本文へスキップ

危険な遊びの思い出 | へんなか

危険な遊びの思い出hennaka

へんなか 随筆 「危険な遊びの思い出」

危険な遊びの思い出                 竹部 一郎

 夢は今もめぐりて、忘れがたき故郷。
 幼い時の遊び、今の子供達には忘れ去った楽しい、素朴な遊びも、語り合って見るとなかなか捨てがたいものが、たくさんあります。その中から危険だったと思うものを、二、三拾ってみます。
 凍みついた川辺で、橇を滑らせているうちに、はずみをくらって大川ヘドブンと飛びこみ、そのまま行方不明になった子供。大人が付き添っていても、どうすることもできなか例もあります。
 雪が一番早く消える、ポカポカの橋の上での遊びは最高のものです。目をつぶってあしんがき(片脚跳び)をしているうちに、てすりを越えてスポンと川へ落ちた者もいて、二本柳では幸い救い上げられて命拾いをしたが、小川の橋から大川へ流れ出て、助からなかった子供もありました。
 小川の流れは消えていても、上の方は平らなので、うっかり雪を渡ってストンと落ちこみ、大川へ流れ出た者や、雪洞の中の天井がドサリと落ちて潰された者。山へ凍み渡りに行って、まわりが消えた大木の穴へ落ち込んで、引き揚げるのに大騒ぎをしたこともありました。
 スキーの練習中に消防溜へ滑り込んだが、張ってあった金網が幸いして命拾いをした子供もいました。
 今のように好きなものは何でも食べられるような時代でなし、春から夏にかけては山の木や草の実が唯一の楽しみ、兄弟三人が猛毒な毒うつぎを食べて大変なことになったが、幸いにも手当が早く、危うく一命を取り止めました。
 水難事故では、水中眼鏡がピッタリ鼻の穴へ吸いついて窒息死する痛ましいこともありました。
 部落の子供達総出で山へ行き、二手に分れて松の木に縛った連隊旗を奪い合うなど勇壮な遊びもやりました。
 秋は何と言っても栗拾い。大風が吹くと、堤灯をぶら下げて暗いうちから飛び出し、金沢の山口邸など大賑わいでした。
 遊びとはちょっと違うが、杉葉拾い、これがまた大変、他人が折角寄せ集めておいたものまでかっぱらったり、早い者勝ちでした。
 大戦中は栄養資源の確保から、優秀な蛋白源である蝗採りに早朝から動員されました。
 毎朝登校前に素足で一斉出動、お互い競争なので、結城野校と中里校の児童が越境争いなど小さなトラブルが毎朝のようでした。
 もちろん学校でもよく注意はしたが、折角の穂波や畦をメチャメチャにしておこごとを頂いたこともありました。
 昔の遊びの主題とは一寸横道にそれたようですが、子供の遊びの中には、常識では起こり得るはずのない事件も起こります。子供の遊びには我々も細心の注意を払って、お互い事故のない楽しい遊びにしたいと思います。

(たけべいちろう・町内二本柳在住、明治40年生れ)

→ 『へんなか 第五号 特集:子どもの遊び・わらべ唄』目次のページへ

 

◆お読みになりたい方は、お近くの図書館でお読みになることができます。