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「墓を建てる」 | 第二小説集『紙の匂い』

墓を建てるworks

墓を建てる 3

 長岡へ引っ越した棚橋の家には、思いがけない大ぜいの客が押しよせた。三女の美津江の借金を肩がわりしてくれという債権者であった。
 美津江は、同じ小国出身の人と長岡で世帯を持ち、乾物屋を開いていた。ここに、夫の両親も住み、次々と子どもも生まれ、店がおもわしくなくなり、夜逃げ同然にして、東京に出て行方をくらましてしまった。問屋にたくさんの借財をかかえたまま、着のみ着のままでここを捨てていった。
 そのあとに、美津江の実家棚橋の家のものたちが引越していったので、多くの借金を払ってくれといってきたのだった。嘉市はひたすら頭をさげ、少しずつその借金をかえしてゆくことを約束した。
 その美津江も、東京で始めたビル清掃業が順調にいって、今では人を使うほどになった。長女の弘美は小千谷に所帯を持ち、嘉市は、ここに退職金をつぎこんで家を建でてやった。
 嘉光も結婚した。小国出身の近くの人であった。そして、生まれたのが英樹であった。トクは、このひ孫をことの外かわいがった。孫をあやしながら、嘉市も、幸せな毎日であった。
 昭和三十八年六月、次女の千鶴が柏崎の療養所で息をひきとった。大正十五年に生まれた千鶴は、その青春時代を戦争の真只中ですごした。男たちはみな戦地におもむき、千鶴は、その銃後を守る女性運転手であった。当時、県内唯一の自動車学校であった新潟の関屋自動車学校を優秀な成績で卒業し、十八歳でバスの運転手となった。嘉市の運転手を継ぐ、もっとも正統な跡継ぎであった。しかし、そのころガソリン不足となったバス業界は、薪や木炭を燃料に使った。発車するだいぶ前に薪のはいったカマに火を入れ、風車をまわして、ガスの火をあおる。そのけむりの色を見てエンジンをまわす。その木炭車のバスを運転して千鶴は小千谷、長岡間を往復していた。木炭の煙で、千鶴の顔はいつも真っ黒であった。男のような髪を後でたばねて、ハンドルを握っていた。しかし、千鶴には、それでいていつも楽しそうに、はり切った毎日に見えた。それが千鶴の生涯でもっとも充実した時だった。
 昭和二十年八月一日、長岡がB29の爆撃をうけたのは、午後十時半すぎであった。その夜、千鶴は、今の長岡厚生会館近くにあったバス会社の寮にいだ。狂ったようにサイレンが鳴りわたり、あちこちで火の手があがった。初めは,防空壕にはいったが、ここが危いというので、頭に三尺布団をかぶって、まずはじめ川崎方面に逃げた。しかし、あちこちの家が焼け、人が逃げまどい、道をふさがれてしまった。引き返してこんどは長生橋の方へにげた。ひゅうひゅうと音をたてて焼夷弾が落ちて来た。黒こげに焼けた死体がころがっていたり、けがをした人が助けをよんでいるのも見た。その時は、千鶴はもうこれで自分の命がおえるのではないかと思った。しかし、やっと鉄骨の橋桁が見えたときは助かったと思った。頭には、あの一枚の三尺布団をしっかり、かかえていた。この布団が千鶴の命を救ってくれたのだと思った。あの時、防空壕にそのまま残っていたら焼死していたはずであった。
 千鶴の身を案じて、家の者たちが、翌日、長岡へ出かけた。どこもかしこも一面の焼野原であった。千鶴の泊っていたバス会社の寮も焼け落ちてあとかたもない。近所の人に聞いても、どこへ避難したかわからなかった。嘉市は、その寮のあったあたりの土を一にぎりすくって、袋に入れた。千鶴の行方がわからないときには、この土を棺の中に入れてやるつもりだった。この分では、だめだろうと嘉市はあきらめて帰って来た。千鶴は、長岡に出た嘉市と行きちがいに、リュック一つを肩にして、着のみ着のまま塚山駅に降りたった。塚山駅からは歩いて家に帰ってきた。家の者たちは驚いた。捜しにいった人よりさきに本人が帰って来たからである。
 長岡での職場を失ってから、千鶴は、この村でバスの車掌になった。しかし、それからまもなく、千鶴は結核をわずらった。青白い透き通るような肌の色になった。同じ年の仲間たちが、それぞれ嫁いだり、子供を産んだりしているときに、千鶴は、熱のある体を、病院に横たえていた。病気は、急に悪くなることはなかった。回復したように見え、病院を出たと思うと、また悪くなった。満の死んだとき、家にいた。結核菌が膝の関節にまわり、歩くとひどく足をひきずった。直すために、膝にコンニャクをあてていた。それから何度か病院を変えた。
 昭和三十八年六月二十三日、千鶴は、柏崎の療養所で死んだ。三十八歳であった。病気になってから十年間が経過していた。満の死ぬときは、まわりに子供たちがおり、親もおり、その死をみんなに見とられながら息を引きとった。千鶴の時は、療養所の個室で、祖母のトク一人が見とっただけだった。幸薄い娘の死を見とる母は、すでにこの世の人ではなかった。ゆくゆくは、千鶴をバスの運転手に嫁がせ、あの光栄ある運転の技術を伝えようと思った嘉市の夢は崩れ去った。千鶴の葬儀は、長岡にうつった棚橋の家でつつましくとりおこなわれた。姉や妹たちと、ごく親しい親戚が故郷の村からやって来ただけであった。部屋いっぱいに大きな祭壇が飾られていたが、それは葬儀社の運んで来たものであった。その祭壇の前に、小さな骨箱におさめられた千鶴の骨があった。その骨は、その後、満の眠る墓地に葬られた。嘉市は、十年の間に、その妻と娘を葬った。

 
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