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かたってくれや―子供たちを地域に― | へんなか

かたってくれや―子供たちを地域に―hennaka

へんなか 「かたってくれや―子供たちを地域に―」

かたってくれや―子供たちを地域に―          木下 勇

 「かたってくれ」とは小国町では「おれも遊びの仲間に入れてくれ」という意味のようだ。「この子かたれや」というと「子守をする」というような意味でもある。「面倒見てくれ」「遊んでくれ」というように小さい子にとって使われるようだ。これは太郎丸の高橋達二さんに子供の時の話を聞いた時に、教えていただいた。最初は「語ってくれ」かと勘違いした。しかし、その両方の意味を合わせ持つ響きが、何とも言えない味わい深さを感じさせる。「おーい、かたってくれや」と言って遊びの中に入る。その自然な、子供時代の姿を髣髴とさせる。
 私自身も伊豆の田舎育ちで、近所の遊び仲間と遊んで育った。思い起こせば、兄達の遊び仲間の邪魔になりながらも、くっついて遊んだことや、自分が大きくなった時に年下の者と遊んだことが一緒になって頭の中を巡る。雀とりやメジロつき、山芋掘り、川でのイカダ作りや魚とりなどは年上の者から教わって覚えたものだ。
 このように遊び仲間の年上から年下へ伝わる遊びの中には、生きていく技術を磨くものも数多い。それは学校とか家庭とは別な学びの場とも言える。

●太郎丸の三世代・遊びの四季

 話を小国町へ戻そう。太郎丸集落のグラウンドの整備の件で、お祖父さん・お祖母さん、お父さん・お母さん、今の子供たちと、三世代にわたって、子供の時の遊びの話を伺った。
 三世代で遊びを見比べると、だいぶ変化した様子が伺える。中には昔ながらの遊びもあるが、今は見られなくなった遊びも数多い。
 特に冬の遊びは、昔の方が多様にあったように見受けられる。
 バンバは雪の上での陣とりだ。四角に踏み固めて、対角線状に向いて相手の雪を取り合う。「雪が降り積もってからの遊び。けっこうつくるのに手間がかかる。先頭になってつくる子が雪が入ってびしょびしょになっておこられる」(祖父世代、以下祖父とする)。コロコロというのは雪の玉のぶつけあい。ズイロは雪降ろしの雪の山にスベリ台をつくつて滑る遊びだ。ドッチンは雪の落とし穴。
 「ドッチンはこわいんです。道があって、雪ですから穴掘って、その上にまた穴あけながら、穴の分からぬようにふたをする。雪の落とし穴。落とすのをドッチン。こわいよ。本気出すと親におこられる。ドーンと落ちる。仲間だけじゃなくて大人を落とす。通路ですから。雪で上手に隠すから知らない人も落ちる。足跡なんかもってって、そこへ呼ばれていった人はドーンと落ちて年寄りだとけがすることもたまにある」(祖父)
 バンバ、ドッチンは父母の世代にも話に出てくるが、現在の子供達の話には出てこない。聞いても知らないという。
             *
 雪が溶けて土が出てくると、遊びも変わる。土へ竹の棒をさす杭うち(祖父)や釘さし(父)、コマなどである。
「雪どけを待ってコマ。というのは、コマが雪が溶けないとできないから。春になって雪が溶けて土がでてくる。その土のいいところにコマをおく。庭先で。土質のいいところで」(祖父)
 雪どけの喜びも重なっているかのようだ。
 春になると山へ山菜とりに出かけるが、子供にはそれほど興味のあるものではなかったようだ。山では次のような使い方があった。
「山へ小屋かけて遊んだ。戦争ごっこ。杉の木の間にさお渡して、なわでゆわえて。ハシゴ持っていって。上がるにはやっぱりハシゴ。小屋つくったりいろいろした。それを陣地にして、その中でグループがあったから、派ばつというか。戦争ごっこしたり。2つぐらいの勢力になって戦争ごっこやった」(祖父)
 お父さん世代も同様の秘密基地があった。また木の枝から枝へとターザン遊びの話もある。しかし、今の子供たちは、山に入ることも、また自分の手で何かを作ることも少ない。例えば昔は自分でソリで作ったという話をした時である。
「自分でつくったことない。どうやって作ったらよいか分らない。作ってみたい。材料いっぱいあるけど、切っていいかわからない。自然破壊しちゃあいけないって言われたら困るもん」(男子小6)
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 夏といえば川である。渋海川を大川といった。
「魚はカジカ捕り。もってきて焼いて親父に食わせると喜ぶ。
味がいい。魚なんかいっぱいいた。カジカはほとんど手で捕る。ヤスでも。子供の頃はおおかたザル。どこにでもある竹で編んだやつを持っていって。カジカはツツーといって止まる。そして石の下に入って止まる。止まった時に捕る。石の下にいるからそこにザルをあてておいて、後でやるとサラッと中に入っちゃう。それから他、ヤスでもって、見てて、いたとこ石を動かすといますから、ハリをハシの先に糸でくるんで、石の下から出たところを突く。魚捕りの方法はいろいろあった。………ずいぶんいたから捕ろうと思えば20匹でもとれた。カジカのほかにはハヤ、カニ、毛ガニみたいなもんで川ガニ。食べられる。岩場に行くと穴がある。手に手ぬぐいを巻いて穴に手入れる。そいで挾んで傷だらけで痛いの我慢して挾まれるのを覚悟で手を入れる。」(祖父)
 このお祖父さん世代は川向こうの隣部落と出会わせると必ず石投げ合戦のケンカとなったという。
 現代の子供たちは川について次のように語る。
「川はみんな行っちゃいけない。危険じゃないけど駄目。学校が厳しすぎる」「汚れるのがいやだ」「行くのが面倒くさい」「魚いない」(男子小6)
             *
 秋は木の実とりだ。栗、カシバ、山ぶどう、ハチマキズミ、アケビ、イツキの実などが祖父母、父母の世代の話から出てくる。
 それに対して今の子供たちは次のように言う。
「山なんか行かない。登るのが面倒くさい」「木の実とらない。どういうの食べるのかわかんない」「秋は家の中でファミコンか寝るか本読むか。外に出ない」(男子小6)

