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つめ石に学ぶ | へんなか

つめ石に学ぶhennaka

へんなか エッセイ 「つめ石に学ぶ」

つめ石に学ぶ                    水嶋 陸男

一、つめ石と出会う
 小国町で「つめ石」といえばほとんどの人が知っている。
渋海川の河原によく見られるからである。ところが、世の中にはあまり知れわたっていない。二十二年前、今は統合でなくなってしまった森光小学校へ赴任した。つめ石との出会いはそれが初めてであった。めずらしい石だと思った。「つめ石はどこでどのようにしてできたのだろうか。」という素朴な疑問を持った。子どもたちと調べ始めて今日まで、私はつめ石から多くのことを学ぶことができた。

二、子どもの観察力
 渋海川にあるつめ石は、河原の石としてはきわめて数が少ない。つまり、数からいってもめずらしいのである。子どもたちのつめ石探しがずいぶん進んだころ、新潟大学の学生が巡検にやってきて、つめ石を採集することになった。熱心に探すこと二時間、学生たちはだれ一人として見つけ出すことができなかった。いっしょに探した小学生たちは、それぞれ二、三個ずつ拾いだし、みやげに待って帰ってもらった。数の少ないこともさることながら、小学生に見つけ出せて大学生にそれができなかった理由は何であったろうか。表面からの観察に熟練していた点で、子どもは、はるかに鋭い感覚を育てていたことになる。子どものほうが感覚的に鋭敏であったからで、この時期に観察力を養う大切さを教えられた。地層から化石を掘り出すことも大人より子どものほうが得意である。理科教育で言われる「探す」 「見つけ出す」などの自然への積極的な働きかけが、観察力をおおいに育てることを知ることができた。

三、爪の模様
 つめ石のめずらしさは表面の爪で押したような模様にある。どうしてこのような模様がついたのであろうか。これは、つめ石の岩質と関係あることがわかった。
 つめ石は、斑晶の少ないガラス質の緻密な複輝石安山岩である。火山の噴火で溶岩として地表を流れたものである。流れたあとの縞模様である流理構造が特徴的に観察される。
 このような岩質、主に硬さが原因となって爪の模様がついたようである。厚いガラス、例えば牛乳びんやビー玉の割れ口は特徴的な形態を示す。貝殻状断口である。つめ石もハンマーで割ると、同じような割れ口になる。流水で運搬される際、他の石や河床にぶつかりながら、表面の剥離と円磨がくり返される過程で、爪の模様がついていったと推測している。チャート、硬質の砂岩や粘板岩などにも、つめ石ほどではないにしても、同じような模様のつくことが確認できた。
 子どもたちと牛乳びんやビー玉を割ったりぶっつけたりして、爪模様の原因を調べたことがなつかしく思い出される。

四、つめ石の音
 香川県のみやげ品としてカンカン石が有名である。讃岐(さぬき)石(サヌカイト)と呼んでいる。マグネシウムに富み、斜方輝石のほかには、斑晶が少ないガラス質の緻密な安山岩である。板状節理に沿って割った棒状の岩片をたたくと、澄んだ「カンカン」という音がする。
 つめ石は、岩質からみてこのサヌカイトによく似ている。だから、ハンマーや石でたたくと、やや音質は異なるが、澄んだ「チンチン」という音がする。カンカンとチンチンの音の違いは、おそらく棒状になったサヌカイトと河原の石としてのつめ石の形の違いからくるものであろう。つめ石をさまざまな形に切って音色や音階を楽しむこともできそうだと考えている。

五、つめ石の流れ出るところ
 火山の噴火で地表に流出した溶岩が、急に冷えて固まったものがつめ石の源岩の姿である。子どもたちと私は、河原のつめ石は上流から運搬されてきたと単純に考え、上流の川底やまわりの地層を調べまわった。しかし、つめ石の源岩となる火山も岩脈も発見できなかった。新潟県の地質鉱山図にも、つめ石に相当する地層の記載は全く見当らなかった。しかも、上流にさかのぼるほど、河原のつめ石は数が減っていくことがわかった。つめ石を流し出す源岩さがしは完全に行き詰まってしまった。
 この時、新潟大学の歌代勤教授から電話をいただいた。新井市に分布する魚沼層群の礫層(石やじゃりが多く含まれる地層)からつめ石を見つけ出したという知らせである。当時から県内の小・中・高校の教師、大学の教官が団体研究グループをつくって、魚沼層群の調査研究を進めていたのである。私もグループの一員であったので、その後多くの方々からつめ石の情報を得ることができた。上越市、新井市、長岡市、小千谷市、十日町市、津南町など多くの地域の魚沼層群の礫層中から、つめ石を見つけ出すことができたのである。さらに、これらの地域を流れる河川を注意深く探すと、つめ石が見つかったのである。
 現在の河原に見られるつめ石は、いったん魚沼層群の礫層中の石として堆積し、陸化した後、浸食、運搬の作用によって流れついたことがわかった。これを二次堆積という。渋海川をはさんで東西に典型的な魚沼層群が分布する小国の里に、つめ石がよく見られるわけがようやくわかった。

