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パネラー発言 地質学上からみた渋海川 | へんなか

地質学上からみた渋海川hennaka

へんなか パネラー発言「地質学上からみた渋海川」

地質学上からみた渋海川              堀川 秀夫

 私のは大分話の性質が違うのですが。
 私は、昭和四十一年から四十六年頃までこの小国町で、旧森光小学校や小国中学校の寄宿舎をお借りいたしまして、県下の小中高校の先生方や大学の先生や学生の皆さん五・六十人で、この辺を調査した覚えがあります。大分小国町にお世話になりましたので、一応分かったことはお返しして行こうということで今日来さしていただきました。
 まずスライドから先に説明していきたいと思います。(以下スライド説明※印がコマのかわり目)
 調査はまず小国町を手始めにだんだん渋海川を遡りまして、中仙田、松代へと調査を続けて参りました。
※ではスライドです。これは大学生達が松代町付近で調査をしている処です。
※これは調査の前です。仙田中学の寄宿舎で、小中高校の先生方です。この他小国中学や松代町の孟地中学の寄宿舎とかあちこち色々とお世話になって調査しました。
※これは車に分乗して出発するところです。大体五〜六人の班で、こういう川のそばにある崖を削って、地層があるとそれを調べるのであります。
※これは大白倉から大貝方面と思いますが、渋海川のかなり上流の方です。この辺は結構景色がいいです。この辺は道がないので一旦沢へ入ると、全然出ることができません。入ったら最後、夕方五時頃まで沢につかりっぱなしで調査を続けます。
※こういうふうに最後は岸も歩けなくなります。これは自動車のタイヤのチューブです。リュックの中には弁当が入っているので、濡らさないようにして、泳ぎながらハンマーで地層を削るのです。こちらの人が調査の結果をしゃべると、上の方にいる人が記録していきます。
 かなり深いところになると沈みそうになります。こういうふうに深いところも各所にありますが、どんどん遡っていきます。川沿いが地層が一番よく分かるんですね。川が流して草が生えませんのでね。
※渋海川本流と枝沢ですね。楢沢川とか芝ノ又川とかの枝沢を全部調査するわけです。枝沢はまず残らず入ったと思います。
※中にはこのように景色のよい所もあるので、そういう処で休憩いたします。自動車のチューブの浮き輪を持っていますが、大体高校の先生とか、そういった人達です。これなどは観光の名所になるんじゃないでしょうか。
※これは片桐先生が話された奇麗な河原ですね。こういう処がまだあるんです。ここでのんびり一休みして昼食です。
※四十五年から五十年頃です。これは塚野山近くですね。随分下流の方へ下りましたが、………渋海川は先程も話がありましたが、河床が五十年ばかりで四・五メートルも下ったということですが、それは此の辺が大変隆起の激しい地域だからです。普通、川というのは、本来河原の石が沢山ある所なんですが、隆起が激しいために、川底そのものが出て来ています。本来は河原の石がここにのっているんですが、隆起が激しいために西岸の互層が出て、川底の地層が出ています。このように隆起の激しいところです。
※これは桜町トンネルの工事をしている処です。昭和四十二、三年頃だと思いますが、丁度地層が出ている所を撮ったものです。ここで地層の説明をしておきます。(以下スライド図説明)これが私たちのいう地層です。ここが礫層、泥岩、砂岩です。泥岩とか砂岩とかは粒の大きさできめるんですが、泥岩は乾いているのが普通です。砂岩は水を吸って黒くなります。こっちが小千谷の方で、こっちが小国の方になります。で、地層というのはこう傾いていますと、必ずこのままずーっといくわけではなく、底にもぐって反転し尾根を越えて(背斜・向斜といいますが)また続きます。これでは分かりにくいので、後から図で説明します。こちらのへこんだところが小国盆地になるわけです。地層はまあこんなになっているんだということをご承知置きください。昔からこうなっているわけではなくて、これは今から七十万年くらい前の地層ですので、七十万年くらい前にはこの辺は海の底で水平になっていたわけです。それが傾いて…即ち隆起、褶曲してここまで傾いたということなのです。このことは今の内に頭に入れておいてください。後で総合的に説明する時に必要になって参りますので。
