本文へスキップ

特集:八石山 八石山はわれらが庭 4 | へんなか

座談会 八石山はわれらが庭 4hennaka

へんなか 座談会 「八石山はわれらが庭 4」

八石山はわれらが庭 4


  米山塔、妙高山塔
山崎 あの道のところに、妙高山と刻んだ石塔がありますね。
中村(哲) 八王子は米山塔はないのですが、鯖石にゆくとある。米山も妙高山も作の神様だったわけです。八王子は、米山塔より妙高山の石塔がよけいにあります。町内の人の話によれば、米山塔は、米山の見えるところに建っているといいますが、その辺はどうですか。
山崎 わかりませんね。高柳にゆくと黒姫でなく、米山塔が多い。
中村(哲) ここの作神は、米山で、米山登山をして祈願しているわけです。
山崎 ここから米山さんは見えますか。
安沢(欽) 花立からは、見えます。
山崎 高柳へいっても、高柳小学校の城山にあるのは、全部妙高山の石塔です。
中村(哲) 榎の下に、四角い大きい石塔がありますが、家の先祖の作右衛門という人があげたのだと聞いています。
飯田(秀) 米山は、八石山の裏になり、真向いも妙高山だから、見えないと信仰できないのです。
安沢(欽) 米山と黒姫の間に、天気のいい日は、妙高山が見えることがあります。
中村(哲) 寛政十二年の銘のある、念仏供養塔も建っています。
安沢(欽) 最初の道は、つんね(尾根)ばかりとっていて、峠(屋号)の後ろの道をかきあがっていたのでしたね。

  御堂平と十二平
安沢(欽) 御堂平も、いろいろいわれがあるようです。
中村(由) あそこに畑がありまして、それからちょっとさがった所に十二平というところがありましたね。
中村(哲) 十二様は、個人のお宮で、いんねんどんのお宮だと聞いておりますが。
安沢(欽) あそこに、子孫の人が何年かに一回ずつ来ると聞いています。
中村(由) 御堂平のいわれについて、二つの説があるようです。一つは、山岳仏教華やかなりし時、強面(こわもて)の山法師がたむろする修験場であったのではないかというものです。もう一つは清瀧寺の説で、檀家が離山方面にあったので、往来する人々の中継お堂があったのではないかというのです。鯖石方面の人には、前者の方がロマンがあるのでいいといっています。
中村(由) 十二様にも社があったのです。
安沢 あれは、武徳(たけのり)さんが管理していて、すごい神木の杉の木がありました。子孫の人が、おまいりにくるといいます。
飯田(秀) あの場所に十二、三軒家があり、久木太へ越したと聞いています。
中村(由) あの所に社があって、杉の木がこんもりしている。何かいわれがあったにちがいありません。あの沢田は、小作していましたが、他にも、ますいんどんかいんどんの山がいっぱいありました。普通の田は、三俵おろしでも、六俵くらいあがったのですが、あそこは、三倍はあがりがあって、三俵おろしでも九俵あがった。肥料もいらず、稲の出来もよかったので、小作していてもよかったところです。
山崎 三俵おろしとは何ですか。
中村(由) 一反の田で、六俵とれるのが普通で、その半分三俵を小作料に納めたということです。
飯田(秀) 十二平は、じゅんだいらとよび、十二神社の御堂があったのです。
山崎 十二平は、山の神で、町内にもあちこちでこの神を祀っている。
山崎 子孫がお参りにくるというのは、どこからですか。
安沢(欽) わかりません。武徳さんなら知っているでしょう。あの山の中に何百年もたつ大きな木があるということは、何かいわれがあるはずです。
中村(由) あの木は、神社を祀った人が植えた木で、もとは、一本だったのを、今は、上にいって三叉にわかれている。

  松乃木湯
飯田(秀) 松乃木湯のもとはさばらだ。あれから出ている。
安沢(欽) 松乃木湯のもとは、清一さんで、今だに年貢払っているはずです。それからちょっと上(かみ)へいったところがさばらの田んぼだ。おまえが湯屋を建てたというのは、下の沢だから、あの水を使ったわけです。安沢芳太郎(しろうべえ)の石のとこからごんごん出ている。それを松乃木湯へ引っぱっている。
中村(由) あれは、清一さんが管理しているのでおまえの地所なんです。今は北海道へいったが、中村丹治(たんじ)さんの家です。湯屋敷はステーキハウスから沢へおりたところへ広い田があって。
中村(由) そのあとへ、ひこさぶろうのおばあさんが小屋みたいなのをつくって、湯屋をやった。
飯田(秀) 桝形の下に三反歩の田が残ったが、あの頂上に松の木があって、からすのとまり場になっていました。

 >  >  > 4 >  > 


→ 『へんなか 第八号 特集:八石山』目次のページへ

 

◆お読みになりたい方は、お近くの図書館でお読みになることができます。