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和紙人形が取り持つ縁 | へんなか

和紙人形が取り持つ縁hennaka

へんなか 随筆 「和紙人形が取り持つ縁」

和紙人形が取り持つ縁                 大野 一伊

 数年前季節はずれの寒い日、研修の途中で昼食に寄っただけの小国が、和紙人形が縁で何回と通っているうちにぐ〜んと身近なものになりました。趣味で習い覚えた和紙人形を「おしえてェー」「いいよ」と言っている中で全然知らない人から声をかけられました。
(失礼ですが今でもお顔はわかりません)小国で和紙人形をとの話でした。
 前述のように趣味で始めた和紙人形ですが、作り方の基本がわかればあとは自分なりのアイディアで人形は生れるものと思っていますから、では基本だけでもということになったわけです。それよりも私の関心を小国へとひっぱったのは片桐三郎さんでした。
 彼は、わざわざ長岡の私の家まで来て小国和紙のこと、なぜ和紙人形の講習をするのかなど熱い言葉や爽やかな人柄に触れたからです。でも本当はお名前に縁があったからかもしれません。私の旧姓は片桐、我家の次男が三郎、どちらもとっても感じのいい好青年です。そんなことで人形教室を開いているわけでもない私が講師として小国へ行くなどという無謀な気持ちにさせたのかも知れません。
 つねつね和紙人形の素朴な風情にひかれていながらだんだん華美な人形になっていくようです。和紙そのものがきらびやかになってきたからでしょうか。小国で作られる和紙が即人形の着物になるか否かはわかりませんが、和紙の暖かさと柔らかさが日本的な情感と魅惑的な容姿を作り出しているものと思います。
 人形作りで一番むづかしいと思われるのは顔です。顔の特徴で誰の作品か、誰から教わったのかがわかる程ですが、それ程特徴ある事にこだわらず自分なりに作ったほうが面白く愛着があります。面長の美人を作ろうと思っても下脹れで愛らしく出来あがってしまうこともあります。いつも美人になったり愛らしくなればいいのですが、どう見ても憎たらしく気にいらないものが出来ることがあります。
 でも着物を着せ、帯を結び、髪にかざりをつけると不思議とそれなりの表情があってとってもたのしいものです。
 最後の仕上げのポイントが帯で、色・柄・結び方によってずいぶんと雰囲気がかわります。結び方によってその人の性別・年令・職業など生活習慣が顕著なのが昔ながらの日本の着物ですから、作るとき前もって考慮にいれます。それにしても帯を結んだ後ろ姿はみんなお色気がでてくるのもまた不思議なものです。
 だから上手下手に関係なく自分が作った人形がいとおしく思えるのです。この点が大切なことだと思います。前から見、後ろから見、四方八方から眺めて次に来る思いが、また作ろう、今度はこんなことをしてみようということです。夢がどんどんふくらみ、製作意欲が増してくるのです。気がつくと部屋の中は人形で一杯になり、置場がなくなる始末です。運の悪い友達は、置場のない人形を貰うはめになるのです。
 小国の伝統芸術『みこ爺』の人形を作ると阿部さんから聞かされた時、まだ見たこともない人形を写真からイメージを脹らませてあれこれ考えなければならず困ってしまいました。新潟の東北電力のロビーで小国展があり『みこ爺』も展示されていると言うので見に行きました。「さわらないでください」と張り紙はしてあるし、正面だけで見ても全体像は把握できないし、どうしょうかなぁ、せっかく新潟まで来てイメージも掴めないようでは…と思っているとき、ちょうど東北電力の知っている人にお会いしました。で、お願いしてちょっとさわってどんなになっているのか見せて頂きました。しかし、担当の小国の人ではなし一般観覧者もいるわけですから、そう細部にわたって見るわけにもいかないし、操作(踊り)している所を見たわけでもない、だから振り(ポーズ)がつけられずどうしょうかと迷いました。
 私は踊っている『みこ爺』を見ていない。しかし、人形を作る小国の方は見ている筈。 作る人は『みこ爺』を思い浮べながら作ってくれるだろうと勝手な解釈で『みこ爺』が作られたのです。出来た人形は、『みこ爺」人形だと思って見ればそれらしく見えたと阿部さんの評でした。そう見てくださったとは幸いでした。いいかげんな指導で申し訳ありませんでした。
 和紙人形が縁で『おぐに』の活字がすぐに目に飛込み、話題が耳にひびきます。それは何時も躍動している『おぐに』なのです。そんな熱気がひたひたと伝わり今回の原稿依頼に未熟な私を忘れさせて投函した次第です。
 今後の御発展をお祈り申し上げます。

(おおのかずい・主婦、一九三一年生れ、長岡在住)
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