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小国郷連合青年団 | へんなか

小国郷連合青年団hennaka

へんなか 随筆 「小国郷連合青年団」

小国郷連合青年団                 中沢 誠三郎

 昭和20年の終戦は、日本人のものの考え方に大きな影響を与えた。統制を解かれ、自由がうたわれ、自分たちの考えで物事が判断され、実行できる時代となった。教育も大きな転換を遂げ、新しい日本をつくることの願いが大きく叫ばれた。農村も、地主を上から迎えた小作制度が廃止された。
 小国においても、新制中学校発足にあたり村単位の中学校では不便でもあり、組合立の中学校が作られ、従来の村と村の境がはずされていった。このような時代の変化の中で、青年会の活動も、村や集落単位の活動から抜け出て、一まわり大きな活動の場が求められたのであった。小国町の誕生は、この数年あとになるが、そのための素地が青年の活動の中に芽ばえていった。小国郷連合青年団の結成への願いは、青年の願いの実現でもあった。準備のための話し合い、会合は、すべて夜であり、場所は、元横沢村の建物が主に使われた。武石からも、千谷沢からも自転車で集まった。地区の行事を生かしつつ、連合会でやれることは何か、役員の数は、上級団体との関連はどうか、と連日のように話し合いがなされたのである。そして、弁論大会、スポーツ大会が連合会行事としてきめられ、会の規約も決定されていった。柏崎へのスポーツ選手の派遣は、体育の向上にも寄与することになった。
 それと併行する形で、町村合併が進められ、小中学校の統合整備が進行していった。人と人との関係が大きくかわってゆく中で、青年として、社会への対応を真剣に考え、実行していったことを思う時、連合青年団の実現と活動は、それなりに使命を達成してきたのではないかと思うところである。
 昭和30年頃から、経済の高度成長期を迎え、工業の発達が活発化するのに伴って、農業の役割は、次第に後退してくる。農村から都会へと人の移動が始まった。小国からも働き盛りの青年が都市へ移り住むようになった。農村を基盤にしていた青年団活動は、その波をまともにかぶることになった。青年団は、活動の中心となる人達が市街地へ出たため、後継者がいなくなった。また工場に勤める青年には、それぞれの職場の組織があって、小国の青年としての活動は、さらに困難になってゆく。
 小国の青年団活動は、その基盤が農村であったわけで、農業後継者が減り、就農者が高齢化してゆくなかで、活動が衰退していったことは、時代の流れでいたしかたないことであった。
 青年団の崩壊とともに、青年の若々しい活力、向上心、精気まで忘れ去られていったのではなかろうか。読書会でもよい、農協婦人部の活動でもよい、職場の中のサークルでもよい、どこでも気軽に話し合いの場をもって時代の要請をみたす、小国の発展を考える青年こそ、今日必要とされているのではなかろうか。

(なかざわせいざぶろう・町内猿橋在住・大正12年生れ)

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