●子供たちに何を伝えるか

 以上、太郎丸で聞いた話の一端を取りだしてみた。紙面の都合で主には祖父の世代と現在の男子の話を中心としてある。聞き取りの対象者も少なく充分な実証的調査ではないが、何かこれから地域の様子と遊びの移り変りを感じていただければ幸いである。
 私自身は自分の住んでいる、東京世田谷の太子堂(三軒茶屋駅)という地区で地域のお母さんたちと数年前に、同様の三世代にわたる遊び場の調査を行なった。合計百五十人ほどの人に話を聞いた。
 地域は違っても太郎丸と太子堂の変化には共通するものがある。祖父母の世代の遊びは最も豊かである。父母の世代はそれと似たものがある。しかし、現在になると極端に異なる。手細工の遊び、自然の生き物をとる工夫、集団での身体的接触(おしくらまんじゅうなど)、自然と関わる遊びの四季の変化、などが薄れてきた。「物質的に豊かになったが、精神的に貧しい」と現在の社会について言われるが、そのことはそのまま子供の遊びの状況に当てはまる。
 しかし、それは子供が悪いのではない。大人がどのように考えて行動しているかが、子供の遊びの世界に反映してくる。子供の遊びのことを考えるのは実は大人の生活を見つめることになり、結局は自分自身の生活の在り方を再考することになる。
 例えば次のことはどうだろう。なぜ太郎丸の現在の子供達が川や山に入らないのだろう。先の話のように禁止事項も関係あるが、大人自身の生活が川や山から離れているからだ。そしてさらに深刻なのは子供たちに圧倒的に時間が無いのだ。小学校5年生からはスポーツ部活動に時間が取られる。
「部活は毎日。部活が終わるのが6時半〜7時ごろ」「クラブ活動とちがう。学校で強制。4年は希望、5・6年は絶対。月〜土、大会近くになれば日曜もある。陸上―大会熱心にやるから、仮病をしないと遊べない」「春は野球、夏は陸上、水泳教室、秋が休みで冬はスキー。家に帰って宿題。遊ぶ時間がない。他の学校も同じ」
 その上彼らは疲れている。「家でファミコン。それ以外寝ている」「山は登るのが面倒くさい」といった言葉が如実にそれを物語る。必ずしも彼らは好き好んで部活をやっている訳でもなさそうである。大会へ向けて駆り立てる大人側の都合はすでにお見通しである。
 小学校高学年は遊びのリーダー的存在である。彼らが充分に遊べなくて遊びの伝承やダイナミックな遊びを期待することはできない。地域で一考してほしい課題である。
 いつもながら三世代の遊びの話を聞きながら感じるのは次のようなことだ。つまり、子供時代にどのような思い出をつくるかが、個人の将来の地域への関わり方に大きく影響を与える。実は子供は遊びながらも鋭い感性の目で大人の生活から自分の生き方を学びとっているのだ。従って日々の生活をどのように子供たちに見せているかが問われる。
 そういう中で太郎丸の芝居は単に大人だけではなく子供も参加している点が興味深い。変に目的指向にならず、まさに遊びのごとくただ皆で楽しむ雰囲気がよい。地域の遊びに子供を「かたってくれる」、そういうことが小国町地域ぐるみで発展することを願う。

 〈太郎丸三世代遊びの話語り手〉

 調査で以下の方々にお話しをうかがった。本分執筆に参考させていただき、ここで改めてお礼申し上げます。

 祖父母世代  ( )は生年、学年
高橋達二(明治44年) 保坂久雄(大正11年)
保坂スミ(大正13年) 保坂 幸(大正12年)

 父母世代
保坂勝哉(昭和17年) 小林達雄(昭和19年)
高橋一巳(昭和16年) 高橋輝子(昭和17年)

 現在児童
安沢和弘(小6) 小林尚雄(小6)
松永克彦(小6) 中沢正孝(小6)
丸山岳大(小6) 中島雄介(小6)
北原めぐみ(小5) 丸山梓(小4)
小林知賀子(小4)

(きのしたいさむ・子どもの遊びと街研究会代表。農村生活総合研究センター研究員。
昭和29年生れ。東京都在住)

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