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「墓を建てる」 | 第二小説集『紙の匂い』

墓を建てるworks

墓を建てる 4

 嘉市は、昭和三十四年、六十三歳まで勤めてめでたくバス会社を定年退職した。もともと五十八歳で定年になるところを、嘉市の整備士としての技術を生かすべく、定年も延ばされた。会社をやめると、家の納屋で、廃品利用の金箕づくりを始めた。塗料の入っていた一斗カンをもらってきて、これを二つにきり、縁にビニールパイプをつけた。持前の器用さから、嘉市が作り出したものである。これを小型トラックに積んで、農協や金物店に置かせてもらった。農作業や草取りには、大へん重宝がられ、まとまった注文もやって来た。空カンは安い値段で手にはいったから、この仕事は、家でなにもしないでいるより、気がまぎれ、自分の小遣い銭を稼ぐことはできた。

 昭和四十八年三月に姑のトクが死に、一ヵ月もたたないうちに長男の嘉光が死んだ。
 嘉光は、旧制小千谷中学を卒業し、新潟師範学校へ進学した。自分は学歴がなかったので、運転手という技術で、どうにか世を渡ることができた。子供にだけは上の学校へ進めて、学歴をつけさせてやりたい。嘉市の嘉光への期待は大きかった。自分の一字をとって名前にしたのもそのためだった。あのとき、師範学校へやっていなければ、特攻隊にとられてどうなったかわからない。師範学校へいっても、学校では勉強をゆっくりしていられない時であった。工場に動員され、弾丸をつくったり、校庭を耕したりして、甘藷を作らせられた。そして、いつも空腹をかかえていた。若者たちが生きてゆくには、不幸な時代だった。思えば、千鶴も嘉光も、戦争が二人の命を縮めたのかも知れぬ。極端な食糧不足と過酷な労働が、この時代に青春を送った人たちの体をむしばんでいたのかも知れぬ。
 昭和二十四年、師範学校から新制大学へとかわる年、嘉光は、師範の最後の卒業生となった。そして、最初の赴任地が、発足したばかりの村の新制中学校であった。ずっと陸上の選手だった嘉光は、すらりと背が高く、背広を着て、自転車で通う姿は、いかにも先生らしく、たのもしく見えた。
「これで、俺の責任も果たせた。俺も少しは楽になるぞ」
 嘉市は、そう思った。会う人ごとに
「これでやっと肩の荷が降りました。あとはいい嫁が来るのをたのしみにしていますよ」
と顔中に笑みをたたえて喜びをあらわした。ようやくバスのガソリンが出まわるようになっていた。それから二年後、喜びもつかの間、嘉光は、結核になって休職せざるを得なくなった。満の死んだ日、大雪の中をそりにのせられて療養所から帰って来て葬儀に出席した。四年間の休職のあと、再び学校に復帰できた。
 この嘉光がはじめて校長になったのは、昭和四十七年であった。中魚沼郡の小さな小学校であった。教員になった以上は、校長までならない限りなんにもならない。それが嘉光の口癖であった。
「これで、やっと自分で思うように学校を動かせるぞ」
 嘉光は、目を輝かしてみんなに話した。今は山奥の小さな学校の校長でしかないが、三年すれば近くの学校に戻って来るだろう。嘉市は、これで育てた苦労が報われたのだと思った。すっかり結核の方も直り、これで病気さえしなければ嘉光は立派になってゆくだろう。これでいつ死んでもいい、仏壇の前で満に報告した。嘉光は、土曜日になると帰って来て、月曜の朝早い汽車で学校へ向かう日が続いた。
 その二年目の秋のこと、帰ってきた嘉光が足の痛みを訴えた。疲れが出たのだろうとみんながいってみたが、一応病院に見てもらうことにした。血液の検査があり、レントゲン検査があり、何日かして結果を知らされた。嘉光の足の骨がガンにおかされており、手術しなければならないと聞かされて、嘉市はいやな予感がした。その時、妻満の死のことを思った。嘉光もまた満と同じ年齢に近づきつつあった。嘉光が入院した時、この地方に初雪がやってきた。嘉光の病気が治ってまた病院から出て来れるのか、それともここが嘉光の死に場所になるのか、だれもわからなかった。嘉市は、あらゆる場合を考えておかなくてはならないと思った。嘉光は、元気になって学校へもどるつもりだった。
「はやくよくなって、子供たちの待っている学校にもどりたい」
 それが口癖のようになっていた。病院には教頭先生が頻繁にやってきては、学校のようすを伝え、指示を仰いでいた。同僚の先生たちもやってきた。嘉光も、見舞いにやって来た人たちと話をかわし、時には笑いさえも出ることがあった。それも入院してから一ヵ月くらいまでだった。日を追って病状は悪化していった。足の痛みは激しくなるばかり、それが肩や腰の痛みを訴えるようになった。あのころ、嘉光のガン細胞が全身に広がっていったのだと思う。夜は頻繁に寝汗をかいて、何回も着がえさせなければならなかった。はじめは利子がつきそっていたのが、あとは時々弘美が交代してつきそってくれた。痛みがひどいと、看護婦を呼んで、痛みをとめる注射を打ってもらう。注射をしたあとはうとうとして少し眠った。 「キオツケ、ニネンセイマガッテイル」
