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小国町原における中島瀬違新田 | へんなか

小国町原における中島瀬違新田hennaka

へんなか エッセイ 「小国町原における中島瀬違新田」

小国町原における中島瀬違新田            北原 勲

 国道四〇四号線は、苔野島方面に向かって、原の家並を通り抜けると、ゆるやかに右にカーブする。左側の崖下と前方に見える旧増田小学校との間が、旧渋海川跡の中島瀬違新田である。右前方から増沢にかけてのあたりは、四前町、鳥越、抜け山など増田川との出合であって、苔野島への通行の難所として知られていた。
 原、増沢両村がこの瀬違新田の開田を、長岡藩に願い出たのは、享保十八年(一七三三)十月のことであった。反別二町五反余、新川堀通り長さ六十間余、工事用具といえばツルハシと鍬のみである。そのうち三分の一は鍬堀で、幅二間、たて流し工法を用いた。たて流し工法というのは、上流に水をためて一挙に流し、その水の力で土砂を下流に下す方法で、水の力で狭い川幅も広げられてゆく。大雨や大水の時に、工事ははかどったであろうが、危険をともなうものであった。
 この計画は、その後中断したまま、放置されてしまい、再び、工事が始まったのは、それから三十二年もたった、明和二年(一七六五)四月であった。当時は、幕府天領として、出雲崎代官所の支配をうけていたので、代官所に、願書や種々の証文を作成して、ようやく軌道にのることになった。
 この長い中断の原因は、くるくると変わる領主支配地の問題であろう。行政区がかわるたびに「乍恐以書付奉願上候」という書類を提出して、願い出なければならなかった。大字原における支配地は、享保九年(一七二四)長岡藩領、宝暦十年(一七六〇)高田藩領、宝暦十三年(一七六三)幕府直轄地であって、これは、原に限らず、小国郷の大方は、この支配を受けていたものと思われる。領主の土地での開発は、いつ幕府に召上げられ、他領地に変えられるかという不安が、いつもあったものと思われる。
 享保の改革に端を発した幕府財政の立直しの政策は、年貢賦課税による増収をはかろうとして、江戸日本橋に、新田開発奨励の高札を立てた。享保七年(一七二二)七月のことであった。これには、また、農民の中に多くの帳付百姓(御水帳に名前ののる一人前の百姓)を作って、生産意欲を高めようとする意図もあった。しかし、いくつかの間題が生じつつあった。古田(すでに御水帳高入)は、年貢が高いから、新田を開いて、鍬下年季(免税、今日でいう租税特別措置)で年貢を逃れようとする。支流の瀬違をやれば、本流に砂が流れこみ、下流に堆積して川床があがり、大きな中洲を作るようになる。すると、大雨が降るたびに、川土手の欠壊を招いて、大洪水をおこす引き金になってしまう。天然の肥料供給地である林野・河川敷・草刈場などを開墾し、田畑にしたため、肥料不足を招き、反当の作物収量の減収が目立つようになった。こうして、新田開発にブレーキがかかるようになってきた。
 長岡藩預りの時であったから、藩としては、新田開発は、財政立直しにつながるとして、奨励していることであるが、信濃川はともかく、支流の渋海川まで手がまわらなかったのかも知れない。上流とすれば、瀬違い新田は、川の蛇行地形を直流になおし、作業通行の作場道を真っすぐにし、古田の洪水被害を防ぐという、まさに一石二鳥のものであった。当時、原、増沢には、川久保、外古川、古川、池田、四ツ前町、下段、土井外などがあった。
 長岡藩史によれば、長岡藩内の信濃川は、毎年のように土手の決壊、洪水をくり返していた。寛文十年(一六七〇)から慶応年中(一八六六)まで、およそ二百年間に、高二万石以上の水害が四十回にも及んだことが記述されている。附近の土地は、実に五年に一回ずつ大洪水に見舞われた勘定となり、藩の財政にもひびいたはずである。
 だから、渋海川の三町余の瀬違新田など無視されたのであろう。
 明和二年、出雲崎代官風祭甚三郎の時に、この新田開発計画を提出し、実現のはこびになった。原七十九戸、増沢九戸の惣村百姓連判状をもって願い出、ようやく日の目を見ることになった。加えて、後日のもめ事のなきように、原村庄屋七郎右衛門が惣領となり、新田費用、田畑の割合証文、新田の組作り(鍬組)、修復手入普請条目、川欠の本田畑調査、新田買地地高帳、地図等々、細目についての手だてを行い、村人は喜々として、工事にたずさわっていった。
 後、天明元年(一七八〇)新田検地により、高入をしている。鍬とつるはしで開いた土地は、今も美田として、往時の旧川姿で残っている。
 現在の瀬違の耕地田地甲地内一町二反八畝、乙地内一町三反七畝、畑地、甲地内二反、乙地内五畝(甲とは増沢地内をさす)。なお明治の地租改正により、地番の原、増沢地点は、両方とも瀬違から一番となって出発している。

(きたはらいさお・一九三一年生れ、小国町議会議員、
小国芸術村現地友の会副会長、小国町原在住)

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