、十五くらいのころから、温床紙や、梨にかぶせる袋紙を漉いていました。親父の代は、唐傘紙とか、障子紙とかばっかりでした。戦後、紙の中にナイロン(パルプのことか)を入れたのがはやったことがあります。二十歳から三十歳まで、温床紙を漉き通したんです。温床紙にナイロン入れると丈夫になるという講習会があったんです。その時、ある人が田浦さんは、こんなのに興味ないんですかといわれたんです。その時、私は、興味はある。あるが、きれいな紙を漉くには今の現場ではだめなんだ、設備がきれいにならんといって、あまり注目しなかったんです。あくまでも純毛は純毛、絹は絹、和紙は和紙だと、四十年前にいったんです。今、やはり私がかつていった通りになってしまった。大正何年ころか、軍用紙を漉いたんです。兵隊に使う紙です。文化が進めば進むほど紙がいるんです。ところが生産が少ない、勢い紙は高くなります。製紙工場が一回漉く量と、七谷(加茂市)の村三十何人が漉く量と同じなんです。だから機械になってくるんだ。ところが機械になってくると、将来は、どうなることか。
 あなた方は、一生懸命になっているが、紙漉くには、変わりもんか、変人でなければだめなんだというんですよ。紙漉く人も変わりもんになってしまったんですよ。紙は、一般に売れなくなってしまったんです。きょうは、あなた方のつきあいさせてもらって、ありがたいと思っています。
伊藤 きょうお集まりの方とは、何回かお会いしていますが、中村さんとは初めてです。私は、紙漉きの家に生まれたんですが、元来、出発は、紙すきでなかったんです。二十四歳で、軍隊から帰りまして、長男は家をつがねばならぬという土地の習慣がありました。泣き泣き家の仕事をついで、現在にいたっているんです。今六十五歳、年数だけは、四十何年たっていますが、たいした進歩もしないで、今にいたっています。今、上川村から渡辺さんと一緒に来ましたが、これからもよろしくお願いします。
 田浦さんは、戦時中、原料紙統制時代の新潟県の大御所なんです。そのころ、私など若く、紙すきをやっていなかったんですが、田浦さんにきかないと何もできない、そのころからの先輩です。
中村 小国町の中村英一です。小国町といえば、山野田が知られていますが、私は、苔野島で、三百年くらい続いている紙漉きです。小国和紙というと、ワラ半紙くらいの紙なんですが、父親が、昭和十五・六年に湯之谷から改良判を習い、戦時中は、温床紙、軍用紙を漉いていました。二十才ころから手伝いはしたのですが、漉き始めたのは、二十八・九、三十歳くらいからで、今漉いているのは、改良判が主で、小国和紙は少ない。楮は、自分で栽培して、自分の漉く分は足りています。私は、もともと、紙よりも酪農が好きでしたが、この二つを両立させてきました。酪農の方は、二・三年前にやめました。
谷内 いからしの里という知恵おくれの人たちの住む施設の職員をしています。学習というより、作業を通じて、更生をはかっていこうということで、会社の下うけの部品の組立をやっているところがほとんどなんですが、何とか自分の力で、生産性のあるものができないだろうかということで、和紙というものに注目したわけです。施設は五十五年の開所ですが、五十七年から和紙づくりにかかりました。作り方も、全くわからず、みなさんのおせわになりながら、知恵おくれの人たちの生きがいになるものを目ざして夢中でやってきました。これからも、皆様のおせわになると思います。今回声をかけていただいて、大へん感激しています。
飛内 知恵おくれの人たちと生活して、三十五年たちました。私は、教員あがりなものですから、特殊学級からずっと、この道しか歩いたことがありません。そして、このいからしの里に来て四年たちました。和紙ははじめてなんです。あの人たちが、こんな仕事ができるんだとわかり、びっくりしたのです。職員がほんとにがんばってくれ、再三・再四みなさんのところに足を運び、なんとか軌道にのることができました。これも、皆さんの御指導のおかげと思っております。
