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凧紙としての小国紙 | へんなか

凧紙としての小国紙hennaka

へんなか 随筆 「凧紙としての小国紙」

凧紙としての小国紙                 小林 祥二

 私の家の凧作りは、一昨年、八十歳でなくなった父小林彦一が大正四年に始めたものです。私が二代目にあたるというわけです。父は、大正のはじめころ、父の姉の嫁ぎ先の三条市四日町の凧屋に手伝いにいっていて、そこで習ってからはじめたものです。
 凧は、手漉和紙をはりあわせ、その裏に、キの字型に、竹のヒゴを通してつくりあげますが、仕上がるまで、五十四工程を要する手間のかかる仕事です。凧の骨は、中央に縦に通す骨を中骨とよんでいますが、これは、山竹を使い、上下二本の横骨は、孟宗竹を割いて使います。
 凧に描く絵は、武将の絵が中心で、上杉謙信、源義経、源頼光、鍾馗など三十種類くらいあります。特殊な染料ににかわをまぜて使います。同じ絵だと描く方も飽きてしまい、買う方も、いろいろな絵から選びたがります。昭和四十四年十月に、常陸宮御夫妻が新潟においでになったとき、父は、宮様の前で、凧絵を描いてお目にかけました。父は、これを大へん名誉に思っていました。
 凧に使う和紙は、軽くて、丈夫ということが絶対条件で、そういう点では、小国紙ほどすばらしいものはありません。凧紙は、以前長岡の鈴木紙店、田村紙店から買っていましたが、思うように、製品が店においてなく、この店の紹介で、山野田の江口さん宅へ出かけました。もう十年も前のことになります。 以後、江口さんで漉く紙のほとんどを家で使わせてもらっています。父は、生前、紙の見る目があることを大へん自慢していて、紙を手にもって見ただけで、何匁の紙か、あてることができるといっていました。江口さんの家でも、おばあさんの漉いた紙は、厚さも一定して、いい紙でした。凧に使う場合、その凧絵の顔にあたるところが、漉きむらがあると、お客さんにもいろいろいわれ、大へん困るわけです。そうかといって、たくさんある紙の中から、選別するのは、大へん手間のかかることです。
 江口さんの紙は、うすくて、丈夫なのですが、大きい凧には、どうしても厚い紙が必要になり、何回か、厚い紙を漉いてほしいとたのんだのですが、漉いてもらえませんでした。そこで、厚い紙が必要な時には、高柳の小林康生さんから買っています。小林さんがいうには、厚い紙を漉くには、力がいり、とても江口さんのおばあさんのような人は、無理だとのことでした。そのことを、はじめにいってくれれば、あんなむりなことをたのまなかったのですが、そこが、素人のあさましさです。そうこうしているうちに、小国紙に匹敵する紙があらわれてきました。上川村の渡辺さんのところの紙です。この紙は、掛軸に使う紙とかで、判が大きく、つぎあわせの手間が省けて大へん重宝しています。毎年四月のおわりから五月にかけて山野田へ紙買いに出かけました。山には大きなうどが出ていて、山菜とりも楽しみでした。
 私の家でも、製品が出る出ないにかかわらず、江口さんから買った紙が、まだ十束や二十束でなく、数えられないくらいに在庫があります。江口さんも、こんど柏崎に出て来たということですから、紙は漉けなくなるでしょう。父がいうことには、関東の紙屋さんより関西の紙屋さんの方がずっと目がこえているそうです。関西の紙屋さんは、紙を見るとき必ず手で触ってみる、関東の紙屋さんは、見るだけだというのです。関西は、土佐や岐阜の美濃紙のように、いい紙の産地をたくさんもっているからだと思います。
 以前、私どもの凧は、おもちゃ屋さんに卸していましたが、今は、関東、関西の民芸品店におろします。どこもほんの少しずつしか売れず、凧を売らなくなったのかなと思っていると、忘れたころに注文がきます。
 県内にどれくらい凧屋さんがあるのか、わかりませんが、このごろ素人の凧を作る人がふえ、東京へ出している人もいます。そういう人の作った凧は、揚がらないものがあったりして、越後の凧の信用をおとすことになり、困っています。
 私どもも、妻と二人で細々とやっている家内工業ですから、千、二千と大量の注文があっても、とてもさばききれませんが、このごろは、新築や、出産のお祝い品として買っていってくれる人もふえています。
 せっかく、越後で作る凧ですから、その紙は、これからもぜひ越後の手漉和紙を使いたいと思いますし、小国紙も、ぜひこれからいい紙を漉いて、今までの信用をおとさないようにしていってほしいものと思います。(談)

(こばやししょうじ・凧職人、一九四〇年生れ、三条市東三条駅通在住)
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