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渋海川雑考―ようやく母なる川に― | へんなか

渋海川雑考―ようやく母なる川に―hennaka

へんなか 随筆 「渋海川雑考―ようやく母なる川に―」

渋海川雑考―ようやく母なる川に―          富沢 敏一

 よく川の流れるさまを滔々と表現するが、これはいずれの川にも当てはまるものではない。
 大体この語源は中国であるから、おそらく揚子江、黄河などこの国を代表する、いや世界に君臨する大河にもっとも相応しい呼び名であって、わが国の場合どの川にもこの形容詞は適切でないと思うのである。
 小国町を縦貫する渋海川は到底滔々の流れではない。強いていえば百人一首のなかの 瀬をはやみ岩にせかるゝ瀧川のわれても末 に逢はむとぞ思ふ  ………崇徳院の短歌の上(かみ)の部分のように瀬をはやみ、岩にせかれる流れの延長線にある渋海川なのである。
 八月二十八日に渋海川のシンポジウムが開かれた。
 それぞれの立場による論理が展開されてまことに興味深く聞いたが、あるパネラーは瀬替工事によって新田は増えたけれど、度重なるこの事業で河床が沈下し、いまは人々の暮しから遠のき、愛着と郷愁だけが残る無用の川になりつつあると断論した。
 私は率直にいってこの直載の論述にかなりさわやかな共感を覚えたのである。
 世上、われらが母なる渋海川とあたかも長い歴史に裏打ちされた如く、まことしやかに虚飾する。はたしてそんなに慈愛に満ちた渋海川であったろうか。自分を捨てて子に尽くす母の情愛をこの川のどこに見出すというのであろうか。少なくとも明治の末頃までは全く腹立たしい川であったはずである。
 至極一般的な通念を渋海川に奉って自己陶酔している人達には、渋海川の本当の嘆きは聞こえてこない。
 昔は土俵を並べるだけで灌概用水に取水出来たというが、それはいったい何時頃のことなのであろうか。河床沈下の元凶とされる瀬替工事も徳川の代が定着した中期以後に違いないし、不思議なのは瀬替によって生まれた新田の喜びは伝わってきても、機械の無かった当時の、施工の筆舌に尽くし難い苦難の程が文書に記録されず、または口伝で語り継がれてこないのだ。
 この事業は集落、あるいは地域の農民が自発的に行ったのか、支配する藩の方針だったのか、全然不明である。もし集落、関係農民の自主的な工事だったとすれば、その負担はあきらかに生活を圧迫する彪大なものと見るべきである。
 渋海川の最大の欠点はどう考えても用水に利用出来なかったことだ。農民の母なる思いを獲得するにいたらなかった渋海川の瀬音がもの哀しく響くのを、封建時代の小国の人達は切なく聞いたに違いない。
 深い川底は洪水から田畑を救ったが、逆に川欠による農地の流失は大きい。
 船道―小国船道の呼称はあっても実際には流れが早く、船底を石が噛む瀬がいたる所にあっては、その真価の発揮はままならなかったと思われるし、この川を象徴するようにいわれる爪石も姫川の輩翠ほどの高価値はない。
 三百年前に鮭がのぼって来たというが、何も鮭にかぎらず、川魚類が貴重な蛋白源として食生活を豊かにしたかいささか疑問である。
 本当の意味で渋海川が母なる川として名実ともに小国の人達の意識にのぼり始めたのは、明治以後のいわゆる文明開化からである。
 それまで羨望と怨嗟で傍観していたこの流れが、電力の開発普及で揚水を可能にして小国の田をうるおしたのだ。このことはとりも直さず近代農業の幕開けでもあったはずだ。
 転機を迎えた渋海川が決定的な恵みの川に格付けされたのは、戦後、小国・越路の両町に給水される大規模な上水道施設の実現によってである。
 そしていま、集落における生活環境の改善の基本的な下水道の敷設工事が緒についている。これも川底の深い渋海川なるが故の利点であって、もし浄化された排水をポンプアップして川へ流す状況とすれば、不経済も甚だしい。現にこんな市町村があることをあらためて知って置くべきである。
 渋海川の小国町内での延長距離は一八・九二四M、流域面積は支流を含めて八五・九三平方キロM、町の東西を結ぶ橋梁は、他の行政区域に跨るもの、目下建設中まで入れると十四橋という豪華な便利は外に類を見ない。これもひとえに先達の功績の大きさであろう。
 戦後四十余年の歴史の歩みのなかで、すっかり私達の生活に密着して来た渋海川に、満腔の感謝をこめて、まずとりあえず昔のような清洌な流れに戻す実践を、(これはかなりの困難の伴う事柄であるが)飽きることなく展開していきたいものである。そして、この渋海川の、いわば美顔療法を押し進めてゆく行動が、きっとおお川に親しむ転機となるに違いない。
 筏流しのイベントも勿論、それなりの意義はあろうが、川瀬がきれいで磨かれた河原の石に干瓢を並べたという昔日の風物詩がふたたび見られるような、小国の人達の日常の生活にぴったりと寄り添う渋海川に早く還したいと切実に思うのである。

(とみざわとしいち・一九二七年生れ、俳人、小国町楢沢在住)

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