 私は、常々職員に、施設の障害者が作った品物であっても、世間に甘えてはならんよ、同情は禁物だ、同情で買ったり、使用したりするのは、一回限りだ。私たちの仕事がずっと続くには、いい紙、専門家も使ってみたいという紙を作らなければだめだとはっぱをかけているので、谷内さんなんかも、大へん困っているんですが、ここまできた以上、とことんまで困らせてやれと思っているんです。職員が生き生きと働くには、自分たちが工夫して、創造してゆく余地があることが大切で、その点和紙は大へんよかったと思います。
 和紙と同時に、もう一方竹工芸を入れたんです。将来は、和紙と竹をドッキングした形で、仕事を続けていきたいと思います。いい和紙をつくるために、これから何十年かかるかわかりませんが、これからもお力を借していただきたく思います。
 私は、小国の片桐さんのところで、御厄介になっている原といいます。長岡に家があり、山野田にいます。教員を三十五年しました。小林康生さんのところへ、三年くらい前にいきまして、一年間、教えてもらいました。教員を定年でやめてから、去年片桐さんのところへ厄介になりました。教員しているときから、紙に縁がありました。家で、古い和紙に、お経などを書かされて、こんな紙漉いてみたいなと思っていました。はじめは興味半分で、自分の思うように紙を使えたら、すばらしいなと思っていたのですが、小林さんのところで習ったり、小国で習ったりしているうちに、和紙の奥深さに感心して、ますますはまったような感じです。今は五十六歳ですが、今寿命ものびていることでもあり、あと三十年くらい働きたいなあと思っています。他の人は、おまえは、年金がはいるんだから、今さらそんなことしなくてもよいんじゃないかと笑われるんですが、私は、好きで、そこにはまりこんでいるわけです。
 夢としては、工房というところまでいかなくても、自分で漉ける場所をつくって、紙を漉いてみたいと思っています。今のところは、単身赴任みたいで、一人でやっています。高柳の小林さんのところで習っていたときも、あばらやみたいなところで一人でやっていたわけです。いろいろしたいこともあり、そのうち、おちついて、自分の漉く場所をつくってみたいと思っています。その折には、大先輩の力を借してもらいたいと思います。
渡辺 今回の集まりに、家のおやじも行ぎたいなあといっていたんですが、伊藤さんもいることだし、お前いって話を聞いたり、勉強して来いということで来ました。おやじは、ことし七十六歳、現役で紙を漉いています。このごろ、伊藤さんや、うちのおやじが漉いている紙が、ほんとの小出和紙なんだなという気がしているんです。お前のつくっている紙は、どういう紙なんだというたら、小出和紙と別の、しいていえばいなかっぺ和紙みたいなんです。いままでになかったような、こけたような紙もあっていいんじゃないか、和紙を漉いているんじゃなくて、和紙にさわりながら、和紙と遊んで、毎日毎日ひまをつぶしているような感じです。皆さんから、紙ってなんだといろいろ教えてもらえれば幸いです。
片桐 私は、小国で一応名前は、小国和紙生産組合の組合長なんですが、紙漉きをやっているというふうには、自分のことを紹介できないんです。口を出すが、手を出すことが非常に少なく、普段のなりわいとしては、建築業請負、大工をやっているんです。それでまあ、なんとか生計をたてているわけですが、自分が小国紙に、多少なりともたずさわってきた中で、これを、どうしても手を染め、守っていきたいという思いで一応組合をつくって、今まで紙漉きをやったことのある人から来てもらって、原さんなんかといっしょにやっているんです。みなさんも御存じのように、紙漉きという仕事は、なかなか食える仕事じゃないんですからね。自分は、また違うところに出ていって、大工をやったりして、ジレンマにおちいっているんです。それを見て、うちのカミさんが、今まで地方公務員をやっていたんですが、はたからみるのもなんだからといい、紙に興味をもってきて、この春から、退職して、自分も紙漉きをやりたいといっているんです。これからまた、ずっとこの紙漉きにたずさわっていきたいと思います。

