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所詮通り過ぎて行くだけの…… | へんなか

所詮通り過ぎて行くだけの……hennaka

へんなか 芸術村通信 「所詮通り過ぎて行くだけの……」

所詮通り過ぎて行くだけの……          ふじた あさや


 原稿用紙を机上にひろげて、5日目。まだ書けないでいる。
 小国の自然の美しさについて書けといえば、書けないことはない。ふるさとを持たぬ都会生まれの人間が、その自然の中でどれほど充たされた思いがするか、ということも書けないことはない。だが、何を書いても、所詮、通り過ぎて行く人だ、と思ってしまう。
 ぼくはちょうど学童疎開を経験した世代だが(ぼく自身は個人疎開だったが)、あの疎開者たちは、村の人々にとっては、所詮、通り過ぎて行った人たちにちがいない。一人ひとりの疎開者にとっては、あれは得難い農村体験だったはずだが、しかし、村の人々から見れば、彼らは帰るところのある人々だった。
 学生時代に、農村調査で富士山麓の米軍基地の村に行き、悲惨な現実を前にして、何かわれわれでもやれることはないか、と考えたことがある。もちかけた者もいたが、結果は、「あんたたちは帰るところのある人だ」と壁を立てられた。この体験を、福田善之とぼくは合作で戯曲に書いた。「富士山麓」というその戯曲では、学生たちはふたたび基地の村に戻ってきて、基地闘争に加わるのだが、それはぼくらの『夢』でしかなかった。ぼくらはやっぱり帰ってきてしまったのである。「嘘を書いた」という思いが、長くぼくの中でくすぶっていた。
 そんなこだわりをひきずりながら、小国について考えてきたのである。たとえば山野田あたりの、自然の美しさが暮らしにくさと引換えになっているような現実を、西山さんや若林さんのような芸術村の人たちの後からのぞきこみながら、「何ができるだろうか」と自問自答し続けてきたのである。
 芸術村の仕事をお手伝いしたこともあるし、劇団をひきいてきたこともある。
 この夏は、芸団協(日本芸能実演家団体協議会)の夏の集いツアーを、小国で開催するように企画した。芸団協というのは、日本中のプロの芸能実演家が属している職能別組織の協議体で、伝統芸能から現代芸能まで、あらゆる分野の芸能人がいる。われわれの仕事が盛んになるためには、なにをどうしたらよいか考えようというので、幾度もシンポジウムを重ねてきた。それを今度は、小国でやろうというのであった。
 8月9日の午後は、80人の参加者が、3つに分かれて、町内を見学した。夜は農環センターで交流会。ここで見せていただいた『みこ爺』が圧巻で、活力あふれたユーモラスな芸に、プロの芸能人たちも、惜しみない拍手をおくっていた。そのあとは山野田と法末の二手に分かれて、それぞれの宿舎で交流会を開き、地元の昔話を聞かせてもらったり、紙すきの話を聞かせてもらったり。シンポジウムは、それらの体験を承けて、10日の朝から開かれたのである。
 シンポジウムのタイトルは『地域で芸能を考える』。パネラーには小国から、高橋実、永見恒太、北原宏之の諸氏に、芸術村の若林一郎氏が参加し、それに水原子ども劇場の山田早苗さんとNTT新潟支社長の大友健弘氏が加わり、芸団協からは荒馬座の狩野猛氏が参加して、ぼくが進行をひきうけた。
 それぞれがそれぞれのお立場で、地域と芸能について論じられて、はじめは噛み合わないかと思われたのだが、『みこ爺』の例をひいて、「芸能の伝承はまず人作りから。」と語られたあたりから、共通のフィールドも見えてきて、話は大いに盛りあがった。芸能が地域づくりのシンボルになっている姿は、芸団協の専門芸能人には、いろいろ考えるきっかけになったと思われる。そんな意味で、得るものの多いツアーだった。
 終ってみればしかし、またしても、通り過ぎただけという気がする。80人もの大世帯が押しかけて、やれ芸能を見せろの、案内しろの、紙すきを体験させろの、昔話を聞かせろのと、好き勝手なことをいって、荒しまくって、さんざんご迷惑をかけて、小国の皆さんには何か見返りになることがあったのだろうか。はなはだ心許ない。
 ぼくらはやっぱり、通り過ぎるだけの人間か、と思ってしまうのである。西山さんや若林さんのように、せめて片足なりと小国に立とうとすれば、もう少し何かが見えてくるのかもしれないし、お役に立てることもあるのかもしれない、とは思うのだが……。
 原稿が書けないことのいいわけを書いているうちに、この枚数になった。これでお許しを願いたい。

(ふじたあさや 劇作家、演出家、作品の「さんしょう太夫」は小国でも上演された。
日本演出者協会事務局長・川崎市在住。一九三四年生れ)

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