 こういう形をした地層は楢沢川でも芝ノ又川でも崖の処へいくといくらでもありますので、ほとんどの人が見たことがおありだと思います。
 この地層を調査しておりまして、色々な化石とか地層の岩相から色々なことを考えます。昔どんなことが起こったかという、地球の過去を調べ、現在を知り、未来を推定していくことになるわけであります。
※これは小千谷トドと言いまして、小千谷から出た化石であります。トドというのはアシカ、トド、アザラシの仲間のトドの化石の犬歯で、これもデータの一つになるわけです。
※これは塚野山のあたりだと思います。渋海川の河原から出て来た、ムカシマンモスの歯だと思います。かつてはナウマン象と言われたのですが、最近は今ここのロビーに飾ってありますムカシマンモスといわれています。マンモス象とかナウマン象の先祖と言われるムカシマンモスの臼歯です。十センチ位ある立派な物ですが、これによって、当然昔この川の流域に象が居たということは、誰も疑うことが出来ないというわけであります。これも色々な環境を考える要因になるわけです。
※これは松代町です。犬伏のあたりです。ちょっと分かりにくいかも知れませんが、巣穴なんですね。分かり易く言えば蟹の巣穴と思って結構です。五つ六つの蟹の穴が集まっています。こういう蟹の巣穴があるということは、この辺が海辺の近くであって、そこに住んでいた蟹の巣穴がそっくり化石になって残ったのであります。
※これは葉っぱの化石です。メタセコイヤという有名な植物です。
※これは、目に見えない化石です。地層の中から目に見えないが、化石があると思われる部分を取っていって顕微鏡で見るわけです。そうすると、肉眼では見えない化石が、色々と見えて参ります。それをこれから紹介します。
※まず最初は花粉です。これは松の花粉です。二千倍くらいの倍率でこのように見えます。花粉は地層の中に大体入っています。化石が目につかない場所でもこうして顕微鏡で見ると花粉があるというわけです。そうしますと、その花粉によって植物の種類が分かり、暖かい地方の花粉か、寒い地方の花粉が分かりますから、この地層が含まれている処は冷たいか暖かいかということがわかるわけであります。
※これは有孔虫といいまして、やっぱり顕微鏡で見えるものです。この有孔虫の化石からは寒流とか暖流という海流の様子が分かります。
※これは大体百万〜二百万年前の地層です。これは火山灰です。松代の方なんですが、小国町でもこういう火山灰があります。ピンクタフというのですが、芝ノ又川でも楢沢川でもずーっとこういうピンク色の火山灰層が見られます。これはどういう意味があるかというと、端的に申しますと、火山灰が此の辺に沢山降って来たことがあるわけです。ここからここまで全部火山灰です。これは七十万年ほど前ですが、相当大量な火山灰が降ってきたということの証拠であります。
※これはSK030と云っていますが、芝ノ又川にも沢山見えますし、楢沢川にも見えます。これが楢沢川のものとしますと、小国盆地の下をくぐって今度は芝ノ又川にこういうふうに反対の向きに火山灰があります。全部つながっているわけです。これは大体百万年前の火山灰です。ここにスコップが撮ってありますから大体厚さが分かると思いますが、大変大量な火山灰が降ったということになります。
※こういう火山灰の中にジルコンという鉱物があります。これには、ウラン235という元素が結構含まれております。放射性物質ですので、自然核分裂を起こすんですね。この核分裂は偶発的に起きるんですが、統計的に長い目で見ますと、かなり正確に時を刻んでいるのです。この傷が分かりますか、こういう傷を勘定することによって大体このジルコンという鉱物は、何年前に出来たかということが分かりますので、それによって年代を測定することが出来るわけであります。
 こうして調べたことを、渋海川、芝ノ又川、楢沢川みんなそうですが、こういうふうに書いて断層を記録します。これは火山灰です。これはシルトといって泥岩ですね。これが砂岩、小礫岩、砂礫岩ですね。こういう風に色分けして化石等も記録してまとめるわけです。
※此処は海成層、海の地層です。海の底へ積もった地層ですね。どんな時期かと申しますと、小国町が海だったというのは、内湾の海が入りこんでいた頃に海の地層が積もってそれが隆起して小国盆地が出来たのです。もう少し分かり易く言いますと、この様に新潟県がこうなっていて佐渡があって、これが米山です。それから弥彦、角田があって、小国町はこの辺になります。その頃は陸地がこの辺まで迫って、こういう風に入り組んだ処には象が居たし、カタクチイワシ、サケなどの化石が出て来ます。その頃もうサケがいました。分かった植物も書きこみますので当時の環境がこの様に描けて来るわけです。