越後の和紙展

小林 ありがとうございました。きょうは、せっかく県内の紙漉き業者の人があつまったのを機会に三つのテーマを用意しました。第一の提案は、これを機会に県内の製造業者が会をつくって、年一回になるか、二年に一回になるか、もちまわりであつまる機会をもったらどうかということです。どういう名称にするか、考えていませんが、会をつくることを提案したいわけです。
 第二の提案は、越後の和紙展ということです。今までは、村起こしの一環として、各町村の一村一品運動の中で、デパートなどに宣伝に出ることが多かったのですが、何か町村の宣伝の下請けをしていた恰好の催事(さいじ)が多かったのではないかと思います。
 ここで、県内の和紙業者の実態、実をいいますと、県内で紙漉きをやっている人が何人いるのか、はっきりつかんでいなかったんです。あそこはやっているらしいとか、あそこはやめたらしいとか、あいまいな形でずっといたんです。今まで知りうる限りこの名簿にのった人がすべてじゃないか、これら八軒の紙屋が、一堂に、越後の和紙展というのを、春あたりに、やったらどうかということで、実は、先般、新潟市内のデパートの係の人に接触した結果、やるとすればいいことだし、協力はするが、デパート側としては、五月の連休中に、四日間、越後の工芸展ということで計画しているそうです。その中に漆と竹と木工と和紙の四つをやりたいと考えているそうです。場所は、七階の二百坪ですが、そこを使ってやるということで、純粋に四等分すれば、一つが五十坪くらいのスペースになると思います。それと一緒にやっていただければ、デパート側としては一番助かるというのです。五月の連休ということになると、和紙職人は、農業とかけもちの人もおられるので、みんなに相談してみないとわからないと返事しておきました。和紙だけの展示会をやる分には、いつでもかまわないが、デパート側の都合もあるので、こちらの態度をはっきりしておきたいというのが、第二の提案なんです。

「越後の和紙」パンフレット作成

小林 第三点といたしましては、越後の和紙展をやるやらないにかかわらず、各産地でパンフレットがないんじゃないかと思いますが、これを共同で作成しようという提案です。うちのパンフレットを一部お見せしますが(パンフレットをまわす)、これはお客にわたしたり、製品の中に入れるものです。このパンフレットについていえば、前文は、師匠の木我忠治さんの書かれた文章で、うしろの方が、自分が書いた文になっています。せいぜいこの程度のことしかやっていないわけです。各産地の実態もそうではないかと思うし、これから見学者がだんだん多くなってくると思うんです。学校関係とか、工程なんか教えてもらいたいという問いあわせなんかもありまして、一々やっているのが、めんどうくさいので、できれば、県内の「越後の和紙」という小冊子を、お客さんの来たときに差し上げられるようにしたい。用紙は、和紙を使うということで有料で結構です。製造原価を出して、その価格でどうかと思います。
 たとえば、ここにもってきたもの(パンフレットをまわす)は、手漉和紙青年の集いで、毎年発行しているものです。この集いは、一回目は、京都から始まりまして、高知、栃木と各県もちまわりで開催され、去年は九州の矢部、その前が沖縄だったんですが、ここにもってきたパンフレットは高知のものです。はじめは、一部千円なんですが、部数が少なくなると、二千円でもかまわないというので、二千円になったりします。これは、青年の集いの財源にあてられます。
 高知県でやった場合には、高知県の紙を用紙に使っています。その産地の紙を使っていますので、「越後の和紙」という小冊子を作った場合でも、表紙は、たとえば上川村の紙を使うとか、中の扉は、どこの紙を使うとか、各産地の紙を加えて、この中に、代表的というか、一般的というか、産地の製法を一つ入れるわけです。あとは、それぞれの産地の、昔の製法や、いい伝えなどをそれぞれ一・二頁入れまして、うしろにサンプルをつけるのです。発売時期としたら、「越後の和紙展」ができれば、そのころ発売したらどうかと思います。これが、三点目の提案です。みなさんに相談せず、私の方の一方的な提案で申し訳ありませんが、みなさんの方で提案がありましたら、出していただきたいと思います。
