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太郎丸支部の活動 | へんなか

太郎丸支部の活動hennaka

へんなか 発表 「太郎丸支部の活動」

太郎丸支部の活動                  保坂 利雄

   ―はじめに―
 戦後澎湃としておこった青年団活動は、ある一時期ではあったが、戦前のそれとは、異質のものがあったように思います。人間の持つ価値観とは無関係に、ある種の生き方を強いられた戦前への反発だったかも知れないし、狭い地域の中に一時期にもせよ、数多くの若者達であふれかえり、どこも発散しようもないエネルギーの発露だったのかも知れません。いずれにしろ、それは、全国的に押し寄せて引いていった大津波のようなものでした。
 農村演劇に象徴されるように、青年の行動力の結果が、そうさせたように思います。わたくしたちの地域においても、全国的な傾向と軌を一にして、組織の整備が始まるとともに、農村演劇や体育大会が盛んになり、それぞれの分野に秀でた者達の花形時代でありました。世の中が少し落ちついてくると、次第に学習活動がはじまり、弁論大会も脚光をあびるようになってきたわけです。
 私は、それらのどの分野でも、何ひとつ得意な能力はないし、脚光をあびるような活躍をしたことは、一度もありません。そして、本日発表の方々のように、青年団活動の中央部での役職を一回もやったことがないのに、今回、このような発表をなぜ依頼されたのかわかりません。ただ、自分なりに、その年代で一生懸命活動に打ちこんだことが、いいにせよ悪いにせよ、いつのまにか、人々の記憶の片隅に残っていたためと思い、発表させていただきます。

   ―支部活動―
 当時、民主的ということばが流行しまして、そのことが青年団活動においても、大きな比重を占めていたものでした。私達がリーダーとして活動を始めたころは、朝鮮動乱をきっかけにめざましく経済がのび、農村青年の都会への流出が増え、青年団活動にそろそろかげりが見えたころでした。この現象にある種の危機感をもち、このままでは、青年団活動は、停滞と滅亡への道をたどるのではないか、何とかカンフル剤を打たないと青年の覇気が疎外されると、必死になって活動の活性化を試みたのであります。私の場合、活動の中心は、あくまでも支部活動に置き、その延長線上に本会活動がありました。その当時は、各集落とも、支部活動に主体をおき、本会は、連合体的な考え方であったように思います。今ふりかえってみても、地に足をつけた、しっかりした組織活動だったと思います。支部活動も中央集権的なものではなくて、実によく下からの意見をもとにしての民主的な活動でした。この時培われた土壌は、今どこかに生きていると思います。
 よくいわれることですが、小国郷の上地区と下地区では、現在でも意識の違いがあるということばを聞きます。それは、下地区が本会中心に活動が展開されたのに比較して、上地区は、各支部中心の活動が展開されたということに起因しているのではないかと考えられます。これは、いろいろな見方がありますので、たしかなことは言えませんが、当たらずとも遠からぬものと思われます。本題からはずれてしまいましたが、これは、これからの小国町にとって、とても重要な課題と思いましたので、触れてみました。

   ―祭典余興―
 私が直接青年団活動にかかわったのは、昭和24年、今井虎夫委員長の時からと記憶しております。その頃から団体活動の勉強をさせていただきましたが、本格的な活動は、27・28年であったかと思います。  太郎丸には、祭典余興という伝統的な行事があります。いわゆる「みこじ」です。そして、その「巫女爺」が、昭和27年、高橋幸男支部長の時に、柏崎高校の文化祭に出演したのです。これが町外公演の第一歩ではなかったかと思います。初の町外公演ということで、スタッフ一同一生懸命に練習したことを、今でも鮮明に覚えております。私が支部長の時も、祭典余興の挙行は、集落全体の中でという方針をたて、その記録もあります。現在の保存会運営委員会の草分けみたいなものでしょう。この一大デモンストレーションを乗り越えることで、役員としての資質が問われもしたのです。幸いわが太郎丸には、よきリーダー達が存在し、当時出稼ぎをしていた私を助けて、無事有終の美を飾らせてくれ、その後輩達に感謝した次第であります。

   ―太郎丸出身者を二部会員に―
 当時、就職し、離郷する青年達が次第に増えつつあり、太郎丸の支部では、小国に在籍しない同僚を二部会員として、「支部便り」を発行の都度送付し、絆を持ち続けようとしました。それは、現在の東京小国会の発会よりもはるかに早く、基本的な考え方でも一日の長があるのではないかと自負しております。  集落に対しては、「青年新聞」を発行して、青年団活動に理解と協力を求めました。集落内有志との懇談会、先生方との懇談会を通して青年の主張を展開し、学習に心がけました。青年団活動への総参加の試みとして、組織改革を断行し、会員委員会、プログラム委員会を設けて、会員の意識の向上、活性化を図ったのであります。これは、ある程度の効果があったと思います。他にないものをとり入れてやったということで、会員自らが張りきってやってくれたと、今でもよかったなあと思っております。試行錯誤の連続でしたが、会員のやる気をよびおこすことでは、成果があったと思います。

