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昔の子供の遊びを語る/川や池が夏の遊び場 | へんなか

昔の子供の遊びを語るhennaka

へんなか 座談会 「昔の子供の遊びを語る」川や池が夏の遊び場

昔の子供の遊びを語る/川や池が夏の遊び場

出席
竹部 一郎 二本柳(明40生)、北原ハツエ 太郎丸(大7生)、北原 テイ 太郎丸(大3生)、中村 ミツ 新町(大14生)、田中 久次 相野原(大12生)、峰村  誠 上谷内(昭16生)、松田  薫 法坂(昭16生)
進行・写真/山崎 正治 法坂(大14生)、竹部 勇 相野原(昭2生)、高橋 実 楢沢(昭15生)
時 平成元年11月8日(土)
所 町就業改善センター

 

 川や池が夏の遊び場

高橋 夏の遊びというと、川やで遊んだのが中心になりましょうか。
田中 渋海川ですね。
中村 川はきれいでしたからね。男の子と女の子の場所は違っていましたね。
北原(テ) だって、水浴びの時、今のように水着なんてなく、ほんとうにすっ裸でしたからね。どうしても、場所が違っていた方がよかったわけです。
竹部(一) 川底があがっていて、準備体操もしないでどぼんと川へとびこんだ。
北原(テ) 準備体操なんて、戦後いいはじめたんでないですか。
田中 法坂あたりでは、で一応泳げるようになると、川へ来て魚つかめやるんです。
北原(テ) ハヨッコ、ザラメを手拭いですくう。
山崎 川えびもいたね。
竹部(一) カジカ、ハチヨがいた。石をおこすとハチヨがいて、刺されたこともある。焼いて食うとうまいんでね。しゃっこい水の出るところでないと寄って来ないんです。
松田 法坂の揚水機の下にカジカがいっぱいいまして。
竹部(勇) ハチヨは、今まるっきりいない。カジカは、少しはいるようです。
山崎 タナゴがいた。ウマノグズというのがいた。魚ともどじょうともつかない。
竹部(一) 腹わたのまっかなの、ぺっちゃらこいのがいた。あれは、いなくなった。水がきたなくなったせいかと思うが…。
高橋 遊ぶのは、大人の昼寝の時間ですか。
北原(テ) 家のまわりにいるとうるさいから、「ヘラスミ(昼寝)のじゃまになるすけ、どっかへいげ」というんです。
竹部(勇) 途中のキュウリやナスをかっぱらったりしてね。
山崎 キュウリ食って川へいぐと、シュウゼンカッパにとられる、ユウゴウ食っていげや大丈夫といわれましたね。
竹部(一) 川の粘土がドロドロしているところで、チョンチョンこすると、きもちよくなって、デッカクなった。(笑)
山崎 水かけて、岩がツルツルしたところを、すべり台のようにしてすべって、水の中にジャポンととびこんだ。今のウォータースライダーというわけだ。
峰村 わたしたちのころには、川へゆくのにきまりが出来て、何時から何時まで、夏休みになってから、六年や中学生がいないといっていけませんとか、われわれのころになると、川へゆく時間が制限されるようになりました。上谷内は、二本柳までいかなくちゃならない。
高橋 川へは、小学校三年以上というきまりがあった。夏休み前には、学校が半日になって、川で泳げたと思うのです。
中村 七月一日からは、川へはいってよいといわれたんです。
山崎 自治団というのがあって、団長は、高等科二年だなんが、ひげのおいたようなのが「ねら、いいか、こうしちゃならんぞ」というと、どすがきいた声で、おっかなくてね。
竹部(一) だんだん川へ行けなくなったのは、水難事故の責任を問われるようになったことと、昭和二十年代後半の集団赤痢があったのではありませんか。
高橋 セミとり、ホタルつかめなんかは。
峰村 神社に桜の木が二本あって、木から木へうつって、半日くらいあそんでいました。枝をゆすって、のりうつる、神社の木は、格好の遊び場でした。
竹部(勇) つり糸を、シナン皮の虫からとったテングスでつくった。あの虫が白くなってくると、糸を出す。
松田 ジグモをとった。ふくろみたいになっていたのを、白い幕の中にはいっていました。
山崎 ジグモ ジグモ 下は火事らすけ てんじょうへあがれ……といいながら。
中村 あのころ、野球もしたでしょう、三角ベースの野球をしました。
峰村 なわとびは、すべなわを使ってやりました。両方で二十人くらい一緒になってやり、先頭の人が縄とんだら、どこかにいってきてから、後ろの人のあとにつく、その間をあけないでとばないといけない。先頭が上級生になると、わざと遠くまでいってくる、小さい子は、ついていけず、間があいてしまうと、縄もちさせられてしまう。
中村 なわもちは、足へひっかかった人がなる。
高橋 学校の休み時間に遊ぶものといえば何がありますか。
中村 外へ出てえがきをした。
竹部 じゃんけんして、勝った人がだんだん自分の領地を広げてゆく。
山崎 まるとび、じんとり、うずまき、国とりなんかがあった。国とりというのは、石をおいておき、こちらからはじいてあたればまたひとつとる。いろいろルールがあって、ジャンケンで、はさみで勝ったらはさみで、石で勝ったら石の形で、陣地を広げてゆく。四人して四隅の角から陣地を広げてゆくやり方です。
高橋 それを陣とりといった。
竹部(一) いわつといった。角に親指つけて、広げてゆく、相手の陣地に食いこむことはできないきまりでした。
中村 大将・少将きめておいて、やるのを陣取りといった。
竹部(一) 騎馬戦とか棒倒しというように、敵の旗をとったりするのを陣とりという。
山崎 地獄まわりは、いまの子どももやれる。地面に四角を書いて、気にいった場所に、おはじきをはじいて入れ、点を競う遊びをいう。
北原(テ) 夏は竹ぼうきでセミつかめ、スッカシ(すいば)とり、とうのたったのをかんで味わうんです。
山崎 くわいちごをとった。汁をしぼりサイダービンの中に入れて、のんだりしました。
田中 くさむしがはいっていることがあり、うっかり口の中に入れたりするんでね。
山崎 口のまわりにつくと、おちないんでね。
中村 着物のタモトに入れておくと、しみて、汁が出たりして、おこられたりして。
高橋 石けりというのは、あったのですか。
山崎 あれは新しい遊びで、やつたことがない。
高橋 平らな自分の石をもっていて、遠くはなれた相手の石にぶつけるのからはじめた。
頭の上にのせて歩いて、相手の石の上におとしてあてたり、脇の下、胸、背中、肩、腰にのせたり、膝にはさむなどして、石をはこんで相手の石にあてる遊びです。
田中 それは知らない。やったおぼえがない。
松田 やった。相手の石にかちんとあてる。石の運び方の順番がきまっていたのです。
山崎 いいかげん大きくなってから、おもしろい遊びをするなと思ってみていたものです。

 

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