伊藤 この三点とも、まことに結構な提案と思います。とくに、第一点の生産者の集いの計画は、結構なことです。小林さんも御存知の全和連(全国手漉和紙連合会・会員約四百名・会長 福井県和紙工業協同組合 滝長助)の問題、東日本ブロック(全和連東日本ブロック会 会長・埼玉県小川和紙工業協同組合 田中昭作)に、私どもも入っているんですが、はっきりいうなら観光であって、集まった人のほらの吹きあいなんです。正直なことはなにもいわないんです。売れていますか、いや売れて売れて困っているんです(笑)それが、おわると、翌日は産地見学、漉き場を見せてもらうわけです。紙漉きの人で、一番見たいのは原料を煮る段階なんですが、そこはちよっと、こちらへどうぞ(笑)というのが、東日本ブロック、全和連の実態なんです。今、ここにはいっているのは、小林さんと私だけなんです。東日本ブロックは、福島で発足して、二十何年になります。埼玉の製紙試験場長さんのような、偉い船頭さんのいる時代は、結構だったんですが、場長さんが代わったとなると、ただ形だけ続けていかなければという形になっています。県内は、そういうことはないと思いますが、結成にあたって、そういうことも考えておく必要があると思います。

デパートの和紙展示会

伊藤 和紙展ですが、いい企画と思いますが、全部の産地で実演するわけにもいかず、たとえば、小国さんで実演してもらい、私どもは品物を展示するような形になるんでしょうけど。
小林 そういうふうに考えています。全部に負担がかかるような形でなく、デパート側に、私どもの考えを入れてもらうつもりでいます。通常デパートでは、催事の実演をやる場合、二十パーセントや三十パーセントの利益のとり方なんですが、その中からデパート側で宿泊費をおとして、デパートから負担してもらうという形にしたいと思います。どこかが実演し、その他は紙と出品するという形です。単なる即売会というものでなく、文化的、歴史的なものを紹介したり、和紙のできるまでの工程を、写真パネルで見せるとか、道具を展示するとか、原点にかえった、文化色を高めた催事が望ましいものと考えています。
伊藤 デパートという会場を考え直すということはできませんか。デパートというところは、紙漉きをかわいくてやるのでなく、自分たちのもうけのためにやるわけです。われわれを利用してお客さんからたくさんはいってもらって、何か買ってもらうということで。一枚でも売れれば、何パーセントはとりますよということで、むこうは絶対損はないんです。紙だけのこじんまりしたものでいいですから、どこか工芸館のようなところにかえるわけにいかんでしょうかね。宿泊費も、むこうが出してくれたら問題ないんですが、私みたいに酒の好きな人は、売れれば喜んで酒を飲み、売れないと腹がたって、また飲む(笑)。毎日飲まなくちゃならない。そういう目にあっているんです。どうもデパートというところは、疲れるばっかりで、気にくわんのです。
中村 食べ物と一緒にされたりすると、どうしてもそちらへお客がいってしまう。
小林 今回の催しは、食べ物ははいらず、工芸だけになるんです。私も、今まで何回かデパートの経験があります。はじめのころの藤沢の江の電デパートを皮切りに、あちこちのデパートの催事をやってきましたが、最初のころは、実演もやりましたが、ここ五・六年は、実演をやったことは、ありません。デパートで実演することが、いかに大へんだかということは、漉く業者が、一番よくわかっています。紙のためにもよくないし、見せ物になって紙を漉く屈辱といいますか、疲れも大へんなものです。大阪、東京、名古屋と各地をまわってきましたが、新潟市内が、それでも売り上げからいっても、郵送という方法でその後お客さんがつくというメリットからいっても、一番よかったなあと思うんです。
