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川の文化を考える | へんなか

川の文化を考えるhennaka

へんなか 祝辞 「川の文化を考える」

川の文化を考える                 若林 一郎

 若林でございます。ご紹介のように来賓として皆さまにごあいさつ申し上げるのは、少しおかしいのでございまして、実は、私は「小国芸術村」現地友の会の雑誌「へんなか」の編集委員の末席に名を連ねております。この「へんなか」という雑誌、ごらんになったと思いますが、一号二号が出まして、大変評判のいい雑誌なんですけれど、雑誌は三号めが大切なんで、「三号雑誌」ということばがあるくらいです。三号目にいいものが出るか出ないかということで、雑誌の将来が決まるというふうにいわれております。
 この第三号の企画として、渋海川を取りあげたい、それには、流域の方々にも参加していただいて、川の文化を考えるシンポジウムをやろうではないかということになりまして、このシンポジウム開催の運びとなったわけでございます。
 私も編集委員の一人といたしまして、ではこの雑誌の第三号の内容に、どんなことを期待しているのかということをこれからお話し申し上げて、ごあいさつとしたいと思います。
 私が中学へ入りましたときに、古代の文明というものは、すべて川のほとりに生まれたということを習いました。エジプト文明は、ナイル川のほとりに生まれ、メソポタミァ文明は、チグリス・ユーフラテス川のほとりに生まれ、インド文明は、インダス川のほとりに、中国文明は、黄河のほとりに生まれました。今日でも、世界の大都市は、すべて、川のほとりに栄えております。パリにはセーヌ川が流れ、ニューヨークにはハドソン川が流れています。東京の歴史を繕いてみても、隅田川の存在を忘れることはできません。だいたい川のほとりというものは、人の集うところでございまして、たとえば東京の盛り場というものは、昔は、だいたい隅田川のほとりに位置しておりました。江戸の文化というものは、隅田川を抜きにしては、考えられないくらい、隅田川とともに発展してきたといっていいくらいなのです。
 ところが、その隅田川の現状はどうかといいますと、これは全くのドブ川と化してしまいまして、とにかく橋の上を、鼻を押さえないと通れないという悪臭が長年続きました。それではいけないというので、最近は、少し水質改善の努力の効果が現われているようですけれど、それでも、一度失われてしまった川の美しさというものを、完全な形でとり戻すことはできない。しかも、川のまわりをコンクリートで固めてしまって、川が再びよみがえるものかどうか、昔のように、人々の集うところになりうるかどうかということになりますと、大へん難しい問題がある。今日、東京が水不足で騒がれていますけれど、その淵源も、またそこにあるようです。
 川だけでなく都市全体がコンクリートで固められてしまいますと、空から降ってくる雨水も、地面の中に吸いこまれませんし、下水のためにまた非常な経費を使いながら、一度大きな雨が降りますと、あちこちで下水が逆流いたしまして、洪水の被害が出ます。しかも、地球全体が、温暖化いたしまして、年々気温が上昇してきますと、乾燥度は、高くなるなるばかりです。たとえば、今日では、東京の冬の乾燥度というのは、サハラ砂漠と同じなんだそうでございます。東京で今、あちこちの家庭で、ダニが大へん殖えて困っているんですけれども、このダニは、もともと砂漠にしかいない種類のダニだそうです。そのダニが、あちこちの団地の中で殖えている、東京は、それくらい乾燥した都市になってしまっているわけです。去年のように、ちょっと雨が降りませんと、たちまち水が足りなくなる、水道の水が出なくなります。
 そもそも近代文明を享受するためには、大へんな量の水を必要とします。コンピューターを冷やすためにも水がいります。自動車を洗うためにも水がいります。そういう文明の需要を充すための水源というものが、東京にはもう枯渇してないわけです。水源となりうるような土地には、ダムを作ってしまっている。ですから、新潟県から水をわけてほしいという声が出てくるわけです。で、新潟県議会では、そういう水を出してやらないということを決議なさったそうですけれども、それに対して東京の方では、それは地域エゴではないかという声が澎湃としておこっているというふうな現状ではないでしょうか。そういう都会の身勝手な要求に対して、どういうところで抵抗したらよいのかというふうなことを考えるためにも、このシンポジウムが役に立ってほしいと考えております。
 この間も、大井川の辺にいって、びっくりしたんですけれども、とにかくあの「越すに越されぬ大井川」と唄われました川が、上流にダムがいっぱい出来たために、全く水が流れなくなってしまった。河原だけで、水が全く見えないという川になってしまった。そのために、河原砂漠と申しまして、ちょっと風が吹くと、もうもうと砂煙りがたちのぼるという川になってしまいました。魚がいなくなるのはもちろん、下流の方は、お茶の産地なんですが、お茶の方に被害が出て、かってのお茶の産地として名をはせた土地に、お茶がとれなくなるというふうなところを、実際見てまいりました。それでは大へん困るというので、電力会社と交渉いたしまして、年間十億円の発電量にあたる水を放流するということで、やっと協定が出来たのですけれども、一度失われてしまった川の自然というものは、復活するのに大へんな時間がかかるのです。
 そういう状況はあちこちにありまして、たとえば信濃川の上流にダムをつくるということを簡単にやってしまいますと、十日町あたりでは、水道の水が出なくなるということが、現実におこりつつあるわけです。
