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小国和紙による清酒ラベル | へんなか

小国和紙による清酒ラベルhennaka

へんなか 随筆 「小国和紙による清酒ラベル」

小国和紙による清酒ラベル             嶋 悌司

 私共の会社のある越路町は、小国町のお隣りの町です。会社の設立は大正九年(一九二〇)ですが清酒メーカーとしての創業は、天保元年(一八三〇)にさかのぼり、"久保田屋"として平沢家が興しています。
 一六〇年近く経た今日、朝日酒造株式会社は県内一の製造販売量(全国二十二位)を保有するようになり、小国町や、越路町、つまり渋海川に沿う地域の産米を中心的な原料として清酒を造りつづけています。  〈消費社会の成熟〉
 このごろの世の中は、昔育ちの人間からみれば、物は豊かになり、暮しむきは便利になり、人々の考え方も多様になりました。云い方を変えれば、人と同じことはいやだというように、一人一人が個性を主張したいという考え方、感じ方をつよめました。かっては「朝日山」を飲んでいて満足しておられた方々も、"どこにもある平均的なのはいやだ、もっと個性的な酒がほしい"と云ったように。そこで、五九年(一九八四)社内にプロジェクトを設け、新製品開発の検討をはじめました。
 〈新製品"久保田"〉
 プロジェクトチームは、創業の精神に立ちかえって考えようということで活動をしました。というのも、創業は天保年間というと、我国の歴史に残る不作の続いた時代。大正九年の会社設立も、第一次大戦後の不況に見舞われた時であります。いま、新しい時代、激動期、予測出来ぬ時代といわれる時、創業者たちが、どんな覚悟で、お客様の満足を得られるようにと考えただろうか。という立場に立つということでしたから―小国町も、越路町も、酒を造る人達の沢山出るところですから、わかってもらえるだろうと思いますが―。お酒を造る杜氏さんというのは、科学や経験から来るデータの集積の上に立脚はしますが、日常のこまかい仕事はそれを感覚というところにしぼりこんで進めます。吟醸つくりなどという時は、イライライライラから、次第に高揚してピリピリもしない位の集中性をもって―透明な色のような―判断をするものです。
 そのように考えてゆくと、ただ単に、昔にかえることを創業の精神とは云わぬのですから、現代に生きている清酒を愛する皆さんの感覚、食生活を中心としてライフスタイル全体を考えてお酒のタイプを決めます。ネーミングは"久保田"と決まった。さてそれならばラベルはどうしょう。昔は、徳利だとか、樽だとか云っても、現代に生きるとなれば、やはり一升瓶(一・八l)とか、四合瓶(七二〇ml)とかですし、ラベルも必要。もしラベルを貼るならば、当然、地元の小国和紙を使うだろう。それしかないだろう。かざり気のない素朴なやさしさが、今の世に生きるだろうと判断したのでした。
 〈ラベルの作成〉
 大雪の中をラベルを作って下さいとおねがいにゆきました。"久保田"の字は、新進の坂瓜さん(中蒲・亀田町)という書家におねがいしました。小国和紙のように素朴な、わかりやすく自然な、スッキリした字が出来ました。どんな新しい歴史も、必ず古いものが土台になっていて、そこに地域の自然や、伝統がつながってゆくものですから、そうした意味でもいいラベルになりました。中味がまけないようにしようと酒蔵の中でみんな誓い合ったものでした。
 〈全国的評価〉
 清酒"久保田"は、二・三の県を除いて、ほぼ全国的に布石を終りました。導入は成功であります。九州・大阪・東京・名古屋など殊更に好成績であります。お客様は、小国和紙の品にうたれ、字の素朴さにおどろき、中味の淡麗さにおどろくといいます。当初、私達が意図したように、地域のものでこそ感動をよびうると思った通りにすすみました。
 〈粉雪のまいこむ中で〉
 立春とは名ばかりのあいつぐ寒波でようやく雪国らしいなどと云えば、その雪の生活への重さを云わぬと叱られるでしょうが、私達がラベルをお願いに行った日は粉雪がまいこむ工房で、つめたい水の中で紙は生れておりました。
 「中越地方・大雪注意報」というテレビをみている今日も、粉雪まいこむ工房で小国和紙がうまれ、酒蔵のタンクの中では沸々と泡が生れては消え、渋海川の水で出来た米が、渋海の川原を愛する蔵人によって"久保田"にかわりつつあります。

(しまていじ・朝日酒造工場長、越路町ホタルの会事務局長、一九二九年生れ)
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