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小国紙のうつりかわり | へんなか

小国紙のうつりかわりhennaka

へんなか 「山口権三郎傳記」(昭九)より

「山口権三郎傳記」(昭九)より

  小國紙の改良

 昔より小國郷は、小國紙と稱する和紙製抄の副業を以て有名であつた。大抵の家には一通り小國紙の製抄機械がある。小國郷の富の大部は抄紙から出來たものであると云はれて居る。山口家の祖先の中には、專ら抄紙を奨勵せられた人もあつたであらうと思はる。傳來の家業を忘れぬ爲めの記念かも知れぬが、山口家の土藏の内には、抄紙道具の一部が、今に保存せられてあるとか傳へられて居る。
 却つて説く、小國郷としては其特産であつた小國紙の製造が、年々衰頽に赴くの傾向があるので、翁は大に之を憂慮せられ、之が改良の方法も無いものかと、明治二十四年四月抄紙傳習場を設立せんものと志し、参考の爲め、高知縣・島根縣・h蒹p等を巡覗し、遂に高知縣は最も改良進歩し居るを認め、同縣吾川郡伊野町より教師として久松儀なる者を傭聘し、居村内に工塲を設け、廿四年十月より廿六年三月迄、一ケ年六ケ月間生徒を募集し、改良器具を以て抄造法を傳授せしめられた。
 傳習生は刈羽郡・中魚沼郡・南蒲原郡等十三人に及び、卒業生の開業したもの十一人に及んだ。改良紙の販路は長岡・柏崎・小千谷等であつたが、その産額は完全なる調査を爲さゞる内に傳習所を閉鎖するに至つた。併し小國紙改良の傳習所は確かに其成果を収め、米國コロンブス世界博覧會に出品して褒賞を得、刈羽郡物産共進會・北魚沼郡共進會より賞を得たので、一般小國紙製造者も此改良紙に着眼し、漸次改良の時機に向ひつゝあるは全く翁の賜と云はねばならぬ。[一部旧字を新字にしてあります。]

 山口権三郎 (一八三八−一九〇二) 小国町金沢の素封家出身。二代目新潟県議会議長、日本石油設立など実業界でも活躍、達太郎、誠太郎、順太郎と代をつぐ。山口家には山口育英奨学会や郷土資料館が設置されており、抄紙伝習場資料も展示されている。

 

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