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「欠ける視像」 | 第二小説集『紙の匂い』

欠ける視像works

欠ける視像 2

 川瀬は、毎朝きまったように午前三時にはふとんの中で目を覚ました。もう、この早起きの習慣は、ここ十数年来の長い習慣であるためか、その目覚めの時間は、時計のように正確であった。床の中で目覚め、眠りこけている隣の妻をあとに、着替えをすませるころ下の柱時計が三時を打つ。そうすると、すぐ隣の自分の部屋にはいって点燈する。十畳にあまるこの書斎は、川瀬の城であった。まわりの壁には、彼の買い集めた書物を並べたて、真中には、大きなテーブルをおいてそのまわりに椅子を並べる。このテーブルは来客用のテーブルでもあり、彼のタイプを打つテーブルでもあり、謄写版印刷のテーブルでもあった。川瀬の机はその脇にある木の机で、ここは、きのうの朝の状態のままである。よみかけの本が重ねられ、書きかけの原稿が散乱している。友人から来た手紙類もある。椅子に腰かけて、一通り机上を眺めまわしたあと、返事が必要な手紙には、レターケースの中からはがきや封筒や便箋をとり出して、返事をしたためる。読みさしの本は、頁を繰る。感動したところや、あとでもう一度必要になると思う箇所のある頁は、小口をマジックで黒く塗って印をつける。前日の日記を厚い大学ノートに書く。これといって、急の仕事のない時は、こうしてとりとめのないことで時間を費す。急ぎの原稿を書きあげねばならぬときは、すぐ原稿用紙に向かう。机の上のペン皿には、すべりのよいボールペンが何本か用意されている。何か調べることがあって、書架の中から取り出した本の、別のところを読み出して、思いがけず時間を費してしまうこともある。置き時計の秒を刻む音がし、夜の短い夏の朝は、裏山で小鳥が鳴き出す。高い声で連続して鳴く鳥もいれば、グワッグワッと低い声で少し間を置いて鳴く鳥もある。裏山の鳥は、かなりの種類がいるらしい。時折、遠くの山でほととぎすが高い声で鳴く。机のそばのガラス窓が薄いクリーム色にそまって、夜が明けてゆく。この時間が、川瀬のもっとも自由な、満ち足りた時間であり、唯一の生きた証しでもあった。川瀬が、今まで書いた作品は、すべでこの時間の中で産み出されてきたものであった。買ったままに、読まずに積まれている本の間でも、こうしてじっと坐っていると、川瀬はいいようのない深々とした安堵感を持つ。
 人間の一生などたちまち過ぎさってしまう。その短い一生で、人はどれだけのことをやれるというのであろう。そうでなくても短い一生をなすことなく漫然とすごす時間は、川瀬にとってこの上ない時間の浪費に見えた。酒もたばこもたしなまず、碁やマージャンも知らない。川瀬の趣味らしい趣味といえば、この部屋で過す活気に満ちた自由な時間でしかなかった。酒もたばこもやらないといえば、人は
「金が残るばっかりですね。もっぱらあれ専門ですか」
と皮肉まじりにいう。その金も性も、川瀬には人並み以上の魅力もない。株を買ったり、ギャンブルにこってみたり、金をためることに趣味はない。ただ、本代だけは惜しくはない。金をいくらためたところで死んであの世まで持っていけるものでもない。その金をもらった息子達は、ぬれ手にあわとばかりに好きなように使い、すっかり自分の人生をだめにしてしまうだろう。
 今の川瀬にあるのは、自分の人生への限りない慈しみであった。ちょうど幼児が生まれたばかりの鳥のひなを両手でかばって小さい生命を守ろうとするかのように、川瀬は、自分に与えられた小さな人生を自ら守ろうとする。人類や生物の連綿たる生命の連続の中で、ほんの一瞬の小さい生命の燃焼にすぎない自分の人生を、自分の手ですりへらしたくはないと思う。だから川瀬にとって一番嫌悪すべきは自ら生を断つことである。川瀬がペンを執るときは、決して流れるような早さではない。金属の板を釘の先でひっかいてゆくような気持ちで一字一字書き込んでゆく。人が見たら、そんな金にもならぬことに、なぜそんなに精力を使うのかと奇異に思うだろう。川瀬は、自分に与えられた生命が惜しいのだ。川瀬が文章を書くのは、すばらしい作品を書いて世間を驚かせてやろうとか、大きな文学賞を手中にして、文壇に雄飛してやろうとか、原稿料を生活の糧として小説家になってやろうとかいうのではない。