 そういうものを見聞きしたあと、新潟県の村上の方へ行きまして、いろいろ水のお話をうかがったんですけれども、その時、大へん感動したのは、昔のお百姓さんというものは、田んぼを買うときに、必ず上流の山林も一緒に手に入れたものだというんです。エコロジー(生態学)などというむつかしいことばを知らなくても、昔の越後の農民は、そういうように、環境保全のために、山林が必要だと知っていたんですね。きれいな川を保つために、山林も手に入れて自分の田んぼを経営していたんです。しかもこれが江戸時代から行われていたと聞いて、びっくりいたしました。そういう農民の英知というのは、大へんすばらしいものだと思います。
 水がなければ稲が出来ないというところから、越後のお百姓さんは、昔から水を大切にしてきたんだと思いますけれども、私がはじめて小国町へ参りました時にも、まず川のほとりに、茅葺きの小さなお堂が建っているという風景を見て、これが小国町の原風景なのだなと深く感じて、その印象が忘れられません。昔は、この川で川遊びをしたんだとか、太郎丸の仁王様の木材は、この川を利用して運んできたんじゃないかというふうな面白い話をうかがって、この川が、周辺の町や村の暮しにどんなに深く関わっていたかということを改めて感じさせられました。
 ところが、都会化の波が農村に押しよせて参りますと、川とのつきあいが薄められてまいります。実際各地を見ますと、農業用水のために、コンクリートで護岸して水を通す、そうすると子供が落ちるとあぶないというので、その上に蓋をかぶせるようになってしまう。田んぼには、パイプラインで水を配ればいいということになる。一方では、生活排水のために川が汚れてくる。交通のじゃまになる、では、その上に蓋をかぶせてというふうに、川というものが、だんだん周辺の人々の暮しから切り離されてゆく、いわゆる都市の文化による環境破壊という問題が目の前に迫りつつあります。こういう時こそ川の文化を大切にするということを、私たちは、真剣に考えなければならないのではないかと思われます。
 九州に柳川という町がございます。これは堀割の町でございまして、例の詩人の北原白秋のふるさとなんですけれども、都市化が原因で、生活廃水が、どんどん堀割に入ってまいります。堀割が悪臭を放つドブ川となりまして、町議会でも、この川を暗渠にしようと一度決議されたんですね。ところが河川の管理にあたる町の役場の方が、決然それに反対いたしまして、自分でもって堀の中に入って、胸まで水につかりながら、川の清掃をはじめたわけです。自分で川草を刈ったり、さまざまな、流れてくるゴミを拾いあげたりしていましたところ、その姿に感動した町の人たちが、一人、二人とそれに協力するようになり、その市民レベルの努力が実りまして、ついに町も計画を変更して、堀割の美化事業をすることになりました。そうすると、その掘割に屋形船を浮かべて、堀めぐりしようという観光コースができあがりまして、今では、大へんな九州の名物になっております。観光客が柳川に行きまして、堀割を渡ると、自分の心の原風景にめぐりあったような気がして、ほっとするというふうなことをいって、大へん評判がいいそうです。
 そういうように、治水という観点だけでなく、環境保全という立場から川の文化を考えるという運動は、全国各地で、かなり広範囲に、今おこってきつつある。山形県でも、福井県でもそうです。昔ながらの農業用水となっているものの環境を保全して、水路に柳を植えたり、桜を植えたりして、昔の景観をそのままよみがえらせる。するとそこへ、人が自然と集まってまいりまして、それが観光地になったり、周辺の人の心の安らぎの地になったりしています。
 山口県山口市の中を流れる川もそうでありまして、コンクリートの護岸をしようということになったときに、これは蛍のいる川だから、なんとかならないかということで、町役場の方が大へん苦心して、蛍の生育にちょうどいいような川づくりをした、カワニナを養殖して、水辺に蛍の好むような草を植えて、というふうなことをやりましたらば、ここ数年で、ものの見事に蛍がたくさん殖えまして、大へん観光地としてにぎわっております。
 こういうふうに、川につきあうことは、一面しんどい労力がいることなんですけれども、川とつきあうことによって、その土地が活性化してゆく事例は、さまざまあるわけでして、先ほども、先日の小国町の渋海川いかだ流しの写真を見せられまして、当日は、大へんな盛況であったと聞きました。なるほどこれはおもしろいや、心がうきうきするようなことだと思いましたけれど、それがまあふるさとへ帰ってくる人達にも思い出になる、川べりで遊んだ祖先のための供養にもなるというわけです。お盆の年中行事として定着してゆけばいいんじゃないかなという夢を話していたところです。
 そういうように川とつきあうようになる、たとえば子供が川べりで遊ぶようになれば、お母さまは自然と、生活廃水に気をつけて、川を汚さないようになってくる、川とのつきあいをよみがえらせることで、川の浄化、環境の保全ということにつながってまいります。少し水路を考えれば、魚ものぼってくる、そうすれば、釣りびとも、そこへ自然にやってくる、たとえばカヌー競技みたいなことも、小中学生の体育として、川と親しむという意味では、非常にいい。水の上から周辺の風景をながめることは、自分の心の原風景となって残ってゆくのではないでしょうか。
 子供たちがこう考えてゆくことで、郷土の川というものと自分の生活が結びついてゆく、アイデアは、次々と湧いてくるのですが、その第一歩といたしまして、このシンポジウムで、かつての我々の生活の中に、川はどういうつながりを持っていたのか、現在の川はどうなのかということを、私も勉強したいと思います。これを通して、小国町ならびに、周辺の流域の方々の生活と、川とのつながりがどうなってゆくかということを、皆さんにお考えいただけるきっかけとなればいいと思いますし、それを雑誌の上に反映させまして、よりよい成果をあげることができればいいと思っております。
 どうぞ最後まで、ごゆっくり御清聴のほどお願いいたします。どうもありがとうございました。

(わかばやしいちろう・小国芸術村会員)

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