「他ニ先生方意見ハアリマセンカ」
「皆サン、ゴ苦労サマデシタ、今月ハ最後ノシメククリデスカラ、頑張ッテ下サイ」
 よくうとうとしながら、こんなうわごとをいった。すべて学校のことばかりだった。校長として赴任した学校の朝礼や職員会議の一場面であろうか。嘉市はもちろん利子や英樹、直子のこともいわない。いつも、学校のことばかりであった。そんなとき、つきそいの姉の弘美が
「校長先生、もうお休みになって下さい。あとは私たちがやりますから」
と話しかけると
「ハイ、ワカリマシタ、チョット休マセテモライマス」
と答えて、寝息をたてて少し眠るのであった。
 昭和四十八年の新年を迎えた。嘉市は、元日に死んだ満のことを思っていた。病人をかかえた家は、いつも人の慶びがかえってうとましく感じられる。来年まで嘉光はもちそうにもなかった。目をさましている時、嘉光はいつも痛みを訴えた。見かねたつきそいの弘美が、注射をたのみにゆくと
「そんなに打ちすぎると、かえって注射のために命を縮めてしまいますよ」
と医師はいった。それでも、「痛い痛い」という声に、つき添いの人もだまって聞いていられなかった。見舞いにやってくる人も、面会せずに早々に引きあげていった。もっともそのころ、嘉光は人の顔を識別することができなくなっていた。体はやせ衰え、目ばかりぎょろつかせ、それを正視してはいられなかった。
 そのころ、棚橋の家では、九十二歳になったトクが老衰のため寝たきりとなった。こちらは、嘉市がつききりとなった。一軒の家に二人の重病人をかかえた。利子は、病院で嘉光の世話をし、家では嘉市がトクの世話をした。トクは、次第にものを食べなくなっていった。嘉市は、トクのために粥を柔かく煮て、梅干しや卵をかけてやる。何より困ったのは、日に何度かかえなければならぬおしめの始末であった。二月の水は冷たく、手が凍えるようであった。食べる量も少ないので、便も少なかったが、トクの汚れものを外の水でおとしたあと、洗濯機にかける。それをストーブの上に万国旗のように干してかわかさねばならぬ。トクの布団をあげ、しなびた尻についた汚物を拭いているときなど、そのむっとする汚臭に耐えられない思いがつきあげて来た。こうしたことは、もともと家の嫁の仕事であった。満が生きていたら、実の母の世話をよくしてくれただろう。トクは嘉市にとって血のつながっていない義母であった。七十七歳の嘉市が、九十二歳の義母のために、下の始末までしてやる家があるだろうか。
 思えば、妻の満と暮らした期間より、この姑と暮らした期間がずっと長かった。人は、トクと嘉市を夫婦とまちがえることもあった。
「おじいちゃん、いつもすみませんねえ」
 トクのおしめを干していると、トクがふとんの中から小さい声でいってきた。
「おばあさん、だれだって年とってゆけば、体の動ける人が世話をするのがあたりまえなんです」
「でも、お前さんに、あまり苦労のかけ通しだったと思っているんです。満は若くして死ぬ、千鶴は嫁にもゆかず死なせてしまう。今また嘉光が病院にはいっている。この家には何か悪いものでもついているんじゃないだろうか。お前さんに、あんまりたよりすぎてしまって、ほんとにすまないと思っているんです……。もうこのわたしも、まもなくあの世から迎えが来るでしょう。わかっています。嘉光もだめでしょう。あきらめています。このあと二つも葬式を出してもらうなんて、ほんとうに心苦しいのだけれど、お前さんのためになんにもしてやれない。あの世から、お前さんに手をあわせています」
「おばあさん、そんな水くさいこといいなさんな。この家へ来てもう五十年以上もたちますよ。私をそんなよそものにしないでください。私は、この家より他に行くところがないんですから」
 嘉市は、また何年かして、この棚橋の家の墓にはいるよりほかはない。故郷で暮らした年よりも、この家で暮らした年数がずっと多くなった。それだけにトクのいいたいことはよくわかった。
 昭和四十八年三月十六日、トクは木が枯れてゆくように死んでいった。死ぬとき、水さしでやった水を飲もうとせずに、嘉市が口うつしにトクに水をのませてやると、ごくりと音をたてて飲んだ。それが最期だった。九十二歳のトクの死は、みごとな大往生というべきであった。嘉市はまた、この家の中心となって葬式をとりしきった。本来の喪主となる嘉光は、病院にはいったまま、つきそいの人がそばを離れることができなかった。まさかこの時は、利子がつきそってやるわけにもゆかず、人をたのんだ。弔問に来た客たちは、帰りに嘉光の病院を見舞った。トクを葬る喪主としての嘉光は、骨が浮き出た頬に目だけをギョロつかせて、やってくる人の識別ができなかった。見舞いの客たちは、嘉光の顔を見て、短い間、つきそいの人と話して、そそくさと帰っていった。だれもが、嘉光の死が近いことを感じとった。

 
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