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昔の子供の遊びを語る/遊び場 | へんなか

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へんなか 座談会 「昔の子供の遊びを語る」遊び場

昔の子供の遊びを語る/遊び場

出席
竹部 一郎 二本柳(明40生)、北原ハツエ 太郎丸(大7生)、北原 テイ 太郎丸(大3生)、中村 ミツ 新町(大14生)、田中 久次 相野原(大12生)、峰村  誠 上谷内(昭16生)、松田  薫 法坂(昭16生)
進行・写真/山崎 正治 法坂(大14生)、竹部 勇 相野原(昭2生)、高橋 実 楢沢(昭15生)
時 平成元年11月8日(土)
所 町就業改善センター

 

高橋 きょうは、明治から大正、昭和の戦前生まれの人たちから集まっていただきました。法坂、相野原、新町、二本柳、太郎丸といろいろなところから来てもらっているわけですが、みなさんの小学生のころの遊びについてお話していただきたいと思います。

 遊び場

田中 子供のころは、戦争のころで、戦争ごっこや、チャンバラが一番はやったころです。仲間には、ボスがいまして、きびしいところがあったり、愛情をかけてもらったりしました。
峰村 小学校へはいったのは、昭和22年で、何もない時代でした。金を出して、遊び道具を買うことはなく、まわりの自然を工夫して遊んでいました。
松田 部落の神社がおもな遊び場でした。どこの家も兄弟が大ぜいいて、下の妹や弟をつれていました。異年齢の子供たちが、ごちゃごちゃ遊んでいました。保育園に勤めていますが、今の子供たちは、大人が相手になってくれないと一緒に遊べないようです。
北原(テ) 太郎丸では、お寺、お墓で遊びました。雨の時は、お宮さんの中でした。背中に子供をおぶっていますから、ゆくところがないんです。
高橋 天気のよい日に、お宮さんにいけば、だれかが必ずいるというわけですね。
田中 私は、法坂の生まれですが、グループが五つあり、お宮さんには、あまりいきませんでした。天狗松というところに薬師様があって、あの付近で遊んでいました。
中村 私は、相野原の生まれです。山王様は狭いところですが、野球もできたし、欅の向こうで棒高跳もしていました。
山崎 法坂では、北平、南平、滝の沢、八日町と四つのグループがあり、北平は観音様でした。観音様の表にクラブがあり、そこにどうのはばという遊び場がありました。南平は、お宮さんのあたり、滝の沢は、今田中さんのいった天狗松から薬師様、八日町は、上の方の十二様一帯でした。それぞれ遊びのなわばりがあって、他のところへゆくと、かまわれるような気がして、小さくなっていました。仲間に入れてもらえないのです。
峰村 上谷内は、小さい部落といっても、小学生が十五人くらいいました。天気のよい日は、山一帯が遊び場でして、木にのぼらなくても藪の中をさわいでいるだけのこともありました。という用水池で魚つったり、泳いだりしました。上谷内のというのは、法坂のパン屋のところへ出てくる、杉の木沢の三角どというところです。
山崎 今のスナック「恵」のところへ、またじんのというのがあって、新町の墓地が上谷内の遊び場になっていました。砂場があって、走高跳していて、手を折った子がいました。あそこに雪穴があったと思います。

 

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