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自然と一体の遊び | へんなか

自然と一体の遊びhennaka

へんなか 随筆 「自然と一体の遊び」

自然と一体の遊び                  池島 和代

「お前はマムシの様で目を離すとどこへ行ったか分からんなって困った子供だった。」後年母は述懐していましたが、私のやま好きは生来のものだったようです。
 母がやま地の畑へ行く時は、必ずついて行きたがり、畑に着くや、まわりの雑木林にかけこむのです。そして木に登ったり、枝をユサユサゆすってブランコがわりにしたり、時には木の実を頬ばったりもしました。
 当時は(昭和二十年頃)どこの家にも子供が大勢居て、それは賑やかに楽しく遊んだものです。
 その頃の遊び道具といえば、マリやおひとつ(おてだま)ぐらいで、それ等も自分で作ったものですから、ゼンマイの綿を干したり、じゅずくだまの実を取ったり、端切れを貰って大喜びをしたりしました。
 「一番はじめの一の宮、二又日光東照宮…」このマリつまの歌が今でも最後までうたえるのは、よほどこの遊びに熱中し、繰り返していたからだと思うのです。
 またかくれオニ、つかめオニという遊びもよくやりました。人数の多少にかかわらず出来、隠れる場所もいっぱいあったからでしょうか。藁やボイのニオの影に隠れ、ドキドキしながら「オニ」に見つけられるのを待っていた子供時代、自分のことなのに「かわいい」と表現したくなってしまいます。
 この外、縄とびやゴムとびもしましたが、縄は、どこの家にもある藁で編んだ縄でした。しっかり撚りのかかった縄はほどよくはずんでうまくべるので、ひとの縄が羨ましかったものです。他には陣取りやパッチ、なんご、ジャンケンごっこにガラスのおはじきも好きな遊びだったように思います。まわりに特別強い者がいなくて、取ったり取られたりしても、おはじき入れの袋が空になることもありませんでした。あるいは誰かが気の毒がって分けてくれてたのかもしれません。
 冬、雪の晴れ間があるとサラ雪の中に道つけして、オニごっこをしたのも楽しい想い出です。藁グツがグチャグチャに濡れて、足がゆでダコの様にまっ赤になっても遊びを止めず、夕方着物の裾がゴワゴワとかたくなるとやっと家に入るのです。火にあたるとヒリヒリと痛く、泣きながら足をさすったこともありました。落し穴を掘って仲間をおとしたり、雪合戦をしたり、その頃の子供は雪を楽しむ術をたくさん持っていたようです。
 しかし、私が最も好きだったのは、「凍みわたり」です。川端の猫柳をとったり、芹を摘んだりしながら、遠くまで行ってくるのです。さんさんと輝く春の光を浴びて。
 あの頃現在と比べれば、何もない時代であったはずなのに、心豊かで満ち足りていたと思うのは、私がトシをとり、勝手に過去を美化してしまったせいなのでしょうか。いやそればかりではなく、子供達とまた野山の光と緑の中で自然と同化して遊ぶことができたという「おもい」が心の底に残っていて、ことさら自然への愛着を強くしているような気がするのです。
 時には、木から落ちて泣いたこともあり、猿の異名をつけられた私ですが、あの頃を振り返った時、はからずも今なお豊かな自然の恩恵に浴している自分の幸せを発見し、これからもっと「心のふるさと」を大事にして行きたいと思った次第です。

(いけじまかずよ・町内上谷内在住、町職員、昭和12年生れ)

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