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青年団活動から何を学ぶか | へんなか

青年団活動から何を学ぶかhennaka

へんなか 質疑・討論 「青年団活動から何を学ぶか」

青年団活動から何を学ぶか

    ―まとめ―
司会 7人のパネリストの方の発表、大へんありがとうございました。7人の方の発表を聞いておりまして、終戦直後の青年団復興から、30年代後半への崩壊と一つのドラマを見ているような気がいたします。
 この発表を通して戦後の青年団活動というものを、次の三つのようにまとめさせてもらいました。
 一つは、青年団活動は、終戦直後、新しい思想の導入もあって、20代の人たちを中心に若いエネルギーの爆発的な展開があり、その活動の中心になった人たちが、今もなお各地域の核になって動いていることであります。
 二つは、青年団活動の衰退への原因は、安保問題のような政治の影響をうけたこともありますが、社会が復興期を迎えて、村へ残っていた2、3男が次々と都会へ出ていったことが考えられると思います。
 三つ目は、この地域も農業中心からサラリーマンの賃金労働者中心へ移っていき、活動できる人がいなくなってしまったということです。
 今までの発表に質問したい方、補足したい方、パネリストの方でも、参加者の中でも結構ですか、何かありませんか。

松木 横沢青年団員のころ、知的な糧になるような資料がほしいというので、昭和10年代のオリンピックの映画、「美の祭典、民族の祭典」の映画を上映いたしましたら、横沢小学校の体育館が人でぎっしりうまったことを思い出します。
保坂 長谷川先生のお話の翌年、21年保坂亭治先生が委員長になられたのですが、青年団の中に民主化の思想をとり入れたいということで、相当な論争もあったということです。青年団の中で、その政治運動は脇に置かれてきました。昭和29年に、今の安保に絡んで、行政協定と思うのですが、当時の執行部が、反対決議を出してきたのですが、今の段階では、そこまでは踏みこめないとして、執行部原案を否決したいきさつがあります。
 昭和20年代の前半は、学習活動が大へん活発でした。私たちが入団したのは、戦争の末期でしたが、太郎丸支部では、若手の幹部が四、五人集めて、上坂、保坂両先生をたのんで学習して、二、三年は活発でした。純然たる学習で、これが後の青年学級につながっていったと思います。

   ―戦後青年団のエネルギー源―
中沢(誠三郎) 戦争中は、国家統制とか、軍の命令とかで国民は、きちっと動かされていたのですが、終戦を境に大きく変化し、自ら活発化していった。そのエネルギーのもとは何だったのか、戦時中の考え方が、あまりにも急激にひっくりかえっていったのは、何故だったのか、お聞かせいただきたいと思います。
樋口 青年のエネルギーの燃えたのは、昭和20年ころだったと思います。私どもは、そのころ子供であって、食物、着物に不自由した記憶はありますが、暗さの体験はありません。そのころの活動家たちは、青年期の一番盛んなときに、戦後の解放感に直面したのではないかと思います。
中沢 私は、戦前小国に暮らした状況にはなかったのですが、軍隊生活も経験しました。軍隊というところは、命令系統がきちっとしていて、厳格な統制のもとに置かれていました。しかし、内部は、正面から戦争をうけとめている人だけでなく、かなりきびしい批判をしている人もありました。それが終戦と同時に、指導的な人たちが追放になったりして、上のシャッポがとれてしまった。そうなりますと自分の道は、自分たちで探さなければならない、そのころ、中里小学校で先生になったのですが、あまりの急激な変化で、虚脱感をもつと同時に、自分たちで何かをやらなければならないという気持ちになっていました。それに呼応して青年団の活動ができたんだろうと思います。当時の青年達は、自分がやらなければ他にだれがやる人がいるといった使命感が根底にあったと思います。当時、集まってもお茶も出ず、お湯か、水をのんでいました。毎晩毎晩、よくまあ集まったものだと思います。自分から質問して、自分から答えてしまいましたが、それが当時の私の気持ちです。

