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小国紙のうつりかわり | へんなか

小国紙のうつりかわりhennaka

へんなか 小国紙のうつりかわり

小国紙のうつりかわり                 山崎 正治

 「キガミ」の呼称
 「小国紙」という名称は第三者がつけたものであろう。小国では、この紙のことを「キガミ」と呼んでいた。キガミは生紙であろうと思われる。何故キガミと言ったのであろうか。
広辞苑によれば、
  き(生)まじりけのないこと。人工を加えないこと。純粋。
  −娘、−糸………。
とある。してみれば灘の生一本、生蕎麦等も同意である。生紙の場合はどうか、まじりけのない紙という意味にとれば楮の皮だけで漉いた紙となり、これは明らかに洋紙に対する和紙の立場である。紙は後漢の蔡倫(さいりん)で発明されたといわれるが、和紙はわが国特有の紙である。再び広辞苑に登場してもらうと、

和紙 わが国特有の紙。古来の手漉きによるものと機械漉きによるものと二種類がある。前者はコウゾ、ミツマタなどの靱皮繊維を原料とするもので、半紙・美濃紙・奉書・鳥の子などの種類があり、後者は木材、ぼろ、マニラ麻などのパルプを原料とするもので、仙花紙、パルプ半紙などの種類がある。 と述べている、生紙は洋紙に対しては勿論、同じ和紙の仲間でも機械漉きの紙に対して手漉きの立場を明らかにした名称であったと思われ、小国紙にはぴったりの呼び名であった。

 宝歴六年(一七五六)、寺泊の丸山元純という人が著わした「越後名寄 巻二十二」の「民用」のうち「紙」の冒頭に、

小国紙。刈羽郡小国の保の山里村々にて漉く也。一折四十枚、十折を一束とする也。盤の広さ大抵上下一尺幅一尺三寸程有、端不レ断、厚薄・善悪品々有、糊不レ入故に紙堅し、才吉紙も是も小国紙の内にて盤広く厚く、膚こまやかに、色白し。……中略……仙田紙。是も同郡にて、小国の保の並にて総号也。村里にて漉く也。小国の同類也。

と述べ、以下越後の紙の産地を紹介しているが、このように他からこの地の生紙を指すときに小国紙と呼んだと思われ、古くから県下でも有名であったことが分かる。

 小国紙の起源

 越後では古くから和紙が生産されていた。歴史的には奈良時代にまでさかのぼることができる。正倉院文書には経典の筆写が盛んであったことから中央政庁の管下だけでは紙の生産が間に合わず、各地に製紙材料の貢進を命じたことが書いてある。その中に佐渡と越後があり、「諸国未進紙並筆紙麻等事」に「越後国紙一千枚、佐渡国八百枚筆四十管」とある。
即ち越後・佐渡から未だ紙が未進であるとしるされている。
 果して小国ではいつ頃から紙が作られたか全く分からないが、「温古の栞」によれば、「紙の始めは推古天皇十八年高麗より渡る。当国にては小国仙田を似って濫觴(らんしょう)の地とす」と述べ、小国紙は越後紙の元祖ということになっている。
 寛文元年(一六六〇)太郎丸庄屋から小国沢村庄屋安沢小兵衛宛に、山年貢関係に取り交した古文書が現存するが、その用紙は地元で漉かれた紙であるという。
 また山野田村庄屋牧野長右衛門家の記録に天和二年(一六八二)三十戸の村で農耕のかたわら紙漉きしたことが判明しているが、今の処それ以前の記録は発見されていない。
 本県の和紙の産地は村上・鹿瀬・村松・栃尾・小国・大沢(柏崎)・仙田等々二十七ケ所にのぼるといわれるが、これらの産地はほとんどが山地に集中している。これはそれらの土地が楮の産地かまたは楮の産地に近く、清浄な流れがあり、また、耕地が狭いため古くから生活の手段として副業としたことや、■[日偏に麗](さら)しに必要な雪が多く降るなどの立地条件が共通であることも興味深い。
 元禄五年(一六九二)の小国郷鏡帳によれば、ほとんど小国全域で紙が生産されていたことがわかる。出稼ぎにも制限のあったこの時代紙漉きは居ながらにして現金収入につながる副業として江戸時代にはますます発展していったものと推察される。
 「越後土産」 (元治元年 一八六四年成立)という本の中で越後の産物の番付表に小国和紙は西前頭三段目に位置づけられているから、その名は既に越後は無論全国的にも知られていたことがわかる。

 山口家改良抄紙伝習所

 明治二十四年横沢金沢の名家山口家で改良抄紙伝習所が開設された。これは山口家の祖先が紙漉きに専念されたことがあり、その遺志を重んじかつは郷土の産業進展を図られたものであった。
 この伝習所は明治二十六年には閉鎖されたが、卒業生の一人森光の品川忠治は山口家の援助で居村内に工場を設立し、もっぱら厚物を漉き、小千谷の札紙会社と特約して好成績を収め、大正時代まで営業したという。
 かくて小国紙の生産は、明治二十年頃を最盛期として、洋紙の発達と進出により下降線をたどり、村々の漉き家も逐次他産業に移り、第二次大戦後は急激に衰退していった。