六、つめ石と魚沼層群
 子どもたちとともに、魚沼層群の礫層中からつめ石を探し出すことに熱中した、これにはかなりの苦労をした。河原のつめ石と違って、およそつめ石らしくない形態や表面の色をしていたからである。ハンマーで割って、硬さ、音、割れ口、黒色の内部の様子などからつめ石を見つけ出していった。苦労の結果、魚沼層群の上部の礫層中にしかつめ石が発見できないことがわかった。魚沼層群団体研究グループは地層の特徴から、魚沼層群を古いほうから最下部、下部、中部、上部に分帯をしていた。こうしてみると、つめ石の火山は、魚沼層群中部以前の地層ができるときに、噴火をしていたことになる。
 続いて源岩に近い産状でつめ石が発見された。当時、津南中学校に勤務されていた渡辺秀男先生が、魚沼層群中部の泥流層から見つけ出された。泥流は火山が噴火した際に山体をくずし、噴出物も含めて流下する堆積物である。表面には爪の模様は全く見られないが、岩質から確実につめ石と認めることができた。すると、魚沼層群の上部の礫層が堆積していたころ、すでに中部の地層は陸上に現われていたと推定できそうである。
 魚沼層群は、鮮新世から洪積世にかけての地層であり、現在の平野や段丘など、現地形の土台となっている。低くは新潟平野の堆積物の下に地下深く、高くは千メートルを越える関田山地の頂上に分布している。その高度差が二千メートルにもおよび、変動の大きさが学会でも注目されている。堆積しつつ隆起した魚沼層群の成り立ちを、つめ石は見事に映し出してくれた。今はないまぼろしのつめ石の火山がようやく姿を見せはじめた感じがする。

七、つめ石と人のかかわり
 今はただの河原の石のつめ石を、私たちの祖先は、りっぱに活用していた。石器用石材としてである。緻密で硬く均質な石は、打ち割った縁が鋭くなり、刃物として有用だからである。前述のサヌカイトも石器用に広い範囲で活用されていた。つめ石も、延命寺ケ原でくらした縄文人、ナウマン像を追った野尻湖人によって活用されている。何の科学的知識を持たなかった祖先ではあるが、自然と生活が密着していたせいか、その岩質を見事に見抜いていたと感嘆させられる。石をたたき、その音をさぐって石材を求めた姿を想像してみたくなる。
 それ以後、表面がつるつるしてあまり苔もはえないつめ石は、せいぜい石がきぐらいにしか利用されなかった。へき地の子どもと教師が科学の研究対象として、祖先と違った視点から取り組んだと多少の自負を持っている。
 しかし、子どもと集めた標本の約五百個、森光小学校の廃校にともなって、心ない人たちが持ち去ってしまった。ストーンブームの苦い思い出である。もっとつめ石を理解してほしいと思うばかりである。つめ石を探し出し石器を作った祖先、珍石としてかざっている現代人、どちらが人間らしい石とのつき合いをしているのだろうか。

八、おわりに
 一個の石も地殻のひとかけらであり、地球の歴史性と法則性から生まれている。そんな目で石を見つめることをつめ石は教えてくれた。私は上越市の関川の近くで生まれ育った。子どものころはさんざん関川で遊んだ。しかし、つめ石には気づかなかった。今、関川の河原でつめ石を見つけ出すことができる。自然認識がひとつ深まったという満足感を感じる。素朴な疑問で自然に働きかけるとき、自然は限りない豊かさで答えてくれることを体験できた。だから人は自然に親しめるのだと思う。

(みずしまりくお・一九四二年生まれ、青海小学校教頭、
地学団体研究グループ会員、上越市在住)

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