 以上でスライド説明は終わりにします。
 あと時間がありませんので論文の紹介をしておきます。
 まず「小国盆地の魚沼層についてその1、その2」「新潟県刈羽郡小国町地域の魚沼層群」「渋海川流域の魚沼層」「魚沼層群小国町、川西町、松代町、十日町市地域」「小国町地域の魚沼層群の古地磁気学(コチジキガク)」「中魚沼郡川西町の魚沼層群」「新潟県南魚沼郡の魚沼層群」等々であります。最後に昭和五十五年頃と思いますが、「魚沼層群」という分厚いものをまとめて魚沼層群の調査を終わったわけであります。
 この小国町が魚沼層群の中心といいますか、魚沼層群がよく発達した所で、私達が最初に調べた所です。要するに魚沼層群のメインルートがこの小国町に当たっているというわけです。
 図で説明いたします。
(以下図の説明)これが今問題の渋海川です。現在地はこの辺で、楢沢川がこれです。段丘がこの辺でずーっと山を駈け上って楢沢峠です。こちらが猿橋を通って八王子の方へ行って田島峠です。ここの所を調べたのですが、白いSK030がこう走っています。同じ火山灰がこうあるわけですから、ここまでが魚沼層群上部累層で、こっちが中部累層、下部累層というふうに分かれています。
 地層がこう傾いていますが、こっちの方はこう傾いています。それがそっくり反転してこう傾いてきているというわけです。小国盆地というのはこういう所に出来ました。丁度このようにへこんだ所です。こちらが背斜構造、こちらが向斜構造で、へこんだところが小国盆地です。(以下途中省略) これは昭和四十五年頃書いたものですが、お手許にお配りしてある資料(42・43P別表参照)は昭和五十五年頃魚沼層群をすっかりまとめてから書いたものです。この図は前ののであんまりよく分かっていない頃の図です。だが、資料よりこれで説明した方が分かり易いと思うのでこれで簡単に説明さしていただきます。
 この一番下が二百九十万年前で、此処が五十万年です。図の上から上部累層、中部累層、下部累層、最下部累層となります。二百九十万年から五十万年の間を分けたというわけです。
 小国盆地には、魚沼層群という地層があってその地層は、今から二百九十万年から五十万年の間に積もったものです。その間を上部、中部、下部、最下部と四つに分けているわけです。
 芝ノ又から八王子に至る途中に崖がいっぱいありますが、この崖は砂岩ばかりでできています。これは海浜砂岩と言われるものです。この辺に来ますと、芝ノ又川のかなり上流になります。大体芝ノ又川に沿って話していますが、此処に亜炭層というのがあります。亜炭層が五、六枚入っています。亜炭層とか砂シルト互層とか色々あります。
 どういうふうに大きく変わったかと申しますと、この辺、下の方にオオバタグルミ、メタセコイヤ、バタグルミ、というのがあります。オオバタグルミというのは、暖かい方の植物で、メタセコイヤは有名で絶滅していますが、どれも暖かい地方の植物です。これ等は此処で絶滅しているわけです。
 水色に書いたのは冷たいことを表わします。かわって今度はマンシュウグルミ、メニアンテスというのがありますが、これ等は冷たい気候帯の植物です。というのは気候がこの辺で暖かい気候から寒い気候に変わってきたということを示しています。
 この最下部累層、芝ノ又から八王子に至る砂の層は、大体化石を調べてみたら、海水が八〇パーセント、珪藻ですけどね、汽水(海水と淡水のまじったところ)が二〇パーセントで、海の気が大変多いということがわかります。
 下部累層に参りますと、海水と淡水が交互に入れかわり、次第に淡水がまじってきていることがわかります。それからこちらへきますと、汽水域に連なる淡水域で、海水と淡水が半々くらいで、ここまでくると淡水域となります。川とか湖とかそういう環境になったということがわかります。
 こういうふうに海の地層から淡水域となっていって、最終的には陸地化して山を造るという段階になることが調査でわかったのであります。
 大体そんなところであります。全国的な見方が残っていますが、時間がないのでこの辺で終わりにいたします。

(ほりかわひでお・県立小千谷西高校教諭)

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