   ―少年会指導者―
 当時、進学という問題が起きつつあった頃にも、少年団補導員を設けて「少年会」という組織形成の手助けをしたようです。小・中学、それぞれ男女の四つの団体と総合させたものですが、子どもたちの自主性を尊重したため、時間がかかり、親達の理解を得るのにも大へんだったようです。主任だった長谷川明夫氏の先見性と「忍」の一言で難関をのりこえた努力には、脱帽するしかありません。
 現在の青少年育成会とは全く異質のもので、子ども達の自主性を引き出し、自主的な活動の手伝いをしたということで、今の育成会のあり方にも参考になるのではないかと思います。
 ちなみに、昭和55年、部落の育成会を担当した時に、あのころの経験を生かして、中学2年生に、子どもたちのリーダーシップをとらせたところ、何から何まで立派にやってのけたのに感心したものです。当時の、相波勤、羽鳥明、加藤雅弘、小島直紀君らも、今はもう立派な青年になり、それぞれに活躍しております。
 28年には、上小国村青少年指導者研修会が上小国村公民館主催、上小国村青年会後援で開催されまして、会場は、太郎丸公民館でした。ここに、補導員という立場で参加させていただきました。これは、以前に小国郷の青少年指導者研修会や、刈羽郡青年団研修会に参加していたことから、参加要請があったのかも知れません。ここの組織班を担当しておりまして、青年団の単一制か連合体かの問題が討議されました。現在は、単一制の形態をとっているが、実態は連合体化している。これからは、純然たる単一制へ移行すべきではないかという意見がそのころ出ました。会員の減少しつつあったころ、一つの方向をさぐったものといえます。
 支部活動の中で、当時あまりやっていなかった、集落としての野球大会と部落レクリエーション大会をやりとげました。財政難の中で、集落あげての大会として大いにもりあがりましたが、当時の担当者の苦労が偲ばれます。とにかく、会員が一体となっていろいろな事業を幅広くよくやったものだと感心しております。

   ―青年会予算―
 昭和28年度の決算は、特別会計の3事業を除いて、7万円という安さでした。会員割が2,280円で、その他はすべて会員の労役収入でしたから、会員の苦労は大変だったと思います。
 祭典余興で7百円を部落当局に要求したところ、多すぎるとの批判をうけたので、その後のやりくりに歯をくいしばって頑張りました。公民館に、当時としては、破格の3万円を投じて電蓄を購入し、次年度の祭典余興に備えたものです。時代的にも恵まれていたので、それだけの労務の事業もできたのだけれども、部落事業や河川工事の仕事、そして映写会もおこない、さらには、敬老会をはじめ、社会奉仕的な事業を自分たちの力で次々と計画していったのですから、会計担当もさぞかし苦労が多かったものと思います。
 しかし、それらの活動を通して、当時の青年達の中からいろいろな事を学び、その後の私の処世訓を得たように思います。それというのは「自らの生きた世代に自らの果たすべき役割をきちんと果たす」ということです。
 私の集落で、活躍中の保坂正人、北原政治氏をはじめ、その他の諸氏も、そういう気概で参加した後輩が多くいました。総務部長として陰で支えてくれた保坂幸永氏や、常任書記保坂智司氏もそれらのメンバーで、多くの優秀な後輩達のおかげでマンネリ化した青年団を活性化することができたと思います。

   ―私の提言―
 おわりにあたり一つの提言を申し上げたいと思います。時代の流れとともに、青年団活動の再現はのぞむべくもありませんが、昨年小千谷市片貝町の秋祭りに招待され、感じたことを申し上げてみたいと思います。片貝では、祭りのために老若男女あげて、さまざまな集合体が結成されております。片貝町に比すべきではありませんが、わが町でもせめて中学校卒業十周年を記念して、同期会を開き、幹事が提案して、盆踊り大会を開催して、小国の夏祭りをもりあげてはいかがでしょうか。それを機会に小国町を見直し、交流の機会を拡げてゆくならば、小国の発展のために、何かが生まれはしないものでしょうか。折角のシンポジウムも、何らかの形で次へつなげてゆくことができるのではないかと思います。若い人たちの今後の活躍を期待して、私の発表を終ります。

(ほさかとしお・町内太郎丸在住・昭和4年生れ)

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