あくまでも趣味であり、文章を書くことが好きなだけである。自分自身の生きた証しとして書く。もう少し広げても、彼の息子たちが成長した後、父の考えや生涯を伝えたいと思うだけである。自分の書く一つの文字、一編の作品がみな遺書のつもりであった。川瀬が短かい生涯を終えた後も、彼の文章は、彼の思想を子孫の代まで伝えてくれるだろう。肉体は朽ち果てようとも、彼の精神が、文章となって永遠の生命を与えられ、生き続けるであろう。子孫たちが、彼の願いにどのように反応してくれるか、それはわからない。川瀬がかかわっている江戸時代の文人は、自分の書いたものを、子孫の者達が年一回ずつ読み返してくれるなら、何よりの供養になるといい、決して紙くずにするなと訴えた。川瀬は、彼の子供たちが父のつまらぬ繰り言として一束いくらの紙の束として売ろうとするなら、それもしかたないと思う。肉体の滅んだあとの川瀬に、それを制止する力はない。彼の書いた文章が、死後どのような運命をたどるとしても、川瀬は、今ひたすらに書き続けるよりほかはない。つくづくと文字というものをありがたいと思う。文字のなかった口誦文芸の時代、その人の死は、その人の思想の死を意味した。ことばとして残ってもそれはわずかの量でしかない。文字は時間と空間の広がりを超えて、永遠の広がりをもつ。活字になった文字は、活字自体の意志をもって、勝手に一人歩きを始める。時には、執筆者自身が忘れてしまっていることさえ、ちゃんと残してくれる。彼の書いた文章が、全く未知の人の目に触れ、思いがけぬ手紙をもらうこともあるが、文章の醍醐味はこういうところにある。彼の書く文章が、現在将来の未知のだれかの胸に残ることがあるかも知れない。きっとどこかに彼の思想の共鳴者がいるかも知れない。川瀬は、その見えない読者の存在を信じて、ひたすら書く。
 そんな川瀬の姿勢も妻には、こんなようにうつる。
「あなたは、ひとりでりっぱなことをやっているつもりでしょうが、よくまあたいして売れもしない雑誌に高い金払って、つまらない文章を書いているわね。自分ひとりで楽しんでいるオナニーみたいなものでしょう、こんなことは。そんなことより、釣りでもやってくれて、釣った魚を夕飯のおかずのたしにもしてくれたほうがずっとましだわ。今魚がすごく高いんだから」
 いつまで書いても世に出るわけでなし、よくもまああきもせずにせっせと原稿用紙のマス目をうめてゆく、と彼の仕事は妻からみたら一つの道楽であった。道楽というのは、所詮その道にはいりこんだ人でなければわからないものだ。
 六時になると、川瀬は、机を離れ、体操着に着がえて外へとび出す。このころようやく妻も起きて来て、下の台所で包丁を使う音が聞こえ、みそ汁の匂いが漂ってくる。川瀬のマラソンコースは、裏山の上に開けた青田の一周コースである。青田の上を渡ってくる朝の涼風を全身に受けとめながら自己のきまったペースで走り通す。みぞおちのところを汗がすっと流れ、眼鏡がくもる。次第に苦しくなってきて、息がはずむ。川瀬は小さいころから走るのが嫌いであった。運動会というといつもビリの方で、彼がゴールにはいるころ、だれも数字の書いた旗のところへつれていってくれる人はいなかった。その川瀬が、マラソンを始めたのは、他でもない、ひたすら生きのびたいためであった。彼の腹のまわりに豚肉をはりつけたようについているぜい肉をとって、彼に与えられた天命を全うしたいためにほかならない。なんとか生きのびて、彼の文章を完成させたいと思った。体を動かさず、机に向かったまま体力が衰えてゆくのは、見るにしのびなかった。生きのびさえすれば、曲りなりにも必ず文章を完成させることができる。早く死ぬことは、彼の計画を挫折することに他ならない。完成されない橋やトンネルは、後の人に受け継がれて、いつでも完成することができる。しかし、未完成の文章は、後の人が書き継ぐことはできない。別人によって書き継がれた文章は、別人のものといえる。老猫といわれようが、いじきたないといわれようが、川瀬は何としても生きのびて目があいている限り書き続けるつもりであった。なんとしても七十歳や八十歳までは生きのびたい、そう思いつつ川瀬は走り続けるのだ。

 
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