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「欠ける視像」 | 第二小説集『紙の匂い』

欠ける視像works

欠ける視像 3

 その川瀬が、失明したとしたら、本も読めず、ペンをもって文章を書き続けることもできない。失明は、即彼の生きがいを奪うことであった。ふと、川瀬は、江戸時代の戯作者滝沢馬琴のことを思った。
 馬琴は、嘉永元年(一八四八)八十二歳で死ぬまで、六十年近くも筆をにぎりしめ、著述によって一家を支え、家庭内の不幸に打ち克った。病弱な長男をかかえ、すぐ感情が爆発する妻のお百をかかえ、嫁の路を相手に一家をきりもりしていた。二十八年間かかって完成した長篇大作『南総里見八犬伝』の最後の二年間は、盲目の中にあった。目が見えなくなったあとの原稿も残っている。罫をまるで無視して、いたいたしい文字を並べた馬琴失明後の原稿は、後の人たちを粛然とさせるものをもっている。文章というものへの執念の深さを感じさせられる。そうしで、馬琴は、その原稿料をもって一家を支えていた。完全に失明したあとは、何もわからない嫁の路に字を教えながら口述筆記をさせて、とうとう九十八巻百六冊に及ぶ『八犬伝』を完成させた。川瀬にあの馬琴のすさまじいまでの文章への執念があるだろうか。なによりも、妻が彼の目となり、手足となって、口述筆記をしてくれるであろうか。それよりも妻は、彼のかわりに一家を支えていかなければならない。
「それはいいけど、家族四人どうやって暮らしてゆくの、わたしや子供たちをあなたの道楽の犠牲にしようというの」
 彼がたのんだ時の妻の返事が耳の底に響いてくるような気がした。馬琴は、戯作者として地位も安定し、収入を保証された流行作家だからこそできた。嫁の路もだからこそ馬琴の家業に協力する意味で口述筆記を手伝った。しかし、川瀬が書いている文章には一円の収入もはいって来ないのである。失明したあと川瀬は、勤めもやめ、生きがいとしての読書や執筆の道も断たれ、どのように生きていったらよいのであろう。
 翌日、川瀬は、近くの眼科医を訪ねた。川瀬が今までの症状をつぶさに話すと、医師は首をかしげながら、光をあてた川瀬の眼球を、レンズを通してのぞいた。視力検査のあと、手にもっていたボールペンを川瀬の目のまわりでくるくるまわして、見えるかどうか聞いた。川瀬の目は、そのボールペンを正確にとらえることができた。
「近視はかなり進んでいるようですが、どこも異常はありませんね。視神経の一時的なマヒというようなものではありませんか。心配いらないと思います。こういうことが、これからもたびたびおこるようでしたら、また来てみて下さい」
 医院の待合室で順番を待っている間は、どんな診断がくだされるのか、不安の気持ちでいっぱいだった川瀬も、明るい気持ちでそこを出た。妻のいうような目の病気ではないのだった。失明なんて、なんという思いすごしであったであろう。二回ほどおこっただけでもう目の異常はおこらないかも知れぬ。そうであってほしいのだが、しかし、今まで二回あったことが、これからさきおこらないという保証はだれもできない。視神経の一時的マヒということが、どこから来るのか、医師はなにもいわなかった。目自体異常がないとしたら、その目の神経がつながっている脳に異常がおこっているのでは……。医師がなにもいわない以上そんなふうに考えるのはあまりにも考えすぎてはいないか。ともかく、明日からまた安心して目を使うことができることが嬉しかった。
 その後、川瀬の目の異常は五ヵ月以上もおこらなかった。正常な状態が何ヵ月も続いていると、次第に目の異常を考えることが少なくなった。もうこのまま、異常はおこらないのではなかろうかと思ったが、冬になってから、学校の授業中に久しぶりにおこった。しかし、それも三十分もすれば、また正常になるのであった。しばらくは頭痛が続くが、これもあまり気にならなくなった。このころになると、この異常をあまり気にしなくなった。五ヵ月に一度くらいの割で三十分くらいの目の異常があっても、それはまさに正常の中にくみこまれて大して苦にもならなくなった。そのあと、二、三回はおこったかも知れないが、川瀬は、はっきり記憶していなかった。日記の中すら、それを書いていないくらいだった。

 
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