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山里の医療現場に生きる | 高橋実のひとりごと

高橋実のひとりごとmonologue

山里の医療現場に生きる

平成26年10月25日

 秋盛りの長岡市小国(おぐに)地区、そのほぼ中心部に位置する長岡市立小国診療所、前の駐車場にはたくさんの車が止まっている。ここに勤続二十五年の金子医師と共に、二〇〇二年から勤務するのが、山本高史医師である。その年、小国診療所に入院病棟が出来て医師二人態勢が必要になり、当時国立療養所に勤務されていた山本医師に当時の小国町が要請して診療所への勤務が実現した。今年からは嘱託医として週末に新幹線で東京から小国町に通って来る。
 長岡市小国町は新潟県の中南部に位置し、東西を関田山地と八石山地に囲まれ、中央を信濃川水系の渋海川が貫流する、水と緑の豊かな地域。周囲を山に囲まれた独特の地形が「小国」の名前の由来になったとも言われている。古くから米作りをはじめとする農業が主に行われてきたほか、紙すきの産地としても知られている。近年では地域の伝統の保存や、新たなまちおこしへの取り組みが盛んに行われ、若い世代とともに古き良き伝統のあるまちづくりを目指している。総人口は、六一〇四人うち、六十五歳以上は、二三一八人で、高齢化率は三八%(平成二十五年四月現在)
 山本高史医師のプロフィールは次のようである。
 昭和二十三年、高知県生まれ。東京医科大学卒業後、女子医大の心臓血圧研究所、米国ロマ・リンダ、榊原記念病院で心臓病学を学ぶ。現在、東京衛生病院と小国診療所に勤務。二〇一四年から小国診療所嘱託医となり二つの介護施設と十九床の入院病棟を受け持ち、週末の小国の医療を担当する。
 氏に最初に赴任された時の小国の印象は? と聞くと「雪の多いのに驚いた。そして穏やかな人間性に感謝している。何より医師を信じて任せてくれるので診察が非常にスムーズにゆく」ということであった。専門は循環器科、医学博士。二〇一四年七月から「新潟日報」紙上に『いのちと医の交差点』連載中で、十月二十一日には第十四回が掲載された。
 二〇一三年四月、私は高熱が下がらず、山本医師の診察を受け、長岡の総合病院に緊急搬送され、「肝膿瘍(のうしゅ)」と診断され、十六日間の入院生活を送った。
 「いのちと医の交差点」から様々な山里の医療の問題点が浮かび上がってくる。それは山里の医療現場のみならず、日本の医療全体にわたる命と医療の問題に広がってくるのではないだろうか。
 何より連載の冒頭の一文にまず心打たれた。

 「外来診療。それはまさしく医療の扉である。ここからすべてが始まる。生も死も笑いも涙も始まるのである。だが、扉の一寸先は、運命の女神のみぞ知る世界なのだ」

 人は誰でも体調が悪いと医療機関の扉をたたき、医師の診察を請う。一刻も早くこの悩みから解放されたいという一心である。しかし、その先に待っているものは、いつも笑いだけとは限らない。総合病院を紹介され、様々な検査の結果苦しい治療を強いられることもある。そうした場面にどう対処するか。

 山本医師の診断を受けるのは、この小国の老人たちがほとんどである。氏は言う。

 「老いを生きるのは人生最大の難事業であって〈長寿めでたし〉などと軽々しく言えるのは外野席だけだ。だが視点を変えれば、この老いの苦労こそが生への未練を絶ち、死の恐怖を和らげてくれる妙薬でもあるのだ。」

 老いはだれでも必ずやってくる大きな関門である。
 私が小学四年生の時、祖母が七十三歳で死んだ。お別れのとき、立て棺の蓋を開けて最後の姿を親から見せてもらった。これが死というものだった。強烈な印象だった。子どものころ死の恐怖から逃れようとして、自分が大きくなるころは医療が進歩して、誰でも死ななくてもよくなるんではないかという妄想を持ったことがあった。人が誰でも死なず、この世に生き続けるとしたら、地球は人で溢れてしまうのではないかとなぜ考えなかったのであろう。
 昨年の入院から改めて自らの死への意識がよみがえってきた。死はすぐそばにじわじわと近づいていることを実感した。その死をどう迎えるか。山本医師の一文には延命治療を拒否して、自宅で家族に見守られながら最期を迎える事例が紹介されている。医師が懸命に施す延命治療が、果たしてその人にとって本当に幸福なのだろうか、むしろ患者の苦しみを増長させるに過ぎないのではないかと自問する。氏は「小国に来るまでは生と死が病院の中での戦いと思っていたが、こちらに来て改めて家庭、家族を含んでの戦いであることを教えられた」と言う。氏のブログの中でも「小国では治療が望めない終末期の患者を診るときは、家族に『治療を望まれますか』と聞くのが流儀だ。入院患者でも回復が難しいことがわかると家族と〈阿吽の呼吸〉で栄養補給を断ち切っていく……延命治療は逆に死の苦しみを長くしているのではないか」という。「延命か、幸せな最期か、二者選択が常につきまとうと考える。老いは不治の病だから延命中心の医療は避けたい」という本心を話された。
 この連載の十二回目に「お伽噺に学ぶ」という項目が載った。ご存じ浦島太郎の話には〈老い〉というものの深い真実が含まれているというのだ。竜宮城から玉手箱をもらって帰ってきた浦島は、故郷も親兄弟もあらゆるものを失い、すべての希望と心の支えを失う。その悲嘆の中で玉手箱を開けるとたちまち老人に変わってしまう。このくだりを山本医師は「この瞬間に、浦島の心に、静謐が訪れる。生きることに絶望していた浦島には、老いも死も決して悲惨なものでなく、むしろ救いだったのだ。乙姫様からの贈り物はなんと〈老い〉の妙薬だったというのである」
 来る二〇一五年には私も七十五歳の後期高齢者となる。老いと死は刻々と迫ってくる。
 どのような最期を迎えるか、それは神のみ知ることである。できるならば神の意志に従って静謐な死を迎えたいものだ。

(「大人からの情報発信」bU6 2014年冬号 日々発見の会)