本文へスキップ

「薄暮の始業ベル」 | 第二小説集『紙の匂い』

薄暮の始業ベルworks

薄暮の始業ベル 4

 正夫が退学してからしばらくして、同じ留年組の行平が、二日も続けて学校の時間の途中で帰っていった。こんなことはなかったので、親しい友達に聞いてみたら、人に脅されているのだという。
「いったい、だれに脅されているんだ」
「二年のさち子の相手の男に脅されているんだとかいっていましたよ。行平がさち子と話しているところを見つけられて、放課後になると、校門のところにその相手の男が待っているとかいっていましたよ。行平が友達に加勢をたのんで、この男をやっつけようとしたけど、反対にやっつけられてしまったんだってさ」
「いったい、その男というのは、どんな男なんだい」
「なんでも、もう二十歳すぎて、妻子もある男だとかいっていましたよ。ダンプの運転手をしているということです」
 五十嵐は、こんなにびっくりしたことはなかった。行平は、留年したとはいえ、教室の中で日立たない、口数の少ない生徒だった。こんな行平に、この話にきいたような一面があったとすれば、全く意外なことであった。留年になった原因もこんなところにあったのだろうか。そんな男と二年のさち子は、どこで知りあったのであろう。これは放っておかれない。なんとかしなければならない。しかしなんとかしなければといっても、どういう方法があるであろう。これが解決しない限り行平は、報復をおそれて、落ち着いて勉強もしていられないであろう。なによりもまず、行平に会って事実をたしかめてみなければならない。
 翌日、五十嵐は、行平の家を訪ねた。行平の家は、国道わきにある、小さな茅葺きの家であった。家の人は留守で、五十嵐は、外から声をかけて、二階の行平の部屋にあがりこんでゆく。行平が、あわてて、ふとんをあげているけはいだった。もう十時すぎというのに、だれもいない家に行平は一人で寝ているのだった。聞けば、近所のさつき農園勤めもやめて、今は家にいるという。
 部屋の中は、壁から天井まで所せましとばかり、大きなポスターがはってあった。入口には、ナナハンとよばれる大きなオートバイのポスターが貼ってあった。そのわきには、山口百恵の等身大の水着ポスターが貼ってあった。部屋の隅には、ギターがたてかけてあり、そのわきにステレオが置かれていた。机わきの本棚につまっているのは、マンガ本と週刊誌であり、学校の教科書は、申しわけ程度に机の上に置かれている。天井に張ってある肌もあらわなあどけない少女の微笑んでいるのは、何という歌手なのであろう。机の前には、コーラの大ビンが並び、コーラの空かんに、タバコの吸いがらが山のようになっていた。五十嵐が初めて見る高校生の部屋であった。毎日、教室の中で見る制服姿の行平とまるで違った一面がここにあった。子供も小さく、生徒の部屋などのぞく機会のない五十嵐には、全く別の世界にはいりこんだような部屋であった。行平は、この部屋で、きまった職ももたず、このポスターに埋まりながら、いったい何を考えているのだろう。ボサボサの髪の毛をかきながら、それでも五十嵐にざぶとんをすすめた。行平のひざに二匹の猫がするりとあがりこんだ。いかにもなれているらしい猫であった。
「このごろ、君が学校から早く帰るので、心配しているんだが、何かあるんかい」
 五十嵐は、こういって話をきり出した。行平は目を伏せたまましゃべらない。
「きけば、だれかに脅されているとか。ほんとうなんかい」
「……ほんとうのところ、あまりよくわからないんです。仲間をふたり紹介してやったのに、どうしてあとをつけられるのか……」
「その相手と話したことがあるのかい」
「顔は見たことあるけど、話したことはないんです」
「話してみなくちゃ、相手のいい分がわからないだろう」
「それもそうだけど、なんだかこわくて」
「お互い、誤解があるかも知れんよ。なにか脅されるような心あたりがあるんかい」
「何もしてないんです。さち子と少し話しているところを見られただけなんです」
「そんなことで、どうして、相手がおこるんだい。そんなことしていると、学校がだんだんいやになってくるんでないのか。去年、留年したのもそのせいじゃないのか」
