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思い出の渋海川 | へんなか

思い出の渋海川hennaka

へんなか 随筆 「思い出の渋海川」

思い出の渋海川             竹部 一郎

 大川…。幼い頃は渋海川、その名さえ知らなかった。八石山とともに校歌に讃えられ、唄にも歌われた渋海川。何十万年、何百万年の間、時には災害をもたらしたこの川も幾星霜、流れは変わるとも、小国の郷を成し育くんだ優しく美しい渋海川。この川のほとりに生まれ育った私には忘れ難い母なる川だ。記憶に残る二、三を記して思い出としよう。
〇大洪水と樋
 「とよだ!とよだ!」、大声で怒鳴る声が聞こえる。降り続く大雨で大洪水となり、仮桁に渡してある用水の樋が流れ出したのだ。この声を聞くと、部落の屈強な若者達が勢いよく飛び出して駈けつける。 灌概には命の綱の樋だ。流されては一大事と揮一つで逆巻く激流へ勇敢に飛び込んだ。
 押し流される樋へ必死に泳ぎ着くと、腰にとってある綱を素早く樋へ結びつけ、流れのゆるみを見つけて岸へ繋ぎ止めたという。
 今から考えると随分無鉄砲な話だが、血気盛んな当時の若者達の心意気が感じられる。
 二本柳では昔から用水には、とことんまで悩まされ続けて来た。現在では莫大な費用をかけたおかげで、立派な用水路が完成して、こんな話は古老の語りぐさとなっている。
〇川舟
 「てってー、てってー。」、肥料や塩、海産物、日用雑貨を積んだ上り舟を、船頭が舳先に立って巧みに瀬を避けて舵を取り、三、四人の曳き子達は舳先の柱に結ばれた綱を肩にして引っ張り、調子を合わせる独特な掛声だ。
 この声が聞こえると、早速に飛び出して行って、「ふねーの船頭さん、あつきまんま食いていか、べっちょう(性交)がしてか」と大声を出して喜んだものである。
 曳き子達は厳寒の凍てつく中を、かんじき履きである上に、沢川の出口をザブザブ渡り、丈余も積もった川べりの雪庇を滑り落ちないようにして伝え歩く。その難儀は、並大抵のものではなかったと思われる。
 しかし、上り舟は、白帆を風にふくらませながら、曳き舟が遡るのどかな風景も見られた。往時刊行された小国八景の句集にも中里の帰帆として詠まれている。
 下り舟は主に米を運び、八十俵も積んだという。川岸には八、九個所の河戸(こうど)(舟荷を積み下しした場所)があって、そこには倉庫がある。穀師という商人が売買をやり、終着地の塚山には■[○にニ]清水伊助、■[○にハ]長谷川虎弥のお二人が運送店を経営していた。
 交通不便な当時は、時には人も乗せた。大正の終り頃、四月十二日だというのに霰まじりの氷雨の中を、塚山まで乗って行った記憶もあり、私の所有地にも舟着場があって疎開した人が仮住居をしていて、現在でもそうこの屋号が残っている。
〇水あぶり
 新町、上谷内、二本柳、時には相野原の子供達までが二本柳の大川へやって来た。準備運動などその頃は何のその、今よりはずっと川底が浅かったので、素っ裸で駆け下り、いきなりザブンと飛び込んだ。心臓麻痺など糞くらい、誰一人としてショック死したものはなかった。
 朝から晩まで川に漬っていたと言っても誇張ではない。金槌組も多少はいたが、入学前にはほとんど泳げるようになっていた。たまには深みにはまってだっぶり(溺れること)をかいた者もいたが溺れ死んだ者は記憶に思い出されない。
 恐しかったのは、しゅうぜんかっぱがいてしるごを抜くから気をつけろと言われたことだ。 (溺死者は肛門が開くという、そのことではないかと思われる)。かっぱの頭のてっぺんに水がたまっていると千人力万人力の力があるが、水が干上るとへなへなになってしもうと聞いていた。
 たいさま淵や、わかごの淵はじん(渦)がまわっていて、そこへ巻き込まれると生きられない。それはかっぱが吸い込むからだと聞かされていて、本当におっかなかった。
 水泳ぎに飽きると砂をかけっこしたり、浅瀬に腹這いになってたりすると、せせらぎでかわいいおちんちんがピンピン張りきって子供心にも快い気持ちになったりした。陽に灼けた川原の石が素足ではとても歩けないほど熱く、その石の上に乾してある干瓢をメチャメチャにしてこっぴどく怒鳴られた思い出など、大川の水あがりは何とも愉快なものであった。
○吹雪の鳴き場所
 「親爺頼む」寒風肌を刺す吹雪の夕暮時、一人の旅武者が渡守の小屋の戸をたたいた。
年老いた渡守は「お武家さま、こんな大荒れではとても舟を出すことはできません」とかたくなに断わった。だが、武士は「急ぐ旅だ。是非とも舟を出してくれ」と頑強に言い張り、腰の刀に手をかけんばかりであった。
 老爺はやむなく舟を出すことにして、凍てつく渡し綱に手をかけてたぐり出した。舟が川の中ほどへかかったと思ったとたん、物凄い強風と共に吹雪が顔をたたきつけた。
 「あっ」と悲痛な叫び声をあげたのを最後に、舟もろとも荒狂う渋海の激流へ呑まれてしまった。
 その後誰言うこともなく吹雪の晩になると、ヒーヒーと悲しげな叫び声が聞こえて来ると伝えられている。 (雪の伝説より)
 三桶、太郎丸、小栗山、相野原、箕ノ輪、押切、鷺野島に渡場があった。子供の頃、六蔵の渡(箕ノ輪)を渡った記憶があり、押切でも舟場で遊んだ人が現存している。
 渋海の川は今でも上(かみ)から下(しも)へ流れているか。小国を去って幾歳月、これは、東京在住の古老が故郷を想う偽らざるの述懐と思う。

(たけべいちろう・一九〇七年生れ、小国町二本柳在住)

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