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「墓を建てる」 | 第二小説集『紙の匂い』

墓を建てるworks

墓を建てる 1

 村の見える小高い丘に、墓地があった。墓地は、中央の通路をはさんで東西九列に並んでいた。
 棚橋の家の墓地は、その中央附近にあった。四角い石が重ねられたものもあり、頬づえをついた形の如意輪観音もあった。「先祖代々の墓」の文字の他に、墓を建てた年月も刻まれていたが、どれも長い年月に風化して、文字を読みとれなかった。
 孫の英樹の骨のはいった骨箱は、英樹の妹で、高校一年にはいったばかりの直子の胸にしっかりとかかえられていた。棚橋の家の人たちは英樹の骨を埋めるため、つれだってやってきた。しかし、棚橋の家のものといっても、英樹の母の利子と、英樹の祖父の八十二歳の嘉市がすべでであった。その他に、利子の弟や嘉市の娘で他へ嫁いでいる弘美もつきそっていた。花とロウソクは利子が持ち、水や線香は他のものたちが持っていた。嘉市は、一団から少し遅れて、不自由な足をひきずって歩いて来た。車を下において、すべりやすい土の階段を何段もあがらなければ、ここにやって来れなかった。嘉市は、途中で何回も休み休みしながら、この墓地の丘に登って来た。おくれがちの嘉市に向かって
「おじいちゃん、だいじょうぶ」
と孫の直子が声をかけて来た。
「だいじょうぶだ。これくらい……」
といいながら、嘉市は大きく肩で息をしていた。
 ここまで登ってくると、小さい川に沿った細長い村が一望できた。ここが、かつての棚橋の家のあった村であった。村の入口の大きな藁屋根が棚橋の家で、すぐ前がバスの車庫になっており、バスのエンジンの音や、バス待ちの人の話し声や、バックするバスを誘導する笛の音を、家にいながら聞くことが出来た。二十年前、棚橋の家は、この村をひきはらって、バスと汽車をのりついで一時間半かかるこの地方の中心地長岡市に移り住んだ。この村に残っているものといえば、この墓地と、わずかな山林だけになった。二十年間のこの村のかわりようは大きかった。かつては、塚山駅まで四十分以上かかったバスも、今、直通の急行バスで一時間で長岡につくことができた。棚橋の家の屋敷跡は、バス会社が購入し、五十人乗りの大型バスが何台も駐車していた。もう、棚橋の家の跡をしのぶものはなにもない。
 重い墓石を動かすと、ぽっかりと暗い石室が見えた。そこには、棚橋の家で死んだものたちの骨がぎっしりつまっていた。この骨はしだいに下の方から風化し、ボロボロになって土に同化してゆくに違いない。どこに英樹の骨を入れたらいいのかわからないほど、骨は山のように盛りあがって、入口近くにまであふれていた。軽くかさかさにくずれるような骨の上に、近くの松の根や茅の根が手のようにのびて来て、その大きな手が棚橋の家の骨をわしづかみにしているように見えた。石室いっぱいになった骨を押し詰めるようにしてすきまをつくると、そこに十七歳で死んだ英樹の骨を落とした。骨はかすかなかわいた音をたてて暗い石室の骨の上に重なった。八十二歳の嘉市が、孫の英樹を葬った。
 大正十一年に二十六歳だった嘉市が、この棚橋の家にはいって、まもなく六十年になろうとする。この六十年の間に義父と義母、妻、二人の息子、娘、そして孫の英樹を入れて、七人の葬式を出した。年上の義父と義母を葬るのはやむをえない。しかし、あとの五人は、すべで嘉市より若かった。この家では、生きているものより、死者の家族が多かった。十年に一人ずつ、人が死んでいった。だから、この石室の中が骨でいっぱいになるのもむりからぬことであった。
 そして、いつも葬式の中心は、嘉市であった。どんなときでも、嘉市は努めて涙を見せようとしなかった。いくつもの身うちの葬式を出しているうちに、嘉市の涙が涸れてしまったのかも知れない。寺への連絡や、やってくる弔問客への相手をしながら、少しも涙を見せず、いつもだれよりも悲しんだ。
