本文へスキップ

渋海川に明日はないのか シンポジウム「渋海川」に参加して | へんなか

渋海川に明日はないのかhennaka

へんなか 随筆 「渋海川に明日はないのか」

渋海川に明日はないのか シンポジウム「渋海川」に参加して  保坂 利雄

 「瀬違い田の加速的な施行によって、仙田村六千人の生活が支えられた。しかし、この事業で河床が沈下し、いまは、人々の暮しから遠のき、愛着と郷愁だけが残る、無用の川になりつつある」パネラー金子氏は嘆く。
 下流の越路町の深井氏は、二つの大きな農業用水が、現在の多くの美田を潤している事実を紹介した。
 全国の多くの河川がそうであるように、渋海川も、流域に多くの美田を生み、用水の源流としての役割を果たしている。
 自然の流れによって生じた美田は、その土質に誇るべきものがあり、魚沼米以上と云われるコシヒカリの産地を、全国的に知らしめた。これこそ渋海川の残した最大の恩恵である。
 仙田村、小国郷、塚山、岩塚、来迎寺の人達の生活を支えた渋海川は、少年期の関わりを頂点として、流域に住む人々の人となりに、大いに貢献したことも見逃してはならない一面である。
 少年期に、自然とのふれあいの場として、ハヤを釣り、石の下からカジカを追い出して特製のハリで刺し、八ッ目を手で握っていかめる。
 「水あぶり」にゆく時は、必ず仲間とゆき、リーダーのいない時は泳げないと云う不文律によって、自らの手で危険を防止する術(すべ)を修得する。泳げない者を、故意に深い所へと押しやって、"泳ぎ"をマスターさせた仲間意識、それらによって、現在の集落を支える基盤が培われたようにも思える。
 山と川の自然に、幼い時から少年達が、親の手を借りないで、先輩達から、仲間と一緒に溶けこんで多くのことを教えられた。山では、マムシや虫類の危険、火を使った時のマナー、ねじり木によって境界を定めた生活の知恵、道に迷った時、一呼吸しての時間と方角の知り方。川では、水と親しみながら、水の恐さを知る団体行動、たとえ、小川のカジカとりでも、仲間なしではゆかなかった教え、そして頼りになるリーダーの資質とは、等、今考えると数え切れないものを教わった。
 こんな自然の恵みを、今の子供達は味わえない。文明は、川をも汚染し、子供達からかけがえのない"教育の場"を奪ってしまった。このことを、我々は、今後どうしたらよいか、真剣に考えなくてはならないのではないだろうか。
 今回のシンポジウムは、過去を考える面からでは、確かに成功であったと云えよう。(それだけに懐古趣味的の感は否めない)
 しかし、時間の関係もあったであろうが、現状の把握、ならびに、未来への展望、そして、今後の対応等については、残念ながら発言、討論の場のないまま終ってしまった。
 いずれ機会を得て、再び、現状と未来についての討論の場を設定して、みのりあるものにしてもらいたいと、真に願ってやまない次第である。
 いずれにしても、今回の企画は、まことに時宜を得たものであり、町の過去を知り、未来への展望に一石を投じたものであると、心より感謝してペンをおきます。
 尚、問題点の一端を箇条書してみました。
 渋海川
一、川の水をきれいにする運動
 ア 水に対する意識の改革
  自然を愛するこころの育成
 イ 放魚の計画はどうか
 各地で行われている、鮭ののぼる川への試みを、この川でも教育の場として、活かしてゆけるかどうか。
二、川辺の整備をどうすべきか。
 自然に近い線がよいか、それとも近代的整備をすべきか。
三、散策道と桜並木の計画はどうか。
 再基盤整備は急務と思われるが、立案の際、休耕田等とからめて長期的展望を。
四、農業用水としての渋海川
 基盤整備が進めば、当然、用水の今後のあり方が問題になる。科学的根拠のもとに、用水の再見直しの必要があろう。なお、克雪対策の、流雪溝の用水源としても考える必要があると思う。
五、防火用水としての渋海川の必要性は将来ともないか。
六、その他、さまざまな視点でとらえてゆく機関を、どのように育ててゆくのか。

(ほさかとしお・一九二九年生れ、農業、小国町太郎丸在住)

→ 『へんなか 第三号 特集:渋海川』目次のページへ

 

◆お読みになりたい方は、お近くの図書館でお読みになることができます。