 デパート以外の会場といいますと、たとえば東北電力のグリーンプラザとか、いろいろあるんですが、ここでは、営利事業ができないんです。ただ文化だけの展示会はできますが、売り上げの面では具合いが悪い形になります。他の会場で、集客力のあるところをいくつかあたってみたいと思います。
伊藤 なんたって、私どもは、資金がないんですから、金かけてやるわけにはいかないから、最終的には、デパートでやらざるをえないかも知れませんけど。
小林 工芸展の場合、デパート側で、ある程度、旅費を負担してもらえるのではないかと思っていますが。
片桐 デパートでやる売り上げより、去年小国でやった和紙物品展ですが、山野田のようなへんぴなところでやったのに、かなり売れたもんね。
小林 そこの産地まで、見学者が、どっと来るのは、まぎれもなく売れますね。興味あってくる人間ばかりですから。デパートは甘酒作っているんかと勘違いされるくらい全然知らない人が、ウヨウヨ来て、こっちは、テープレコーダーみたいに、何度も同じ説明をくりかえして疲れはててゆくというようなことで、問題もいっぱいあるのですが、私は、デパートは、我々とお客を結ぶ入口だと思っています。どこのデパートでやっても、必ず芳名簿をわきに置いて、興味ある方は、次回案内を出しますので、必ず、住所とお名前をお書き下さいとたのんでいます。それが財産だと思っています。デパートの展示がおわったあとで、つきあいのできたお客さんが、ずいぶん多いんですね。ですから、その時だけで、元をとろうとしてもむりなんです。今まで私がやった中で、三分の一くらいの場所でもとをとればよい方でしたよ。
片桐 今まで、和紙業者が一堂に会すことがなかったんですから、そういう催しは、あってもよいんじゃないでしょうか。
伊藤 いろいろいいましたが、いいことだと思います。損得勘定になってくると、うまくないんです。
片桐 この部分なら参加できるが、そこまではちょっとというふうに、条件をデパート側に出して、交渉していったらいいのじゃないかと思います。
小林 何かのつけ足しの催事で出品するのでなく、県内の和紙をやっている人が一堂に会したということから考えてみる必要があるのだと思います。
伊藤 反対じゃなく、我々の方にも少しでも利益があるように。ただ新潟に、毎日遊びに来ているようでは、どうもうまくないので……。
片桐 みなさんも、昨年大和や、三越などにつきあわされた口でしょうが、それとどういうふうに違うのか。
小林 催事の間中、ずっとつめなくて、交代で詰めるということでいいと思います。普通の催事と、どのように違えたらいいのかそのあたりの形を研究する必要があるし、毎年やるのは、億劫になるので、五年に一回というぐあいに考えた方がいいという気がしますし……。

現代人の和紙感覚

小林 渡辺さん、この間三越で、実演やっていたみたいでしたが、どうでした……。
渡辺 去年から、船橋、長岡、新潟など四会場でやってきました。はっきりわかったのは、和紙をつくる人の目から見て、いい和紙だ、いい紙だなんて思っていても、買う人は全然違うイメージをもっているということです。それを今まで、全然知らなかった。立派な紙とは、何なんだということが、私自身わからなくなってきているんです。おやじは、仕事一すじに真面目に紙を漉いてきているのに、その紙が売れずに、俺がズッコケで、遊び半分に作っている紙が、すごく売れ足が早いんです。今の人たちの考えている和紙のイメージと、古来の伝統を守って漉く和紙のイメージとは、あまりにも大きく隔たっているんじゃないかということです。さきほど伊藤さんがいっているように、面白うて紙をつくっているんじゃなくて、生活がかかっているんだし、そのことをふまえながら、これからやっていかなくちゃ、デパートにしろ、街角にしろ、大へんな時代を迎えたんじゃないかと思います。デパート側によっては、土方日当くらい出してくれるところもあるし、旅費の半分は負担しますとか、道具の運搬費はもつとか、宿泊費も持つとか、交渉の仕方一つじゃないかと思います。