   ―青年団活動を今後に生かすには―
司会 今の時代は、自分がしなくても、人がやってくれるということですか。
中沢 今の方は、あまりに欲望が多すぎて、物質的に利益を求めようとする、気持ちの活動より利益目あての活動になって、奉仕的な活動というか、友だちを求めてゆこうとしない。
 これからの方向は、職場単位の活動になってゆくと思われます。集落の場で話し合いの場を持てないかと思います。さきほど話の出た読書なども大切なことでしょうが、それだけではなかなかまとまらないと思います。
司会 かつての青年団活動をいかに生かしてゆくか、今日的課題にはいっておりますが、富沢さんの文庫の復活への提案、保坂さんの同窓会中心のまとまりの活用、中沢さんの職場単位の活動といろいろありますが…。
山崎 あの当時をふりかえって、青年会の上限が25才なんで、なぜ25才かと思うのですが、人生50年の半分と考えていると思います。今は人生80年ですから、40才くらいまでは、青年じゃないかと思います。法坂では、文化会というのがあって、男女40才くらいまで、盆踊りには、子供の指導をしていますが、あれが青年じゃないかなと思いますが…。
長谷川 私は、世代ということばを申し上げましたが、昭和が63年続いた。その昭和も30年を境にして、以前と以後が分かれていますね。33年が高度成長期にはいったころです。その社会的な背景に影響されると思いますよ。時代に生まれ、育った人なのですから。かつての青年団活動を郷愁のように感ずる人がいますが、当時、各集落に50人100人の若者がおり、それが農業という生活基盤を共通にもっておりました。その青年活動は、今とはまるっきり違っております。結論は出ないですよ。いい機会ですから、かつての青年団活動をこれからどう生かしてゆくか考えるのも。
 私が知っている家に高校2年生の子どもがいて、バイクを買ってもらってのりまわしています。夏休み一日5千円のアルバイトをしています。おやじは、東電に勤めています。手伝いに来させたら半日いって土方がいやになって逃げてしまって、日のささないビルの清掃をやって、一日5千円もらっている。その上の子は、高校を出て専門学校2年出て、コンピューターの仕事をしていますが、親に泣きついて80万くらいのすばらしい自動車をかってもらった。親は農協から借金して買い与え、自由自在に車を乗り回して、会社へ通っています。親が乗してくれといってもだめです。こういう時代ですから、結論なんか出ません。
高橋 小国の青年団は、よそよりも早い時期に崩壊したという特徴があります。西山町などは、きちんとしたものはなくても、集落の中で、継続してのこっているのです。これは、西山町が立派で、小国町がだめだということではないと思います。青年団は、要求によって組織され、要求が充たされなくなると消えてゆく、今の青年たちが、何を求めてゆくのか、暴走族のようなものが生まれてきても、それが青年の要求を充たしているものであれば、それもいいのではないか。今後青年達が、今の社会に適応したものを作ってゆくかもわかりません。たとえば盆踊りやグループ活動が生まれてくると思います。小国町の青年団が一時期燃えあがり、早くなくなったことは、その青年の要求によってであり、青年のいる限り、何かが生まれ、消えてゆくと思います。
長谷川 25才までが青年ということはないと思います。大正から昭和、戦中、戦後、昭和30年代以前以後、それぞれの世代において、盆踊りや演芸活動をやる人たちはみな青年です、35才でも45才でも、寿命がのびただけ青年ものびたと考えればいいではないですか。
保坂 小国町商工会青年部は、45才まででしょうか。これからは、職場と各集落、たとえば三桶の三友会、諏訪井の訪和会のような、年令をあまり限定しない人たちの活動がはじまっています。太郎丸も村おこしの指定を受けましたので、渋海会と名づけて、若干は残っているようですが、昔の青年団活動にとってかわり、村づくりに動いてゆくのではないかと感じます。今後は、こういう方向でだれかが新しい村づくりのために、経済を度外視して動く、熱意のある方が出てくるんじゃないかと私は期待しているんです。 山崎 ここ2、3カ月ばかり資料館の整備に通わせてもらいましたが、かじかの会の皆さんが川下りの準備に一生懸命にやっている姿にほんとに感銘をうけました。あの姿が、我々の若いころと同じだと思いまして、これからも心配ないと思いますよ。
中沢 川下りは、実にエネルギッシュな活動だと思うんです。
昔の青年団活動がそっくりあらわれている姿だと思うのです。それと青年団といってはなんですが、老年団といいましょうか、あれが昔の青年団に近い感じをもちます。私は、その担当をしていて自慢するわけではありませんが、かなり自由自在に楽しんで、俳句だとか、書道だとか、全体的にそれぞれの会の会長さんが集約するようになりました。もとの青年団が老年団にかわって、町の花いっぱい運動のような奉仕活動もやっています。経済的におちついて、自由時間があるということが、こんな活動にむけているんじゃないかと思います。
樋口 おくれてきましたのも、農協若い衆会があって、そのかけもちしているわけです。農協をあずかっている関係で、担い手問題が深刻になり、農家組合長会議などで、検討してまいりまして、第一回の集まりが、今日持たれたわけです。各集落で若い人を洗ってよびかけ、農協に結集して、みなさんと一緒になって、どうしたら元気のでる地域づくりができるかということで集まってもらったわけです。半日くらいおごって、先進地の視察をやったり、お互い勉強しあったり、時にはビールをのんだりしようとよびかけましたら、今日は、110人のみなさんが参加してくれました。33集落のところ、二つを除いて平均年令35才です。ほとんど勤めている人たちで、あまりおもしろいよびかけでなかったんですが、よくこれだけの人達が集まってくれたと思います。私は、今後、この人たちと手をつないで、将来に期待をつないでいきたいと思っています。今ころは、森林公園さんで、ビールを飲みつつ、話がはずんでいる時間と思います。
司会 おわりに元気のでる話で、将来に期待のもてそうな明るい話でした。まだ話はつきませんが、時間がまいりました。ありがとうございました。


 

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