 山野田の紙漉き

 こうした時代の流れの中で、山野田だけは異なり、全戸が製紙に励んだ、楮を植えて紙漉きを主業とし、新たな分家も生まれ、天和年間約三十戸の集落が三百年間に八十余戸の世帯に発展していった。
 近郷の村々の漉き家が廃業すると、その楮を山野田で買い取り、ますます大きく手を拡げていったのである。初冬とともに村中一斉に紙漉きが始まり、紙叩きの音は冬の山あいにこだまして盛況をきわめた。
 従って十一月中旬から楮の集荷が始まり、降雪時までの短期間に完了させるため、働ける者は老若男女を問わず、まだ暗いうちから弁当と、換えわらじを用意して晴雨にかかわらず楮取りに出かけた。無論道路は細く車も通れぬ当時であるからすべて人力でかつぎ出すのである。
 しかし、こうした重労働も紙の収益と直ちに結ばれるので競って大量の原料集荷に奔走したのである。因みに紙の値段は昔から米一俵と小国紙の五束の価格といわれていた。
 必然の事情として男は雪掘りと紙の下造り作業、女は炊事と紙漉きが受け持たれ、結婚の条件として特に女は一人前に紙を漉くことが重視された。このような事情から小国紙もいつとはなしに「山野田紙」に通用するようになった。

 上越手漉和紙工業組合

 第一次世界大戦後自由経済の急速な発展にともない、農作物米穀と共に和紙も投機の対象となり、そのうえ昭和初期になると洋紙が進出してきて和紙の価格が不安定になって製紙家に大きな不安を抱かせた。  そこで山野田では昭和八年小国製紙組合を結成して、製品の共同集荷・自主検査施行等一連の施策を実施して価格の安定を図り、成果を挙げた。しかし、昭和十四年日中戦争の拡大にともない和紙も統制品目に入り、生産資材の移動も困難となった。昭和十六年刈羽頸城全域の製紙者は統合され「上越手漉き和紙工業組合」が結成され、原料楮も紙も農業会が取りしきり、紙も検査を受けて証紙を貼られ供出を割当てられるようになった。
 昭和十七年には北魚沼郡湯之谷村から改良八連式技法が導入され、タービン水車によるビーター一台、火力乾燥機四基が共同作業場に設置され、軍需用紙の製造が開始された。
 終戦後は軍需紙に代って温床紙を漉いた。戦後復興の好景気を反映して需要も大きく増え、それに対応するため前記組合を「上越製紙販売協同組合」と改組し、事務所を苔野島に置いた。二十五年には改良連漉き二十二軒動力ビーター十一台、火力乾燥機二十二基、晒施設・灰汁抜き共同処理場が整備された。古来からの小国判は六十七軒の家で漉かれた。
 改良連漉きの普及による増産のため楮が不足し、それを補充するため故紙パルプ等を混入したところ、忽ち市場で不評を買い、販路に大きな支障をきたした。しかし、純楮の小国紙(生紙)は定着した需要者に支えられ著しい相場の変動はなかった。
 しかし、紙業界は高度の化学工業の発達にともない、化学繊維が開発され、オートメーション化された製紙は、一見手漉き和紙にも劣らない程進歩し、しかも価格は手漉き物と比較して非常に安く、市場に氾濫してきた。したがって障子紙を主体に漉く小国紙、とくに薬品晒しの改良連漉き紙には大きな打撃となった。しかも昭和三十五年頃からはタバコ・酪農・出稼ぎへと製紙を止めて移行する者が続出し、昭和四十年には漉き家は十四軒と激減したため組合の維持も困難となり、同年六月総会の決議により上越製紙販売協同組合は解散するにいたった。

 国の重要無形文化財

 小国紙はその技法工程で全国和紙産地に類例のない、最も古い型の小型漉き具による技法で今日まで維持されてきた。豪雪地帯の中に、巧みに雪を利用して抄造製紙が営まれてきたのは珍しい。小国紙が純楮手漉き紙、即ち「生紙」として比類のない強靱性と自然の美しさを保持していることは、和紙研究家から高く評価され、昭和四十八年、国の無形文化財に撰択指定され、また県教育委員会からは県の無形文化財に指定された。
 小国紙はその時代々々の要求に応じて色々な方面に活用された。その第一は帳簿類として、その第二は家庭生活の必需品として、例えば傘、防寒用紙子、桐油合羽、障子紙、ちょうちん、あんどんなどであった。またその第三としては花火の玉作りである。彼の有名な片貝の三尺玉には一個作るに糊用に米一俵、和紙二万枚使ったという。
 花火とともに古くから行なわれた凧揚げにもよく使われた。勇壮な伝統を持つ三条・白根・今町の凧合戦に使用される和紙は今日でも小国紙が愛用されている。
 時代の流れは農村構造を大きく変えた。栄えた小国和紙も今は大衆の消費材ではない。しかし、小国紙の持つ美しさ、強靱さ、柔かさは数少ない伝統民芸紙として全国の愛好者にいつまでも親しまれ求められていくだろう。 (参考文献 小国町史、新潟県大百科事典)

(やまざきしょうじ・一九二五年生れ、郷土史家、中世山城研究家、
小国芸術村友の会々長、町内法坂在住)※二〇一三年歿

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