 墓の前には、白木の卒塔婆がおかれ、持ってきた花は、ミルクの空カンの中に投げこまれた。線香の煙がたなびき、ロウソクの小さな火がともった。みんなそろって、墓の前に手を合わせた。この丘には、かすかな風があるのだろうか。ロウソクの火がその風に敏感に反応して、消えるように細くなり、また大きくなった。
 英樹はこうして、土にもどっていった。ここで短い時間をすごすと車で三十キロ離れた長岡市へみんなが帰ってゆく。村を捨てて、二十年もたてば、この地はすでに異境であった。親戚も何軒かあり、声をかければ、みんなここに集まってくれるだろう。しかし、こんなことで村の人たちの手を煩わしたくなかった。できるなら、あまり顔を合わせたくなかった。顔を合わせればここに来た理由を説明しなくてはならない。村には、見知らぬ若者がめっきり多くなった。英樹も長岡にいってから生まれたのだ。この村を英樹は知らなかった。なにも知らないこんな墓に、英樹の骨を埋めたくないと利子はいった。英樹にとって、この村はいったいなんだろう。父母の故郷としかいいようはない。しかし、嘉市は、ここに英樹を埋めたいと思った。そこには、父の嘉光が眠っており、英樹は顔を知らないが祖母の満が眠っていた。あんなに英樹をかわいがってくれた曽祖母のトクが眠っていた。
「英樹を近くに葬っておきたいというおかあさんの気持ちもわからないではないが、英樹は、やはり父のところで眠らせるのが一番だよ。英樹だって、この家の血を受け継いでいるんだから」
 嘉市は、利子にそういった。利子も、このすぐ近くの村の生まれであった。この村を捨てて、もう二十年もたつのに、どことなく長岡の人になり切れず、なにかあると実家の方へ足がむく。
 二十年前、この村を捨てて、なぜあれほどあわただしく長岡に移らなければならなかったのだろう。嘉市は、あのころ本社が長岡にあるバス会社の整備管理者という地位にいたし、教員であった長男の嘉光も、長岡の近くの小学校に勤務していた。あの時は、またやむをえない事情が重なっていた。まだ村を出る人の少なかった時で、田も屋敷もいい値で売れた。
 しかし、その長岡で、長男の嘉光の枢を送り、次女の千鶴の枢を出し、そして義母の枢を出し、そして、孫の英樹の死を見とった。残ったのは、八十二歳の嘉市と、嫁の利子、高校一年の孫の直子の三人だけであった。この村に残っていたら、少なくても英樹は死なせなくてもよかったのかも知れない。英樹はオートバイに乗っていて車にひかれて死んだ。英樹の方に悪いところはない。しかし、英樹は、町のにごった空気の中にどっぷりつかりすぎた。英樹の骨をこの墓に葬って、また長岡にもどっていったら、英樹が追いかけて来て、どうして、俺をこんなさびしいところに置いてゆくのだ、俺も一緒につれていってくれと責めるような気がした。英樹よ、お前はここが一番安まる所なのだ。お前の先祖たちがこの墓に眠り、お前もまたその血を受けついでいるのではないか。老人と女二人が残されたこの棚橋の家は、長岡に住んでいる理由は少ない。この村は運転手として、嘉市の青春の躍動した場所であった。一度、村を離れてしまえば、どうして帰って来られよう。もうこの家を受け入れてくれるところは、この墓しか残っていない。いつあの世から嘉市に迎えが来るとも知れない。その時は、この墓の中で、何の心配もなく、深い眠りに落ちてゆきたい。生きている間に、あまりにも明るいところや暗いところを見すぎて、嘉市の心は疲れ切ってしまった。利子と直子は、俺が死んだあと、それぞれ自分たちで生きていってくれるだろう。  先に下に降りて、車に乗ったものたちが、待っていた。嘉市は、墓をあとに下におりはじめた。不自由な足を引きながら、ここに新しい墓を建てようと思った。

 
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