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川をとりもどす | へんなか

川をとりもどすhennaka

へんなか 祝辞 「川をとりもどす」

川をとりもどす                 長谷川 進

 水と火、それが私ども人間にとって、欠くことのできないものであることは、申し上げるまでもないところでありますが、この渋海川の流れ、これが、この流域に住む人間にとって、昔から切っても切れない関係にあったことも、申し上げるまでもないところであります。
 渋海川といいますと、やはり、私どもの年代では、子供のころが思い出されるのでありまして、今の子供は、プールで泳いでいますけれども、今時分になりますと、川へ行って泳ぎをする。中には、蟹もいたし、えびもいたという川でありましたが、今の子供たちにとっては.そんな川遊びの思い出というものが、残るんだろうか、私は、おそらく残らないんじゃないかという気がいたします。
 それに、もうひとつ、いわれるように、渋海川の河床が、私のおぼえのある約五十年間に、四メートルから五メートルくらい下がったんじゃないかという気がいたします。
 子供心に覚えているのは、太郎丸の宮原さんという方が製糸工場を持っておられた時には、ろくのはねという川蔵をつくってそこから舟で荷上げをしたところが八つほどあったのですが、子供のころ、そこに油が染みこんで、汚れていたところがありました。そういうところが、今は、はるかに上になったというより、だいたいのげて(崩れて)なくなってしまった。昔の図面を見ますと、川の真ん中辺まで太郎丸の耕地があったように見うけられます。
 先年、五十三年の六・二六水害の時に、部落の耕地が流され、復旧の話し合いがなされた時に、ある人が、「渋海川で流れた俺の土地は、どうしてくれるんだ」といっていました。川で流れた土地は、取り戻すことができないので、御勘弁いただいたことがございます。ほんとうに渋海川は、荒れ放題になったといえるんではないかと思います。
 本日、流域の皆さんがお集まりになって、この渋海川を考えるシンポジウム、ここで我々が渋海川に対して、何ができるのか、私はさがった河床をもとに戻すことは、簡単でありませんから、せめて川を昔のようにきれいにして、柳の木が川岸に生えてくれるようなそんな川をとりもどしたいという気がいたしているわけです。
 本日の皆さんのシンポジウムの中から、教えていただけるものがありましたら、私どもに教えていただきたいと思います。このシンポジウムの成功を祈念いたしまして、御あいさつといたします。

(はせがわすすむ・小国町議会議長)

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