「このごろ学校がつらいんです。はじめは、人に負けまいと定時制にはいったのに、仲間がバイクに乗って、町へ遊びにゆくというのに、自分ばっかり学校で勉強しているなんて。ついつい学校を通りこして町へいってしまいます」
「たしかに定時制はつらいだろう。でも、みんな同じように悩みながら、卒業した人も大勢いるんだよ。今は少しがまんしなくちゃ」
 行平は、しきりと髪をかきあげ、ひざの上にのった二匹の猫の背をなでていた。ねこは気持ちよさそうにのどをならした。
「その猫、どうしたんだい。ずっと飼っているの」
「クラスの女の子にもらってくれないかとたのまれたんで、もらってきたんです」
「お前、よほど猫が好きなんだね」
「うん、二匹ともおれになついていて、一緒に寝ているんです」
 行平と猫のくみあわせが、奇妙でもあり、おかしくもあった。バイクにのって遊び、家に帰って猫を愛撫する、行平は、なにを考えているのだろう。早くこの問題を解決して、学校へ出てきてほしいと伝えた。それには、相手の男に直接会ってみたらどうかとすすめた。五十嵐は、このあと行平の家を出た。はたして、今まで通り、学校へもどってくるのか、五十嵐には自信がなかった。
 行平は、その後も欠席が多くなった。バイクに乗って、友だちと遊び回っているという。学校では、年間出席時数が三分の二を割るとそれだけで、進級できなくなる。家には、電話で知らせるが、電話口に出る母親は、返事をするだけで、行平は、学校に出てきそうもない。一ヵ月もすぎたころ、行平は、退学届の用紙をもらいにきた。理由をきいても、学校を続ける自信がなくなったというだけである。退学もやむをえないのかと思って、五十嵐は、用紙を手渡した。しかし、その後なんの連絡もない。出席時数は足りなくなるばかりだ。行平の家を訪問した。両親とも家にいた。
「この前、退学届を渡したんですが、その後連絡がないんで、どうしたのかと思って」
 こう切り出すと、父親はびっくりしたような顔をした。
「えっ、そんなことはじめて聞きます。家の子がなにかしたんですか」
「何度も、おかあさんの方へは、電話してあるんですけど、おとうさんはきいておられませんか」
「いや、なんにも。家の子は、きちんと家を出ているんで。学校へいっていなかったんですか」
「このところずっと学校へ来てくれないもんで、出席時数が足りなくなっているんです」
「そうなんですか、ちっとも知りませんで……」
 聞けば、父親は、保険の集金人ということで、家にいないことが多かったという。ちょうどお茶をもってきた母親に
「おまえ、どうしておれに行平のことを話してくれなかったんだ」
 父親がきいた。
「あんまり心配かけると悪いと思って」
「そんなことしていたら、ますます行平が悪くなるばかりでねえか」
 五十嵐の前で父親は母親をせめた。母親はしきりにあやまるばかりである。
「実は、去年も留年したので、ことしは、なんとかしっかりやるようにくりかえしていっていたんですが、やっぱりだめでしたか。親子二人して、わたしに何も話してくれなかったんです。ほんとに、申し訳ありません」
 母親が座をはずしたとき、父親は、耳うちするように、五十嵐のそばで
「実は、家内は、後添いなもんで、行平には頭があがらないんです。家のはじを先生にきかせたりしてすまないことです」
といった。電話には、母親が出るので、当然父親も知っていると思っていたのに。こんな事情があるとは思いがけないことであった。いったい、教師には、家庭内のことまで立ち入ることに妙な遠慮があって、なかなかふみこまれないところがあった。しかし、今、行平のことにしても、もっと早くこうした事情をつかんでおくべきであった。行平の親は、その日、退学届に印鑑を押した。十月のはじめのことであった。五十嵐のクラス二人目の退学者であった。卒業まであと一年半、いったい何人の退学者がそれまで出るのであろう。一人、二人と退学していって、卒業までにはひとりも残らないのではあるまいか。つらい日であった。

 
 >  >  > 4 >  >  >  >  >