 もう一つ加えると、疲れるのは疲れる、そんなことならテープで録音していた方がいいくらいなんです。牛乳パックでつくった和紙が、和紙だといって、立派に通用する時代なんです。我々が、本職で、そんな紙は和紙じゃない、といったところで、どうしょうもないわけですよね。その中で、生きていかなければならないということを痛感してきました。
中村 今の時代は、いいものより珍しいもの、人より変わったものが、人々に喜ばれて、ほんとに和紙を知っている人は、立派だとほめても、そんなものは売れないんです。
渡辺 そのことで、おやじとけんかしたことがあるんです。おやじはキャリア何年だ、七十四・五なんで、ベテランの人の紙が出ないで、おやじが、こんなの和紙でない、売れるわけがないという紙が、漉くそばから売れてゆく。これは何だというんだ。文化財とか、伝統とか、我々が考えているより、ずっと高度のものだけれども、大先生であったかも知れない、そういう人のものを並べても全然売れない。
中村 たしかに、昔からのものが売れず、珍しいものが売れる。それは手漉きじゃないといっても、それでいいといって買っでゆく。

和紙職人の会

伊藤 小林さんの三つの提案のうち、最初のものが、一番大事だと思います。これをつめていって、来年につなげて欲しいと思います。
中村 たしかに横のつながりは、大切なことです。
伊藤 なぜ、今までこういう会がなかったのかというと、私どもの年代に迫力がなかったかも知れないけど、何せ新潟県は広くて、私どもは、会津、福島の県境にいるし、長野の県境まで、点々とあるものだから、なかなかできなかったんです。戦前のように七谷(加茂市)に三十軒もあるということなら、こんなこともなかったんですが、今は、一軒、二軒とバラバラになっているんで。
小林 伊藤さんが、いわれたように、全和連と東日本ブロックは、メリットがないみたいなんですが、県内の地元の紙屋さんが、横の連絡をとりあってゆくことは、大いにメリットがあるような気がするんです。ただ顔をあわせて「お前も元気でやっているか、俺も元気でやっている」というだけでも、お互い励みになると思います。たしかに離れているといっても、交通手段が、昔と比べて、ずいぶん差があるわけで、ずっと集まりやすくなっているわけです。この八軒が、年に一回会合を持つことは、大切なことと思います。ことしは、この場所でしたが、会場をもちまわりであつまっていったら、よいんじゃないかと思います。
伊藤 まことに結構なことです。来年は、上川村でやってもらっていいです。会費というほどでなくても、事務費くらいは、とってもらって。
小林 名称は、あとで考えてもらうとして、生産者の会をつくり、年会費千円でもやっていけるんじゃないかと思いますが、何らかの会を発足させることに、意義はありませんか。
一同 結構です。
小林 きょう集まって、これ一つ決めただけでも意義のあることと思いますが……。
飛内 いからしの里もぜひ仲間に入れて下さい。
伊藤 いからしの里さんは、絶対心配ない。売れても、売れなくてもいいんだから(笑)まあ、とにかくデパートあたりで売ってみなさい。おれなんか標準語使えず、方言ばっかなもんだから、そんなところへ外人がとびこんで来たりして、買物に来た人は、漫才見ていると同じで、いい物笑いの種になっちゃって。 小林 会をつくるということで、来年は、上川でやることにきめて、この会を閉じたいと思います。時期など、ことしは、雪が少ないもんで、みんながこんな時期に集まれたんですが、例年こんなわけにいかない、四月下旬に、農作業が忙しくなるし、いつがいいか、また考えてもらうことにいたしましょう。あと、いい足りないところは、このあとの酒の席でもすることにいたしまして、きょうは、ほんとにありがとうございました。
(昭和六十三年一月二十日 加茂市若竹旅館にて)