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手づくりイカダで川下り | へんなか

手づくりイカダで川下りhennaka

へんなか 随筆 「手づくりイカダで川下り」

手づくりイカダで川下り             阿部 正之

 渋海川に突如出現した巨大な亀サン。背にあの浦島太郎を乗せている。竜宮城を目ざして、悠々と川を下って行く。何とも楽しい光景である。
 この夏一番の暑さで照りつける太陽に、水の上とはいえ、汗を流しながら澱みに悪戦苦闘している「手づくりイカダ」の面々。
 毎夏、恒例になったサマーフェスティバル、今年のメインイベントは、「手づくりイカダによる渋海川の川下り」に決まった。初の試みでもあり、タイムレースは行なわずイカダのアイデアコンテストとなった。
 僕達、商工会青年部も実行委員会に顔出ししていることから、青年部としてもイカダを出そうということになった。
 とりわけ好奇心の強い有志が、一晩寄って冷たいビールを飲みながら、アイデアを練ることになった。  喧々ゴウゴウの末、テーマと夢があり、初体験に付きものの感動すらあるイカダを造ろう。しかも沈まないものということで、「亀と浦島太郎」に決定した。決まったとはいえ、設計図があるはずもなく、とにかく材料を持ち寄って、当てがいながら造り始めることになった。
 仲間の一人である田中カーサービスの整備工場を製作工場にし、夜な夜な寄っては、「こうらねかナー」「バカッそうじゃねーこて」「こっげでどうらいのー」とわかったような適当なことを言い合い、暗中模索、試行錯誤、深夜作業、近所迷惑も省りみず、飲まずに造りあげた。(途中近所の人が「なあんのしてるがんだい」とのぞきに来た)。
 角材で骨組みを造り、ベニアで囲って甲羅にし、頭は発泡スチロール、手足のヒレはタイヤを切って、尾っぽはワラのトバ(ワラ束をほぐして一方を縄に結んだもの)をかいて着けた。少々腹が出すぎているが、部長の信義さんに昔懐しきももひきとワラジをはかせ、腰ミノとボンゴ笠に釣竿で浦島太郎のでき上がり。
 八月十四日、正午スタート地点の小栗山は、崩の川原に、続々と出場者がやって来た。各この日の為に密かに密かに造りあげた"イカダ"が十四ハイ。久し振りに川原は大賑い。ひと通りのセレモニーが終え、数発の花火を合図に一パイずつ、ゴールの小国橋をめざして出発した。
 川の両岸のそこかしこに陣取る家族連れ、橋の上には鈴なりの見物人。家族や仲間の乗ったお目当てのイカダがやって来ると、手を振ったり「おーい、頑張っれやーッ」と掛声を飛ばす、何を頑張るのかよくわからないままイカダに乗った船頭さん達も手を振って応えている。時折、気のきいた仲間が橋の上から、カンビールを投げ落し、思わぬ差し入れに喜んでしまう。
 様々な、思い思いのイカダが流れて来る。
民謡をボリュームいっぱいに上げて流しながらの屋形舟、ドラムカンで造った自動車型、そうかと思えば、口から火を噴き出しているドラゴンもいる。幟旗をめぐらせ、はためかせた大型の箱型イカダ、大勢で乗り込みビールを飲みながら奇声をあげ、賑やかに下ってくる。
 当初、実行委員会の中では、どの位の参加があるか見当がつかず心配もしていたようだが、まずまずの面白人間が集まり、初回にしては上出来。三十代から四十代の参加者が多く意外であったが、子供の頃の川遊び経験者が集まったようだ。
 そういえば、川を遊び場所にしていた世代は僕達三十代の世代までのように思える。
 春の釣りで始まり、夏休みは、海水浴ならぬ川水浴でずっと泳いでいた。籠ツヅなんてのも、伏せ針でのナマズ取りやヤスで魚つきもやった。子供達の大切な遊び場のひとつだった。
 川遊びの面白さを知っている者が、話を聞いた時、ヨシ出てみようと思っても不思議はない。
 しかし、いつ頃から何故子供達が川で遊ばなくなったんだろう。プールができたからか、いや泳ぐだけが川遊びではない。子供達の遊びが変わってしまったのか、危険だからか。
 しかし、遊びには危険はつきもの。今も昔も同じはずである。遊ばないのではなく、遊べなくしてしまったように思える。
 子供だけではない、大人も川に下りなくなった。投網を背にした地下タビ姿の大人達が川下から登って来た。そんな話も最近は耳にしないし、自分もやろうとは思い付かない。
皆んな川から遠のいてしまった。
 川が汚れ始めた時期は、そんな頃からではないだろうか。
 当時、渋海川なんて名前は無かった。みんな「おお川」と呼んでいた。今はそんなふうに呼ばなくなっている。そこには遊びのみならず、生活さえ組み込まれ、暮らしの中に「おお川」があった。
 今飲んでいる水は、この川の水だ。目に見えない形で結ばれているのだが、見えず感じていない。
 さて、実際に下ってみると、スタートの崩れからゴールの小国橋まで、確か堰堤が四ケ所もあって、イカダを降すのには苦労した。
 ふと、これでは魚が上ることも下ることもできないのでは、閉じ込めてしまったのではないかと思う。  そのためか、予想以上に川は流れていなかった。イカダが下っていかない。汗を流し、漕いでやらねば前に進まない。ただ浮いている感じで、所によっては上流に逆もどりしたりする。真夏で水量が少ないだけではないだろう。瀬の立つ所でイカダから降りて押した。
 川床には泥が溜っていた。石や砂利の表面が何かに覆われていて、ヌルっとした感じであった。
 中学三年生の夏休み自由研究で「渋海川と砂」をテーマに同級生三人で、三桶橋がら平和橋まで川を下って、調べたことがある。どんな所に砂が堆積するか調査したのだが、その時の川床の石や砂利はつややかに顔を出してきれいなものだった。川はたしかに流れていた。顧問をしていただいた先生が言われたことを思い出す。「川は流れて浄化する。流れながら自ら浄化するんだ……」何時の間に、こんなにも汚泥が溜まってしまったんだろう。川を忘れ、遠のいてしまってから川は変わっている。
 暑い暑い一日「手づくりイカダの川下り」は思いのほか、盛り上がった。水面から見上げる両岸の景色は格別であった。久し振りに川遊びの面白さが甦ってきた。
 川を忘れ、山さえ忘れようとしていたが、川や山を忘れて何が残るのだろう。川も山も無口であるが、見つめた時は語りかけてくれる。そんな気がする。
 真夏のイベント「手づくりイカダの川下り」来年はもっと多くのイカダが登場し、楽しいイベントになることを期待したい。

(あべまさゆき・一九五一年生れ、小国町商工会勤務、小国町原在住)

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